91
このひと月の間に、何が起こったのか
まずはそれを確かめなければなりません
「あの後、この世界のシルワさんに忠告はできたのですか?
日の出村の疫病はどうなりました?
エルフの森の疫病は?」
あの時点でまだ、日の出村も、エルフの森も
疫病の流行は起きていませんでした
あの時、ネムスさんが怪我をした腕を泉で治療していたのを
シルワさんは、泉を獣の血で穢した、と誤解したのです
疫病の流行は、そのしばらく後だったはずでした
「あの後、わたしたちも、シルワ師やネムスを探したんだ
けれど、結局、出会えなかった」
ノワゼットさんは残念そうに首を振りました
出会えなかった?
そんなことがあるのでしょうか?
「聖女様が行方不明になった後
シルワさんは、何回も発作を起こしまして
そのたびに、薬を飲ませたり、いろいろあって
そんで、動き回るわけにもいかなかった
ってのも、あって…」
フィオーリさんが言いにくそうにしながらも
説明してくれました
なんということでしょう
結局、みなさんの足を引っ張ってしまったのは私でした
「…申し訳ありません
私の軽はずみな行動のせいで、みなさんには
とてもご迷惑をおかけしてしまいました」
「いいえ、聖女様のせいではありません
それを言うなら、わたしの病のせいなのです
これほどみなさんにご迷惑をおかけするくらいなら
いっそ、このまま光に溶けてしまえたら、とさえ思いつつ
結局は、いつも助けてもらってしまいました
けれど、また、こうして聖女様にお会いできて
今になってみると、やっぱり、生き長らえてよかった
などと、身勝手なことを、思ってしまって…」
シルワさんはひどく申し訳なさそうにおっしゃいました
なんだかそれを見ていると、ますます申し訳なくなって
しまうのですが、だからと言って、いつまでも
謝ってばかりいても、お話しが進みません
ここは、いっそ心を氷にして、申しました
「それでは、疫病は起こってしまっているのですね?」
シルワさんもノワゼットさんもフィオーリさんも
辛そうに頷きました
「せめて、過去のわたしに会って、焼き菓子を
みなに配らないように、させようとも思ったんだ
けれども、どうしても、出会えなかった」
ノワゼットさんは悔しそうにおっしゃいました
起こったことは、変えられない
以前、そんなお話しをしたことを思い出しました
どれほどに辛いことであっても
過去を変えることは不可能
今ならば、いくらでも打つ手があるのに
それを知らなかった過去に戻って
手を打つことは、できないのだ、と
「今、この時代のシルワ師は、森のなかを駆けずり回って
患者の治療に当たっておられる
結果的には、そのおかげで、森の疫病は
早々に収束する
流行が起こってしまった今となっては
それを邪魔するよりも、走っていただくしか
ないのだと思う」
ノワゼットさんはため息を吐かれました
「日の出村にもね?
あの後、こっそり、行ってみたんっすよ
また、見つかったら大騒ぎになると思ったから
おいらだけ、こっそり、ね?
そしたら、村には疫病が蔓延してるみたいで
恐ろしいくらい、ひっそりしてましてね?
看病してる人たちも、みんな、疲れ果てていて
村長さんたちのことが心配でしたけど
お家を訪ねても、お会いできなくて
いや、本当は、屋根伝いにこっそり
窓から中を覗いてみたんっすけど
おふたりとも、ベットに伏せって
いらっしゃるようでした」
結局、過去に起きた悲劇は、何も手を打てないまま
また悲劇として繰り返されていたのでした
「何か、今からでも、何か、できないでしょうか?」
訴えかける私に、ノワゼットさんは頷きました
「シルワ師とわたしは、今、森の患者のところを
回っている
治癒術を使うことはできるし、せめて少しでも
それで助けになるなら、と」
「ノワゼットさんは、発病する人を全部ご存知なんで
先手を打って、軽いうちに治療して回ってるんっす」
なるほど、それは確かに有効かもしれません
ノワゼットさんもシルワさんも、元々、この森の方ですから
不審に思われることもないでしょう
それは、この時代のシルワさんのことも、間接的に
お助けすることになると思いました
「日の出村の方にも…
そうだ!たとえば、近隣の神殿に連絡をして
救援に来ていただく、というのは?」
「それは、もう、やってある
ただ、近隣と言っても、日の出村からは
かなり距離があるんだよね」
街道の最果ての村から、あの広い広い荒野の
道もないところを、延々…
確かに、それは神殿の神官様たちにとっても
かなり過酷なことかもしれません
それに、街道の果ての村であれば、その村には
神殿もないかもしれません
となると、神官様たちは、もっと遠いところから
駆け付けてこられるということでしょうか
なんだか、とてつもなく時間がかかりそう、ということは
私にも分かりました
「そうだ!
泉の精霊様のお力を、お借りする、というわけには
まいりませんか?」
じっと見つめると、泉の精霊は、鷹揚に首を傾げました
「わたしの、力を?」
「荒野を移動する神官様方を
精霊界を通って、日の出村まで
送ってさしあげる、とか?」
前に、呼び水と精霊界を繋いで移動させてくださった
ように、です
ちょっと恐ろしい思いもいたしましたけれど
あのおかげで、かなり移動が早くなったのは確かでした
「まあ!そんなことが?
