73
アイフィロスさんに作っていただいた玉子に案内されて
私たちは、日の出村にむかって出発いたしました
お師匠様は、いつもの装備に加えて、なにやら
大きな背負い袋を背負っていらっしゃいます
「あの、その荷物も、私のリュックに
入れましょうか?」
そうお尋ねすると、お師匠様は
いや、それには及ばん、と
手のひらをこちらにむけて見せました
「これは、いざというとき、すぐに使えるよう
手元に持っておきたいねん」
「アイフィロスの物入れ小屋、すっごく面白かった
魔除けやお札もごろごろ出てきてさ
それ、全部、ごっそりもらってきたんだ」
ミールムさんも、なんだか嬉しそうです
「まあ、使わなかったら、返すんだけどね?」
「使わんで済んだら、そのほうがええねんけどさ」
よっこいしょ、と背負い袋を背負い直しながら
お師匠様はため息を吐きました
「念には念を、や
嬢ちゃんにもし何かあったら、わたし
シルワさんにもフィオーリにも
顔向けできへん」
「それは、僕も同じなんだけどね」
ミールムさんは、けけっと笑いました
そのときでした
ポケットのなかから、きらきらきら、と
奇妙で心地いい音が聞こえました
まるでさらさら流れる小川の水のような
きらきらと煌めく噴水の水のような
そんな音です
「あら?なにかしら?」
ポケットを探ってみると、あの泉の精霊からもらった
手鏡が、音を立てていました
ついでに、なんだか、きらきらと光ってもいます
急いで手鏡を開いてみると
清んだ水を湛えたような鏡が
ゆらゆらと揺らめいて
そこに、ゆっくりと、泉の精霊の姿が
浮かび上がりました
「マリエ!聞こえますか?マリエ!」
泉の精霊は鏡のなかからそう呼びかけてきました
私は慌てて返事をしました
「はい!聞こえます!精霊様
こちらの声は、聞こえますか?」
ええ、聞こえています、と鏡の中の精霊は
にっこりしました
私はその精霊にむかって、急いで尋ねました
「もしかして、フィオーリさんが見つかったのですか?」
それに泉の精霊は、はっとしたような顔をしてから
ぁぁ…ぃぇ…と困ったように続けました
「ごめんなさい、そちらはまだ、進展はありません
けれど、あなたの危機を感じたので!」
「危機?」
「なにか危険な目に合っているのでは、ありませんか?」
私は思わず周りを見回しました
そこはまだ、エルフの森の中と言っていい辺りで
長閑な森の中に、危険そうなものは
なにも見当たりません
真夏の眩しい日差しは、木立に和らげられて
きらきらと降り注ぎ、木々の息吹のおかげか
森の中はとても涼しく、居心地のよい場所になっていました
お師匠様は油断なく辺りに目を配ってから
なにもないと思うけどな?と首を傾げます
ミールムさんも、辺りをぐるっと一周してこられましたが
なにも、ないよ~、と明るく手を振りました
「…あの、危険そうなものは
とりあえず、なにも、見当たりません」
私がそうお答えすると、泉の精霊は、しかし、と
眉を曇らせました
「酷く穢れた水が、見えるのです
…あれは…深い、井戸…」
エルフの森のなかには、聖なる泉から流れ出る小川があって
その川の水を小さな樋で引いて使っているお家がたくさん
あります
聖なる泉の水は地下にも滔々とした流れを作っていて
井戸を掘って、その水を利用しているお家もあります
けれど、そのどちらも、水源は聖なる泉
穢れた水など、どこにもないはずでした
「マリエ、よく聞いてください」
鏡の中から、泉の精霊はそう呼びかけました
「決して、井戸を覗いてはいけません
穢れた井戸には近づかないように
どうか、どうか、お気をつけて…」
「…はい」
泉の精霊はまだどこか不安そうでしたが
それ以上は言わずに、お気をつけて、とだけ言って
手鏡のなかから姿を消しました
私は手鏡をポケットにしまうと、また歩き出しました
「よう小さい子には、井戸は覗いたらあかん、て
