8
ひらひらと舞う蝶に誘われ着いたのは大きな木でした
いったい何千年、この森にいるのでしょう
幹は太く根もがっしりと拡がりそれはそれは立派な大木です
もしかしたら、森の主かもしれません
蝶は私たちの周りをひらひらを一周しました
かと思うと、ぱっと姿を消してしまいました
と同時に、するすると木の上から縄梯子が下りてきました
「聖女様、縄梯子は上れますか?」
シルワさんがそう尋ねてくださいます
「無理やったら、わたし、背負うて行くよ?」
お師匠様もそう言ってくださいました
「問題ありません」
私はそう答えて、梯子に手をかけました
慌ててシルワさんがついてこられます
「聖女様、ではわたしが後ろに付きましょう
大丈夫、もし落ちても、ちゃんと受け止めますから」
それから、あ、と付け加えられました
「このリュックは置いていきましょう
あまりに重いと木が折れてしまいます」
「まあ、それは大変ですわ」
私は慌ててリュックを下ろしました
これ、見た目は小さなリュックなのですが
大鍋をはじめ、かなりな物が入っています
魔法がかかっていて、いくらでも物が入るのです
ただ、その分、それなりの重さになっています
私はそれほどのことでもないと思っているのですけれど
何故かどなたも持ち上げられません
梯子を握る私の手の上をシルワさんは掴みました
身長差があるので一段違いでもすっぽり腕の中に収まります
背中もリュックがない分、シルワさんが近いです
なんだか、どきどきし始めてしまいました
心臓の音がシルワさんに聞こえてしまわないでしょうか
エルフのお耳は、なんだかよく聞こえそうですし
もし聞こえてしまったら、恥ずかしいです
そんなことを考えていたらますますどきどきしてきました
これはもう、一目散に逃げるしかありません
私は、とにかく、上へ上へと梯子を上り始めました
ええ、それはもう、可能な限り大急ぎです
なのに、シルワさんはそれに余裕でついてこられます
もちろん、私の安全のためだとは分かっております
けれど、このままではどきどきから逃げられません
気が付くと、ぜいぜいと息を切らしておりました
額から、だらだらと汗が流れ落ちます
しかし、上れども上れども、木の上には到着いたしません
これは、よほどの大木なのでしょうか
もうかなり上ったと思うのですけれど
そういえば、さっきから霧のようなものが漂ってきました
これはもしかしたら、雲のなか、なのでしょうか
私たちは、雲のなかを突き抜けているのでしょうか
ふと、気になって、下を見てしまいました
すると、そこにあるのは、はるかに続く長い梯子
そこを皆さんが連なるようにして上ってこられています
しかし、梯子の先にあるはずの地面は…
どこにも見えませんでした!
ひゅう~、と足の下を風が通り抜けていきました
思わず、くらっ、といたしました
その拍子に額の汗が目に入ってしまいました
いたっ、と無意識に目に手がいって…
気づくと、足は梯子を踏み外していました
「おっ、と…」
シルワさんの声が背中に聞こえました
さっきよりももっと近いです
落ちないように支えてくださっているのです
ぴったりくっついた背中に、心臓の音が響きます
これは、私の心臓なのか、シルワさんの心臓なのか
余計なことを考えると、また心臓が跳ね上がりました
私は、落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせました
焦っている場合ではないのです
いえ、焦らないといけない場合なのですけれど
焦るところが間違っています
そこへ極めつけにシルワさんがおっしゃいました
「大丈夫ですよ、聖女様、焦らないで」
「いえいえ、これは焦るところです
いえ、焦るところが違うのです」
「は、い?」
シルワさんの声には、???がいっぱい入っていました
申し訳ありません
私、いろいろと混乱してしまっております
すぐに気を取り直したようにシルワさんはおっしゃいました
「ゆっくりで大丈夫ですよ?
足を梯子に戻してください
大丈夫
命に代えても、聖女様を落としたりしませんから」
いえいえ
こんなところで命に代えられては困ります
私はあえて何も考えないようにして、足を梯子に戻しました
しっかりと梯子を手と足で確認して一息つきます
「それにしても、長いですね…?」
「ああ…
申し訳ありません
きっと、面白がっているんですよ…」
シルワさんは、ちょっとため息を吐かれました
「まったく、趣味の悪い…
着いたら文句を言ってやりましょう」
文句を言うなんて、いつものシルワさんらしくなくて
ちょっと笑ってしまいました
「お友だちだと、おっしゃいましたね?」
「さて、むこうがまだ、そう思っていてくれたら…」
「お友だちだから、からかっていらっしゃるのですか?」
「まあ、そうかもしれませんね…」
少し話していると、気持ちも落ち着きました
さあ、また、頑張るかあ
私は梯子をしっかり握りなおしました
すると、シルワさんは指をぱちんと鳴らしました
途端に、辺りの霧がさっと晴れていきました
地面もしっかり見えています
高さは、ちょうど、建物の二階くらい?
さほど高いところでもなかったようです
「お辛い思いをさせてしまいました
さっさとこうしておけばよかったのですけれど
久しぶりなので、引っかかったフリをしておりました」
シルワさんはちょっと謝るようにおっしゃいました
けれどその話し方が、なんだかとても親し気で…
心がふわりと温かくなりました
「よいお友だちなのですね?」
「ああ…まあ…
付き合いだけは長いので…
ちょっと、変わったやつなのですけどね?
もっとも、わたしにだけは言われたくない
むこうもそう思っているかもしれませんが…」
シルワさんはちょっと苦笑しました
けれど、その笑みすら、どこか温かでした
「人の悪さは、間違いなく郷で一番です
それだけはご忠告いたします」
シルワさんにこんなふうに言われるお友だちだなんて
一体、どんな方なのでしょう
いっきにお会いするのが楽しみになりました




