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その噂はいつの間にかじわじわと拡がりました
最初は、みんな半信半疑でした
けれども、何度も何度も繰り返し耳にするうちに
みんなそれを、信じ始めてしまいました
エルフが疫病を持ち込み、この村は滅亡する
実際に、百年後のこの村は、誰もいない廃墟になっています
それは滅亡した、ということなのかもしれません
けれど、その疫病は、本当に、エルフが持ち込んだもの
なのでしょうか
同じ時期に、エルフの森にも、疫病は流行りました
その症状は、とてもよく似通っていて、おそらくは
同じ疫病だったのだろうと考えられます
ただ、その原因は、ネムスさんではないというのも
はっきりしています
いえ、それどころか、もしかしたら、その疫病は
この村から、エルフの森にもたらされた可能性もあるのです
「そんじゃ、おいらたち、ここにあんま長居しちゃ
ご迷惑っすね」
フィオーリさんがそうおっしゃるのが聞こえてきて
私ははっと物思いから引き戻されました
「確かに、出来る限り早めに退散した方が
よいかもしれません」
シルワさんもそうおっしゃいました
「シルワさんと、ノワゼットさんって
いつから、ここにいたんっすか?」
フィオーリさんは、シルワさんに尋ねました
「ああ、今朝から、です
あなた方と、ほとんど変わらないんですよ」
シルワさんはにこっとして答えました
その答えは少し意外でした
シルワさんとノワゼットさんが行方を断ったのは
私たちが日の出村へ行くよりもずいぶん前ですから
この村にも、ずっと早く着いていたのかと
思っていたのです
「気づくと、井戸のところで
ふたりともずぶ濡れになって立っていました
そこで、朝一番に水を汲みに来られた御内儀様と
ばったりお会いしたのです」
「他の村人に見つかる前に、ここに連れてきてもらった
だから、騒ぎにもならなくて済んだんだ」
ノワゼットさんがそう付け足しました
「つまり、わたしたちは、ほぼ、同じ時、の
ここへ来た、わけです」
ほぼ、同じ時、を、シルワさんは少しゆっくりと
おっしゃいました
「おや?
みなさんは、ご一緒だったわけじゃなかったと?」
おじいさんは少し不思議そうにおっしゃいました
「ええ
わたしたちは、別々の時に、別々の場所から
ここへ辿り着いたのです」
ゆっくりとおっしゃるシルワさんの言葉は
私の頭の中にじんわりと残りました
元は別々だったのに、偶々、この同じ時に
それには、もしかしたら、何か、理由みたいなものが
あるのかもしれない?
ふと、そんな考えが頭を過りました
「実際に、ここ最近、この村で疫病のようなものは
流行していないのでしょうか」
シルワさんは丁寧におじいさんに尋ねました
おじいさんは、ふむ、と大きく頷きました
「それは、人が大勢いれば、熱を出した、風邪を引いた
腹を壊した、などという病は、いつも、誰かしら
罹っているものですけれど
流行病、というのは、聞いておりませんなあ」
つまり、ここはまだ、疫病の流行る前ということの
ようでした
もしかして、今、私たちが何かをすれば
この村に流行る病をどうにかできるのかもしれない?
そうすれば、この村を、滅亡させずに済むかもしれない?
ふと、そんなことを思いつきました
フィオーリさんの故郷で聞いた、オクサンのお話し
あれは、とてもとても悲しいお話しでした
もし、その場所に、私たちがいられたら
精霊との交渉も、もう少し、有利に運べたかもしれない
そんなふうに思いました
けれど、それはもう、大昔に済んでしまったことで
今さら、どれほどに悔やんでも、起きた事実を変えることは
不可能なのです
どんなに悔しくても、その事実は
受け容れるしかありませんでした
けれども、今なら、ここでなら
これから起きる不幸を、回避することはできるのではないか
もしかしたら、私たちはそのためにここへ来たのではないか
そんなことを考えていたら、胸が熱くなってまいりました
ふと、こちらをじっと見ていらっしゃるシルワさんの視線に
気づきました
思わずそちらを見ると、シルワさんは、軽く
微笑まれました
「まあまあ、そんなのは、ただのつまらない噂です
どうかお気になさらず、ゆっくりしていってください」
おじいさんはそうおっしゃいました
「ノワゼットは大切な友人だし
みなさんはそのノワゼットのお知り合い
大切なお客様です」
「おじいさんは、エルフのこと、すっげぇ
有難がってますけど、その交易、って
エルフは、人間から、何をもらってたんっすか?」
フィオーリさんは少し不思議そうに尋ねました
確かに、さっきからお話しを伺っていると
エルフばかりが、恩恵を与えているように聞こえました
しかし、交易というのなら、もう少し
お互いに利益があってしかるべき、だと思うのです
「肉、ですよ」
おじいさんはあっさり答えました
え?お肉?