言うて聞かすけどな
あれは、子どもは頭が重たいから
井戸に落ちたりせえへんように
言うんやな…」
「うちの聖女様は、幼児並に、純粋だからね
井戸の悪霊に攫われないように
僕らも気をつけないとね」
お師匠様とミールムさんがおっしゃいます
幼い子どものように扱われるのは、少し情けないですが
そもそも、私がしっかりしていないのがいけないのですから
文句を言うわけにもまいりません
なにより、私自身が気を引き締めなければ、と
思い直しました
玉子の案内と、ミールムさんの補助魔法のおかげで
道はさくさくと捗り、日の出村にはあっという間に
着いてしまいました
呪われた村、と聞いていたので
どんなに恐ろしい場所かと、少し、気構えてもいたのですが
見た感じ、どろどろとした暗い靄もかかっていませんし
変な匂いや、おどろおどろしい音もしません
からからと風の吹く、渇いた廃墟
最初に持ったのは、そういう印象でした
村の周囲には、壁や柵のようなものもありませんでした
どこからでも入り放題、な感じなのですけれど
私たちは、しばらく周囲を歩いてから
なんとなく、村の正面入り口、っぽいところから
村の中へと足を踏み入れました
人や獣の住む気配はありません
ボロボロになったかけっぱなしのカーテンが
ときどき、風にはためく他には
動くものも見当たりませんでした
百年以上の風雨にさらされて、村の建物は
ほとんどが、壊れたり、崩れかけたりしていました
けれど、それでも、呪われている、という
おどろおどろしさ、のようなものは
あまり感じられませんでした
ぽっかり開いた隙間から
家の中を覗き込んだりもしました
家具や調度もここに人が住んでいた頃のまま
残されているところもありました
「家っちゅうのは、人が住まんと荒れるからなあ」
お師匠様は物悲しそうにおっしゃいました
このようなお家を見ては、お師匠様も匠魂に火がついて
修理やらお片付けやら、したくなっているに違いありません
正面の入り口から続く道は、村の中で一番広い道でした
周囲の建物を覗きながら、その道を真っ直ぐに行くと
ちょうど、村の中央辺りに、広場がありました
広場には、屋根のついた立派な井戸がありました
多分、村の共同の井戸なのでしょう
水汲み場や洗い場も、その周りにたくさん
作ってありました
井戸を覗いてはいけない
泉の精霊の言葉を思い出して、私は、井戸に近づくことは
しませんでした
けれど、お師匠様とミールムさんは、構わずに井戸に
近づいて、縁に手をついて覗き込んでから
何事もなく戻ってこられました
「からっからに乾いとったわ」
「水でもあればよかったんだけどね」
「こんなとこ、たとえ水があっても、飲まんほうが
ええんとちゃう?」
「飲めなくったって、手とか顔とか洗うだけでも
生き返るじゃないか」
森を出てから、日差しのある荒野を歩いてきたので
喉はからからに渇いていました
私は急いでリュックから、森の水を詰めてきた小瓶を出して
みなさんにお渡ししました
おふたりとも、嬉しそうに水を受け取ると
ミールムさんは、早速、一息に飲み干しました
「嬢ちゃん、水の瓶は、何本、持ってきたん?」
お師匠様は、瓶の蓋を開ける前に
そう私にお尋ねになりました
「一応、十本、ほど…」
「ほうか
まあ、日帰りできる距離やし
それなら十分に、足りる量やな…
けど、念のため、節約はしとこか」
お師匠様はそうおっしゃると、瓶の水を半分だけ飲んで
あとは蓋をして、背負い袋にしまい込みました
私もお師匠様の真似をして、お水は半分だけに
しておきました
人心地つくと、私たちはまた歩き出しました
広場を中心にして、村は四方に拡がっています
「ここは多分、あの井戸から出来上がった村やろうな」
お師匠様は歩きながらおっしゃいました
「建築様式や建物の古さからみると
この村は、まず、井戸の周りに人が住んで
