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いつの間にか、夜が明けかけていました

そんなにも長く、あのベアの攻撃に耐えていたのかと

思いました


明るくなってから泉に近づくと

この世界のシルワさんと出会ってしまうかもしれません

それに、ぐったりと眠ったままのシルワさんを連れて

移動するのも、大変そうでした


「シルワさんがもう少し回復するまで

 どこかに隠れてませんか?」


フィオーリさんも同じことを考えていたようでした

ノワゼットさんも、そうだね、と頷きました


「…ここなら、そうだな

 あそこがちょうどいいか

 ついておいで」


ノワゼットさんはシルワさんを抱え上げると

先に立って歩き始めました


「あ!ノワゼットさん、シルワさんはおいらが運びますよ

 こう見えて、おいら、力持ちっすから」


フィオーリさんが慌てて追いかけます

けれど、ノワゼットさんは、ぃゃ、と

シルワさんを隠すように背中をむけました


「君だと、シルワ師の手だの足だの

 引きずりそうだから

 いいから、シルワ師は、わたしが運ぶ

 大丈夫

 ネムスみたいな大男ならともかく

 シルワ師は細くて軽いから」


「…なんか、そんなふうに言われると

 ちょっと悲しい気もしますねぇ…」


のんびりとそんな声がして、ノワゼットさんは

びっくりしてシルワさんを取り落としそうになりました


「お、っと

 落とされると、折角ふさがった傷口が…」


シルワさんはくるっとからだを翻して

自分の足で地面に降り立ちました


「…どうも、お手数をおかけしまして、すいません

 しばらくの間、全力で回復に集中してました」


シルワさんは、いつもみたいにほけほけと笑って

おっしゃいました


「外からの刺激を断ったほうが集中しやすかったので

 しばらく、反応できなくて、すいません

 でも、おかげで、ほら、もう、こんなに大丈夫」


とんとん、と足で地面を踏んでみせます

確かに、その足取りは、もういつものシルワさんと

同じくらい、しっかりしていました


けれど、元気よく動いたせいか、はらり、と

破れた衣が背中から落ちかかりました

慌てたノワゼットさんが、なんとか両手で抑えたので

大事には至りませんでしたけれど、シルワさんは

ほんのしばらく、そのまま凍り付いていました


「あ、っと、これはこれは

 聖女様の清浄なるお目を、とんでもないもので

 穢すところでした

 こっちも、しっかり直しておかないと、ですね」


我に返ったシルワさんは焦ったように言うと

指を一本立てました

すっとその指先に集中したかと思うと、次の瞬間

するすると、破れた衣は元に戻り、染みもまるで

最初から何もついていなかったようになりました


「すごいですね

 それも、四元素に分解、という魔法なのですか?」


私は以前、汚れを綺麗にしていただいたのを

思い出して尋ねました

シルワさんは、立てた指を軽く振って微笑まれました


「分解と、合成も少し

 それにしても、普通に魔法が使えるのって

 助かりますねえ」


そう以前のシルワさんは、衣が汚れたら洗濯をして

破れたら、針と糸で繕っていらっしゃいました

だけど、本当は魔法でおできになったんだと思うと

新鮮な驚きを感じました


「魔法って、とっても便利ですね?」


「ふふ、わたしのような無精者にはぴったり、でしょう?」


嬉しそうに笑うシルワさんに思わず拍手をしてしまったら

横からノワゼットさんが釘を刺すようにおっしゃいました


「それ、全部、信じたらダメだから

 前にも言ったけど、日常生活の魔法は

 より高度な魔法の訓練のために

 やってらっしゃるんだから」


「ノワゼットは、わたしのことを

 少し買いかぶり過ぎですね?」


シルワさんはちらっと苦笑なさいました

それから、辺りをきょろきょろと見回しました


「ところで、今これは、どこにむかって

 いるのですか?

 泉はこの方角ではなかったかと、思いましたが?」


「今、このまま泉に行くと、高確率で

 この世界のシルワ師とお会いしてしまいますので

 また夜になるのを待とうか、と」


「それも、そうですね」


シルワさんはあっさり納得しました


ノワゼットさんの言った隠れ家は

そこから割とすぐでした


「…ここは…

 もしかして、泉のすぐ裏手なのでは?」


「昔、まだ子どもだったころ

 ネムスとふたりで作ったんです

 わたしが、親に叱られて家出したとき

 ネムスが、だったら、ここで一緒に暮らそう

 って言って」


「こんな近くにこんなに素敵な隠れ家があったなんて

 ちっとも知りませんでした

 ふたりとも

 そんな素敵なことをなさっていたのですね?」


「素敵なこと?

