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疫病の原因がノワゼットさん?
一瞬、言葉の意味が分かりませんでした
目の前のシルワさんは、ふぅとため息を吐いて
ゆっくりと立ち上がりました
それから、ノワゼットさんにむかって言いました
「ノワゼット
あの疫病の原因があなたなのかどうか
本当のところは、分からないのですよ?」
「あのときも、そうおっしゃいましたけど
ネムスのせいじゃないってことは、今は
はっきりしているんです
だったら、わたしのせいだって可能性は
あのときよりずっと高くなっていると思います」
「…だとしても、もう終わったこと、です
今さら、犯人捜しに意味なんて…」
「あります!」
ノワゼットさんは、シルワさんを睨むように見つめました
「それがはっきりすれば、ネムスは救われるかもしれない
シルワ師、あなただって!」
「代わりにあなたがオークになるようなことになったら…
この同じ苦しみを、あなたに味わわせたいとは
思いません!」
シルワさんはじっと見つめ返しながら、きっぱりと
おっしゃいました
ノワゼットさんも、負けじとシルワさんを見つめます
背の高いエルフさんがにらみ合いをしていると
なかなかの迫力でしたけれど
フィオーリさんが、そのふたりの間に
ひょっこりと割り込んで、顔を出しました
「え、っと、すいません
おいら、頭、悪いんで
話しについていけてなくって
ちょっとお伺いしますけど
なんだって、ノワゼットさんは
疫病の原因が自分だ、なんて
思うようになったんっすか?」
ノワゼットさんは、シルワさんから目を離さないまま
淡々と答えました
「…あの日、発病したエルフたちは
みんな、わたしの配った菓子を口にした者だった」
「はい?お菓子?」
「あの日、わたしは、日の出村を訪ねていた
おばあさんは、わたしが行くと、いつも喜んで
土産に焼き菓子をたくさん、持たせてくれた
それはいつも、到底、ひとりでは食べきれなくて
わたしは、森の仲間に配っていたんだ」
今日も、たくさん持って行けと、準備してくださったのです
もっとも、わたしたちは、なにも頂かずに来てしまいました
けれども
「それで、そのお菓子を配ったエルフたちが
みんな疫病を発症した、と?」
「あのときは、気づかなかった
ネムスのせいだ、って、噂もあったし
だけど、後からよくよく考えてみると
みんな、わたしが菓子を渡した人だった」
ノワゼットさんは、しゃくりあげるような息を吐きました
「そのときにはもう、ネムスとシルワ師は
森を去った後だった
みんな、疫病はネムスのせいだった
あの兄弟は罰を受けた、って、言ってた
わたしは、恐ろしくて、ずっと、本当のことが
言えなかった
だけど、それから何年かして、日の出村のことを聞いて
どう考えても、あれは、わたしのせいだったんです
ネムスもシルワ師も、何も悪いことなどしていなかった
なのに、わたしは、そのことを誰にも話せなかった…」
ノワゼットさんは、その場に泣き崩れました
「わたしは卑怯な臆病者です
ようやく、このことをシルワ師に打ち明けたとき
けれど、シルワ師は、わたしを許してくれました
そして、自分の嘘に加担させたいから、このことは
黙っていろ、って
だけど、よく考えたら、そんな交換条件、おかしい
だいたい、シルワ師の嘘なんか、とっくに仲間には
見透かされてるし、マリエにいたっては、まったく
効果もなかったのに
シルワ師の嘘を守らなければ、ってわたしは
思い込んでいたけれど、そもそも、そんな嘘
存在すらしていないのに、それを守ろうだなんて
結局は、わたしが、それを言い訳にして
自分の言いたくないことを言わずにいた
だけだったんです」
普段あまりしゃべらないノワゼットさんが
一息にたくさんしゃべったので、その場のみなさんが
驚いておられました
全部言い終わったノワゼットさんは
なんだか、憑き物が落ちたような顔をしておられました
「…ネムスが疫病の罰を受けてオークになったのだとしたら
もうとっくにオークになってないといけないのは
わたしのほうだ
だけど、わたしは、ずっとこのことを秘密にしていた
卑怯者なのに、オークにもならず、のうのうと…」
「もう、いい、ノワゼット
それ以上あなたを傷つけることは
たとえあなた自身であっても、してはいけません」
シルワさんはノワゼットさんの傍らに膝をつくと
慰めるように肩に手を置きました
「ノワゼットの心配する気持ちは分かるのです
だとしても、もう、それを確かめる方法もありませんし
今さら、ノワゼットが犯人だったなんて
みなに言って回ることもない、と思うのです…」
ノワゼットさんは、しゃくりあげながらも
小さく首を振りました
「あのあと、わたしは、こっそり
日の出村へ行ってみました
そこで、聞いたのは、村長夫妻が
疫病で亡くなった、という話しでした
つまり、菓子をもらったとき、おふたりは既に
疫病にかかっていたんです」
そう告白したノワゼットさんはとても辛そうでした
私は、おふたりをご両親のように思っている、と
おっしゃったノワゼットさんを思い出していました
ノワゼットさんにとっても、そんなに大切な人たち
ノワゼットさんは、とても優しい目をしておふたりを
見ていました
「…あのう、お取込み中、すいません…」
そこへ割って入られたのが、フィオーリさんでした
「それ、今なら、確かめられるんじゃない、っすか?
だって、今はまだ、その疫病は、起きていない
っすよね?」
ノワゼットさんとシルワさんは、同じようにはっとした
目をして、互いのお顔を見つめ合っていました
「いや、なんなら、いっそ、阻止することだって
できる、かも?なんつって…」
フィオーリさんは、ちょっとおどけた顔をしてみせました
「歴史は変えられない
村が滅ぶことは避けられない
だとしても、疫病の流行は止められる、のかも?
まあ、そのあとに、別の何かが起きる
かもしれませんけど
まずは、これから起きるはずの
疫病をなんとかしてみる?
なんて、できませんかね?」
そんなこと、できるのでしょうか?
そもそも、やってもいいのでしょうか?
「でも、きっと、やってはいけないことだとしたら
大精霊様が、止めてくださいます」
私はきっぱりと断言しました
「そっすよね?」
フィオーリさんはこっちを見て、にこっとなさいます
「大丈夫です
大精霊様を信じましょう
きっと、すべてを、よくしてくださる
どんな偉い神官様に伺っても、それだけは
必ず同じことをおっしゃいます」
分かった、と短く言って、ノワゼットさんは
立ち上がりました
シルワさんは、ちょっと戸惑うような表情を
なさっていましたが、何もおっしゃいませんでした
私たちは、再び、エルフの森を目指して歩き始めました
すると、ふと、歩きながら、シルワさんがおっしゃいました
「そもそも、どうして疫病が起こったのか
それを確かめる必要がありますね」
「村長夫妻は、何も知らないようでした
村の連中には、話しを聞くのは難しいでしょう」
「やっぱり、ここはあの、井戸の精霊さん、ですよね?」
みなさんそれに頷かれました
「あの、手鏡で話しかけてみます?」
「いえ、こうして森にむかっているのですから
森の泉から、呼びかけてみようと思います
そのほうが、しっかりとお話しも伺えるでしょうし」
「泉の精霊にも、力を貸してもらえるかも」
「…そうですね
大昔から、あの方は、エルフの森を守ってきた、という
伝説もありますからね
もしかしたら、強力な味方になってくれるかも
しれません」
私たちの足は、誰からともなく、少し早くなっておりました