それを中心に、家が増えていったんやな
道もまっすぐに通ってるし
最初から、しっかりした計画を持って
作られた村やということが分かるわ
おそらくは、かなり有能な指導者、みたいな
お人がおったんやろうな」
「エルフ族はなるべく異種族とは
関わろうとしないからね
そのエルフと交易していた、となると
その指導者、ってのは
エルフからも一目置かれるような
人物だったのかもしれない」
歩きながらおふたりはそんなお話しをなさいます
「エルフと交易って、どんなもん
売り買いしてたんやろ?」
「エルフの森の木や蔓で作った物とか
魔法のかかった道具とかじゃないかな
薬草や珍しい木の実なんかも
商品としての価値はあると思う
そういうのは、人間の間じゃ
けっこういい値段で売れるだろうし
この村はそういう物の売り買いをして
こんなに栄えたのかも」
そうなのです
この村は、今はもう廃墟なのですけれど
どこのお家も立派な門構えや、調度品が揃っていて
往年はきっとかなり裕福な村だったのではないかと
思えるのです
「しっかし、そんなにエルフさんにお世話になったのに
なぁんで、ここの人たちは、エルフさんに対して
あんな態度、取ったんやろな?」
「それも、謎だよねえ…」
「逆に、エルフさんは、ここから何を
買うてはったんかな?」
「さあねえ
エルフって、物欲はあんまりなさそうだしね
必要なものは、なんでも森にあるもので
自給自足ってのが、基本スタイルだし…
人間から買うものなんか、ないんじゃないかな?」
「けどそれやったら、ここの人らが
一方的に、得するばっかりやろ?
それじゃ、交易にならへんやん」
「それこそ、人間の世界の貨幣をもらったって
エルフにはなんの値打ちもないだろうしね
いったい、エルフたちは
なにを交易していたんだろう?」
「アイフィロスさんに、それも聞いてくれば
よかったな?」
「アイフィロスの両親は、商人だった、って
言ってたよね?
帰ったら、聞いてみることにしよう」
そうして、ざっと一周、村を見て回りました
けれど、取り立てて、変わった気配もなく
魔物が飛び出してきたり、異界に引きずりこまれることも
まったく、ありませんでした
「なんや、ただの廃墟、って感じやね」
「呪われたような気配も、取り立てて感じなかったかな」
「…シルワさんとノワゼットさんも
いらっしゃいませんでしたね」
私がそれを言うと、おふたりは、うーんと同時に唸りました
「本当にあの二人がここに来たのかどうかは怪しい、って
アイフィロスも言ってたっけ」
「もしかしたら、どこかで行違うて
もう、あっちに戻ってしもうたんかもしれんなあ」
おふたりの口調は、どこか私を慰めるようでした
「まあ、流石に、この村のどっかにおったら
きっと会えたと思うし」
「というか、ここって、そう何日も滞在できそうな
場所じゃないよね?
水とか食料の問題もあるだろうし
あの二人、出発してから、そこそこ日も経ってるよね?」
そうなのです
食料はともかく、この近くでは水の補給は難しそうですから
そう何日も、滞在はできないと思うのです
「井戸は、あの中央広場の、ひとつだけやったやんね?」
「他に、川だの泉だのもないしなあ」
お師匠様はぽんと手をひとつ打ちました
「シルワさんが魔法で雨、降らせるとか?」
それにはちょっとミールムさんは嫌そうな顔をしました
「それは、まあ、不可能じゃないけどさ
雨って、そこそこ広い範囲じゃないと
降らせられないから、結構、魔力、使うんだよね
まあ、シルワなら、しばらくは動けなくなるだろうよ
それで、その水を集めて、飲み水にしたとしても
シルワもノワゼットも、グラン言うところの
非力なエルフだ
力持ちのドワーフも、怪力の聖女様もいないのに
そうたくさんの水を持ち歩くのは難しいだろう
だとして、どこかに水を保管した跡もないし
それに、さっきから歩いていて、気づかなかったかな?