 …あ、ええ、まぁ…」


シルワさんにそんなふうに言われて

ノワゼットさんは、なんだかちょっと照れていました


それは、幼い子どもが作ったとはとても思えないくらい

立派な小屋でした

四方に柱が立ててあって、柱には大きな布を張って

壁にしてあります

屋根は、丁寧に葉っぱを重ねて作ってありました


ノワゼットさんは、入り口のあたりにかかっていた

蔓を掻き分けると、さあ、どうぞ、とみんなを中に

招き入れました


私たちは、遠慮なく、小屋の中に入って

休ませていただくことにしました


フィオーリさんのポケットから次から次へと出てきた

非常食と、シルワさんが魔法で集めてくださった朝露とで

軽い朝食にしました


葉っぱに集めた朝一番の清涼な朝露を飲むと

なんだか自分が妖精になったような気持ちになりました

もっとも、ミールムさんにこれをお勧めしたら

うへぇ、そんなもの飲めるの?なんて

言われそうだなと思いましたけれど


この場にいない方々の噂話等も、お食事のお供には

なかなかに楽しい話題です

ゆっくりと朝食をいただいて、昨日からの疲れも

大分、癒された気がいたしました


「ところで、気のせいかもしれませんが

 さっき、ネムスの声が聞こえた気がしたのですけれど」


ふと、話題が途切れたとき

シルワさんがそんなことをおっしゃいました


「ネムスさんなら、いましたよ

 ベアを一緒にやっつけてくれたんっす」


フィオーリさんは、ネムスさんのおかげで助かったことを

詳しく話して聞かせました


その話を聞きながら、シルワさんはちょっと何かを

考え込んでいるようでした


一通り、フィオーリさんの語るのを聞いてから

シルワさんは、お尋ねになりました


「もしかして、その後、あのベアは

 ネムスが持ち帰ったのですか?」


「ええ

 いい薬になるって聞いてたし

 おいら、もらっても、流石に困りますし」


なるほど、とシルワさんはもう一度考え込みました


「そのとき、ネムスは、機嫌よくしていましたか?」


「ええ、なんか、嬉しそうでしたよ

 ベアもだけど、ノワゼットさんが口きいてくれた、って」


「そうか

 あのころは、ノワゼットは、ネムスとは一切

 口をきいていませんでしたねえ」


ちらりとシルワさんが視線を向けると

すみません、とノワゼットさんは小さくなりました

シルワさんは、薄く微笑んで続けました


「あと、ひとつだけ教えてください

 もしかして、ネムスは怪我をしていましたか?」


「あ、はい、右の腕を

 けど、ノワゼットさんはもう魔力を使い果たしてましたし

 聖女様も、聖水がない、って言って

 そしたら、ネムスさんは、泉の水をかければ治る、って

 すぐ帰って行きました」


「…そうでしたか…」


シルワさんは、ゆっくりと地面に手をつきました

また具合が悪くなったのかと

皆、心配して駆け寄りました


シルワさんは、顔を手で覆うようにして

ああ、すいません、と呟きました


「…わたしは、なんてことを…

 あのとき、ネムスは…」


シルワさんは両手で顔を覆うと

しくしくと泣き出してしまいました


皆、驚いて、口々に、どうしたのかと尋ねました


シルワさんは答えようと顔をあげましたけれど

虚ろな目からは、とめどなく涙が流れていました


「朝早くに、泉の掃除をしに行くと

 ネムスの鼻歌が聞こえたのです

 そのころは、ネムスとわたしの仲も

 少し、ぎくしゃくしていて

 話しかけても、ネムスはいつも

 そっけない返事しかしてくれませんでした」


なんだか、そのネムスさんはちょっと意外でした

さっき、怪我をしたシルワさんを見つけたとき

ネムスさんはとても心配そうにしていました

有無を言わさず、連れて帰るとおっしゃいました

世界を救う英雄なのだという、フィオーリさんの作り話も

なんだか、誇らし気にしていらっしゃいました

その姿は、どう見ても、お兄様を大好きな弟さんにしか

見えませんでした


「だから、わたしは久しぶりに

 機嫌のいいネムスに会えると思って

 喜んで声のするほうへと行ってみたのです

 けれど、近づいたわたしが見たのは

 傍らに大きなベアを転がしたまま

 血の付いた手を泉で洗っている

 ネムスでした」


シルワさんは、一息にそこまで話すと

深いため息を吐きました


「その場で何を口走ってしまったのか

 自分でも、よく覚えていません