はて、できますかしら?」
のんびりと泉の精霊は答えました
なんだか、いつもの泉の精霊とは
少し感じが違っていて、困ってしまいます
多分、泉の精霊は、百年前はまだこんな
のんびり屋さんだったのでしょう
先回りしててきぱきと手伝ってくださった泉の精霊は
それもまた百年後の姿なのでした
「それよりも、水源様なら力を増して
水脈を洗い流した方が早いんじゃないかな?」
突然、そんなことを言ったのは、ヒノデさんでした
「水脈を、洗い流す?」
「今、君たちが話してる疫病って、日の出村の
あれ、なんでしょ?」
ヒノデさんは、なんということもないように
おっしゃいました
「もしかして、ヒノデさん、疫病の原因を
ご存知なのですか?」
驚く私たちに、ヒノデさんは、あっさり、うん、と
うなずきました
「元はと言えばさ、行商から戻った村人が
行商に行った先でもらった熱病だったんだ
人から人へは、あんまり伝染らない病なんだけど
病人を看病していたおかみさんが
病人の吐いたものを掃除した雑巾やなんかを
井戸の傍で洗ってさ
その水を流したもんだから
井戸の水のなかに、病気を起こす虫が入ったのさ」
なんと、それが原因だったのですか
そして、ヒノデさんは、それをご存知だったのですか
「この暑さだから、その虫が少しずつ増えていってね
あ、こりゃ、まずいな、とか思ったけど、あいつら
教えてやろうとしても、まともに話しを聞きゃしない
ただ、流石にそのままにはしておけないから
何人かの夢に渡って、このままじゃ、この村に
疫病が流行る、って、告げてやったらさ
なーにをとち狂ったか、巡り巡って、それが
妙な噂になっちまったみたいで」
もしかして、あの突然村に拡がった噂、というのは
その夢が原因だったのではありませんか?
「その最初の病人ってのは、もうとっくに治ってるんだ
綺麗な水をたくさん飲めば、治る病だからね
そんでもって、今、村で流行してる病が自分の
持ち込んだものだとは、欠片も思ってなくてさ
恐ろしいって言って、真っ先に村から逃げだしたのさ」
「綺麗な水をたくさん…
けれど、今、日の出村の井戸の水は
綺麗な水ではない、のですね?」
「人間にとっちゃ、ね?
精霊には関係ない話しだけどね」
ヒノデさんは、けけけっ、と笑い声を上げました
「病人は、水をとても欲しがるんだ
だけど、あの村には、汚れた水しかないから
飲ませれば飲ませるほど、治るどころか
具合は悪くなる一方だよ
病気にかかってなかった人間も、あの水を飲んで
病気にかかってしまう
一番いいのは、井戸の水を総とっかえすることだけど
今のあの村に、井戸攫えをする元気のある人間は
いないだろうなあ」
そう言ったヒノデさんは、どこか意地悪な顔をして
にやにや笑っていましたけれど、ふ、と
少し寂しそうな表情を見せました
「湧いてすぐのころは、ずいぶん、大事にしてくれたもんさ
立派な屋根を作って、周りには石を積んでね
汚した水は大きな甕にまとめておいて、村外れの畑に
撒いていた
井戸攫いだって、しょっちゅうしてたし
井戸の精霊を祭る祭壇には、いっつも何かしら
花だの、供え物だの、置いてあった
だけど、金持ちの連中が増えたころからさ
遠くの畑にわざわざ水を撒きに行くのは面倒だ、って
いつの間にかやめちまった
そのころから、井戸の周りに、汚れた水を撒く連中も
増えてきてさ
それを、ダメだ、って言うやつらも、いるにはいたけど
いくら言ったって、聞かないやつは聞かない
見てないところじゃ、好きなだけ撒くんだ
結局は、それで、みんな病気にかかったんだよ」
ノワゼットさんが、そうか!と叫びました
「あの菓子は、その水を使って作ったものだった
だから、森のエルフにも疫病は伝染ったんだ!
やっぱり、疫病の原因は、ネムスではありません
わたしだったのです、シルワ師!」
申し訳ありません、と項垂れるノワゼットさんに
シルワさんは、きっぱりと首を振りました
「ノワゼットも、そして、お菓子を下さった御内儀様も
悪くありませんよ
それよりも、それならば、水の浄化をすれば
疫病を収めることができるのではありませんか?」
シルワさんは、ヒノデさんを食い入るように
見つめました
ヒノデさんは、あっさり、頷きました
「だから、さっきからそう言ってるでしょ?
水源様のお力を増して、水脈全部、洗い流したら
疫病の虫たちも、さっさと流れて行ってしまうよ」
「それは、他所の土地に、さらに疫病の虫を
送り込むようなことにはなりませんか?」
「日の出村の先に、同じ水脈を使う場所はないからね
それに、虫だって、一匹だけじゃ、病なんか起こせない
大量の水で薄めてしまえば、虫たちもばらばらさ」
「…大量の水…」
シルワさんは、今度は泉の精霊を見つめました
「今のわたしなら、もしかしたら、あるいは…」
何か言いかけて、やっぱり口ごもってから
私の方をじっと御覧になりました
「聖女様
わたしは、長い間、エルフの森の聖なる泉の番人でした」
はい、存知ております
しかし、何故、それを今、告白なさり始めたのでしょう
と、思いかけましたが、今は黙って聞くべきだと思い
口は開きませんでした
「あのとき、ネムスが、水源を穢してしまったと
思ったわたしは、その後、ひたすらに、水脈の
浄化をし続けました
しかし、ひとたび、疫病が森にやってきてからは
仲間の治療にかかりきりで、水の浄化には
手が回らなかったのです」
「森の疫病が、そんなに酷くならないで収まったのは
もしかしたら、シルワさんが、水を綺麗にしてたのも
あったかもしれないっすねえ」
フィオーリさんはちょっと感心したようにおっしゃいました
「今一度、その浄化をやってみようか、と」
シルワさんは、しゃん、と背筋を伸ばして立ちました
その姿は、いつものシルワさんより
五割り増しくらいに大きくなって見えました