ここって、もう何か月も、雨は降ってないよ
大地はからっからに乾いているし
風の中にも、水の精霊力をほとんど感じない」
「精霊とか魔法とかは、わたしはあんまりよう
分からへんのやけども」
お師匠様はちょっと困ったような顔をなさってから
続けました
「確かに
火を焚いた跡もなかったしなあ
まあ、エルフさんは、旅の途中は煮炊きはせん
かもしれへんし、灯りも魔法を使えるからな
とか思うててんけど」
「少なくとも、眠ったり休んだりはしないといけない
だろうけど
どこかで野営をした跡も見当たらなかったんだよね」
おふたりとも実によく見ていらっしゃるなと
私は感心して聞いておりました
それだけおっしゃって、おふたりは同時に私のほうを
御覧になりました
「というわけで、シルワさんは、ここにはおらん
のとちゃうかな?」
「まあ、あの畑の精霊の勘違い?
ってとこだったんじゃないかな?」
どこか気の毒そうに私を御覧になるおふたりに
私は、ちょっと笑ってみせました
すると、おふたりは明らかに、ほっとしたお顔に
なりました
「呪いってのも、なさそうだし
今日のところは、いったん帰るか」
「今から帰ったら、家に着いてからご飯も作れるし
なんか、美味しいもんでも、食べようや?」
おふたりに私は頷いて、そのまま帰ることになりました
ただ、あの広場の井戸、あれは、まだ少しだけ
気になっていました
お師匠様もミールムさんもあれを覗いてこられましたし
中には水も何もなかったとおっしゃいました
あの井戸の他はほとんど全部
お師匠様とミールムさんに続いて
一緒に見て回りました
ただ、あの井戸だけ
自分の目で確かめなかったのは、その一か所だけでした
「あの、私、あの井戸だけ、もう一度
見ておきたいのですけれど」
「井戸かいな?
ほんまになんもあらへんかったよ?」
「まあ、大丈夫なんじゃない?
僕ら、一度見て確かめてきたんだし
もうこんなところ、二度と来ないだろうから
心残りなら、自分で見てきなよ」
おふたりに了解を取ってから
私はゆっくりと井戸に近づいていきました
井戸の縁に手をかけて、恐る恐る覗き込みます
流石に幼い子どもではありませんから
このくらいなら危険なことはないと思います
井戸の底には水はなくて、からからに乾いた砂が
溜まっていました
余りにも乾き過ぎて、草も苔も生えていません
もう何日も雨が降っていない、と
さっきミールムさんのおっしゃっていたことを
思い出しました
井戸の内壁は、綺麗に石が積んであって
小石を落とすと、からからとよい音が反響しました
井戸には立派な屋根がついていました
ただ、今は、穴が開いてしまっていて
夏の日差しが、そこから降ってきていました
そのとき、でした
井戸の底が、きらっと光った気がして
思わず目が眩みました
そこへ、さっき小石を落としたときの反響のように
か細い声が聞こえてきました
…い、じょ、さ…せ…い…ま
どきっといたしました
気のせいでしょうか?
いえ、けれど、この声は!
心臓が早鐘のように打ち始めました
それと同時に、ポケットの中の手鏡も
けたたましい音を立て始めました
けれど、私は、あのか細い声をもっとよく聞きたくて
うるさい手鏡をスカートのなかに押し込みました
そして、それは確かに、こう言ったのです
聖女様…聖女様…
「シルワさん?!」
私は思わず、その声に返事をしました
すると、抗い難い力で、私のからだは
井戸の底へと引きずり込まれそうになりました
私は必死に、井戸の縁にしがみつきました
背中に、私を呼ぶお師匠様とミールムさんの声が
聞こえました
けれども、井戸の力は、とてもとても強いものでした
抵抗も空しく、私のからだは
井戸の底へと吸い込まれました
そのままなすすべもなく、私は、暗い穴を
どこまでもどこまでも、落ちて行ったのでした