フィオーリさんと同時に私は首を傾げました
けれど、それを聞いて、シルワさんとノワゼットさんは
はっとした顔をされました
「この村が村としての形を成し始めた頃のことだったと
思います
この村に人が増え、なかには家畜を飼う者もおりました
あるとき、エルフ族は、その肉を分けてくれるのなら
たくさんお礼をすると、言ってきました
しかし、エルフの欲しがった肉は、ほんの少しだけで
わしらがもらったお宝の方が、よほど価値は高かった
それでも、エルフは、肉をとても有難がっていました」
「…その肉は、エルフにとっては、一族の命を救う
大切なものだったのです」
シルワさんは重々しくそう言いました
「それは、わしの恩人のエルフも同じことを言いました
エルフにとっては、とても大事なことなのだと
そうして、たくさんの宝物を、わしらに持ってきて
くれました」
シルワさんもノワゼットさんも、納得がいったというふうに
深く頷きました
「そのお二人は、あなたの命を助けたかもしれません
けれど、あなたは、わたしたちの一族を助けて
くださったのです
本当の恩人は、あなた方のほうだったのですね」
シルワさんは、うーむと唸りました
「その病は定期的にエルフを郷を襲い、その特効薬は
獣の血と肉からしか作れないのです
けれども、エルフ族には厳しい殺戒があるので
進んで狩をする者はほとんどおりません
前回の流行期には、狩人はひとりもおらず
皆、その病に苦しんだと聞いています
けれども、誰かがもたらした薬のおかげで
なんとか、切り抜けられたのだとも」
本当に有難うございました、とシルワさんは
改めて頭を下げられました
ノワゼットさんもそれに合わせるように
丁寧にお辞儀をなさいました
「受けた恩は十倍にして返せ
両親は、わたしにそう言い聞かせました
ならば、わたしも、みなさんに、きちんと恩返しを
しなくてはなりません」
「なんもなんも
恩返しなら、もう十分にしてもらっております」
おじいさんは、ぱたぱたと手を振りました
「しかし、わたしたちに、いったい…」
ノワゼットさんはシルワさんをじっと見ました
その目は、この村はもうじき滅んでしまうのに、と
言っていました
シルワさんはふむ、と何か考え込んでいるようでした
「みなさん、お腹はいっぱいになられましたか?」
明るくそう尋ねてくださったのは、おばあさんでした
お腹ももういっぱいでしたし
さっきからお話しに夢中で
誰ももう、食べ物には手をつけていませんでした
おばあさんは、小さく欠伸をしていて、少し眠そうでした
「年寄りは、朝が早いので
お昼寝をするのですよ」
おじいさんは、ちょっと困ったように笑って
おっしゃいました
「ああ!
お片付けは、わたしにお任せください
先ほど、準備は全部、していただいてしまいましたから」
シルワさんはそう言うと、ふふ、と小さく笑って
席を立ちました
「あ!私もお手伝いいたします!」
私も急いで席を立とうとしましたが
何故か、ノワゼットさんに
いいから、と引き戻されました
「邪魔になるから、あんたは、座ってて」
う
そんな、きっぱりはっきり、邪魔になるなんて
おっしゃらなくても…
まあ、確かに、その通りかもしれませんけれども…
しょんぼりと座った私に、シルワさんは、にこっとして
見ていてください、とおっしゃいました
す、とシルワさんの表情が透明になります
その瞬間、辺りに一斉に、音にならない笛が鳴り響きました
するとすると
みるみるうちにお皿の上の残り物は保存用の容器にまとまり
カトラリーやお皿やカップは種類ごとに整列しました
シルワさんは、まるで指揮者のように、立てた指を振ります
すると、食器類はお行儀よく、キッチンへむかって
行進し始めました
「ふふ…
ここの道具は、エルフの郷の物が多いのですね?
魔法に馴染みがよくて、とても助かります」
シルワさんは、すっかり上機嫌です
こんなふうに魔法でお片付けなど、初めて見たので
私はただただ、目を丸くしました
「どう?すごいだろ?シルワ師の魔法?」
隣で、何故だかノワゼットさんが、とても得意そうに
おっしゃいました
私はそれに、ただただ、うんうんと頷くだけでした
行進しながら、お皿についていた汚れは
ぴん、という音とともに、消えてしまいます
多分、あれは、私が綺麗にしていただいたのと同じ
四元素に分解された、という状況なのでしょう
流し場には、お風呂のお湯をためたときのように
どこからともなく流れ出す水があって
お皿たちは、順番にそれをさっと浴びていきます
そのまま水切り籠にジャンプすると、そこにはちょうどいい
風が吹いていて、あっという間に乾かしてしまいました
なんとまあ、なんとまあ
「すっげー、手抜き、みたいっす!」
フィオーリさんは歓声をあげました
あ、いえ、でも、本当に、そう見えて、しまいます、ね?
「バカだな
あれだけの魔法、習得するのに、どれだけ修行すると
思ってるんだ」
ノワゼットさんは、怒ったようにフィオーリさんに
おっしゃいました
「いやいや、魔法ってのは、手抜きするために習う
ものなんっすか?」
「んなわけないだろ
むしろ、あんなふうに日常生活で使う魔法は
もっと大がかりな魔法の修行のためになさってるんだ」
「へえ~
あれが、修行、なんっすか?
まあ、おいらなら、自分の手、使って
水で洗った方が、早そうっすけどねえ」
確かに
そこは、わたしも、そっちのほうが早いと思います
みるみるうちに片付いていく食器類は
なんだか、面白いショーのようでした
終始にこやかに魔法を操るシルワさんは
やっぱり、すごい魔法使いなのだなと思いました