 ただ、ひたすらに、ネムスを責めてしまった

 ような気がします

 ネムスの話しもろくに聞かずに、ただ、どうして

 泉の穢したのか、と

 それだけは、してはいけなかったのに、と

 あんなにネムスを叱ったのは、後にも先にも

 あの一度きりでした

 ネムスは一方的に叱りつけるばかりで

 いっこうに話しの通じないわたしに呆れたのか

 そのまま怒って、どこかへ行ってしまいました」


そのとき、シルワさんは、ネムスさんのせいで

きっと悪いことが起こると、思い込んでしまったのです

疫病が流行ったのは、そのしばらく後のことでした


シルワさんは悲し気に涙を零しながら続けました


「今から思えば、それはきっと、本当は

 ずっと、ネムスを叱れない自分のことを

 情けないと思っていたからなのです

 わたしが叱れないから

 ネムスがああなってしまった、のだ、と

 ずっとずっと、そう思っていたから」


懺悔の告白をするように、シルワさんは話し続けました

その言葉は血を吐くようで、シルワさんはとても

苦しそうに見えました

それでも、私たちには、ただ、それを

じっと聞いていることしか、できませんでした


「どうして、ちゃんとネムスの話しを聞かなかったのだろう

 何も悪いことなど、していなかったのに

 何かきっと悪い事をしているのだと

 勝手に思い込んでいたのは、わたしのほうでした

 ネムスが、オークになってしまったのは

 わたしのせいだったのです」


シルワさんはまるで絶望するように

言葉を零しました


「おいら、なんか、悪いこと、しちまいました…」


しょんぼりとおっしゃったのはフィオーリさんでした


「ベアが転がってなかったら

 シルワさんだって、そんなこと

 思いませんでしたよね?」


「あのとき、無理をしてでも、ネムスの傷を

 治すんだった」


ノワゼットさんはそうおっしゃいました


けれど、シルワさんは、そのどちらにも

いいえ、と首を振りました


「ベアを譲ってくださったのは、郷の皆のためを

 思ってのこと

 ネムスもそれを分かっていたから、有難く

 いただいたのでしょう

 ノワゼットも、長時間わたしたちを守るために

 力を尽くしてくれたのです

 ネムスも、そんなノワゼットに無理など

 させられないと思ったはずです」


それに、とシルワさんは悲し気に続けました


「きっと、もう今頃、わたしはネムスを責めてしまっていて

 これから起こる悪い事に、恐怖していることでしょう」


「シルワさんに会って、そんなことはありません、と

 申し上げてきます」


心を決めて立ち上がった私に、シルワさんは

申し訳ありませんが、とおっしゃいました


「多分、そのわたしは、聖女様のお言葉を聞く耳は

 ないことでしょう

 あのころのわたしは、よその種族のことは

 とても恐ろしかったし、なるべくなら

 関わり合いになりたくないと思っていましたから

 聖女様がやってこられたら、きっとどこかに

 隠れてしまうと思います」


「聖女様でダメじゃ、おいらの言葉なんか

 もっと聞いてもらえませんよねえ」


フィオーリさんもしょんぼりとおっしゃいました


「わたしなら!

 わたしの言葉なら、シルワ師も聞いてくださる

 のではありませんか!」


ノワゼットさんはそう言って立ち上がりました


けれども、シルワさんは、いいえ、とまた首を振りました


「おそらくは、ノワゼットの言葉でも

 わたしの耳には入らないことでしょう

 そのくらい、あのころのわたしは

 心が固く強張っていましたから

 ネムスの言葉も聞かなかったくらい

 自分の考えに縛り付けられていました」


「そんなの、やってみないと分かりません」


私はそう申しましたけれど、シルワさんは

そんな私を悲しそうに見つめました


「今のわたしならば、聖女様のそのお言葉に

 素直に頷くこともできます

 けれど、それは、あれから百年、世界をさ迷い歩き

 いろいろなことを経験したわたしだから

 今のわたしになるために、これもまた、必要なこと

 だったのかもしれません」


「だからって、これから辛いことがあるって分かってるのに

 それに何もしないなんて…」


やっぱり、このままじゃいられません

私は、思わず隠れ家を飛び出しておりました








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