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アイフィロスさんに用意していただいた玉子に
案内されて、私たちは、ノワゼットさんのお家に
むかいました
ノワゼットさんのお家は、シルワさんの泉にも
ほど近い、森のなかにありました
ノワゼットさんはここでひとりで暮らしている
ということでした
けれど、家の扉は、固く閉ざされていて
ノックをしても、返事はありません
周りを回ってみても、夏だというのに
窓もしっかりと閉め切ってありました
「お留守のようやね」
「出直しましょうか?」
「いや、それもどうかな
だいたい、帰ってくるって保証あるのかな」
「窓も、鎧戸までがっちり戸締りしてあるしな
これは、どこかへ長期的に出かけたんかもな」
お師匠様も頷きました
「もしかして、シルワさんとご一緒とか?」
「かもしれんなあ」
ノワゼットさんは、シルワさんに、ついて行って
しまわれたのでしょうか
家の裏手には小さな畑がありました
野菜やハーブが植えてあります
けれど、しばらく手入れをされていないのか
なっているトマトは熟れ過ぎていましたし
ハーブは萎れかけていました
「これは、何日か前に、ろくな準備もなく
いきなり出かける羽目になった、って体やね」
お師匠様は畑を見ておっしゃいました
そのままにしておくのもしのびなくて
井戸の水を汲んで、水やりをしました
畑には、いつも使っているのか
バケツや如雨露のような道具も
脇の道具入れにきちんとしまってありました
「ノワゼットさんは、なかなか
きっちりしたお人のようやねえ」
整然とした物入れを見て、お師匠様は
感心したようにおっしゃいました
「こういうところに、人柄ってのは出るもんや」
道具はどれもなかなか年季の入ったものばかりでしたが
壊れたところも丁寧に修理をして、大切に使い込まれた
ものばかりでした
たっぷりとお水をあげると、畑の野菜たちが
生き生きと生き返ったように見えました
「お留守の間、時々来て、お世話をした方が
よろしいでしょうか」
お師匠様に尋ねると、少し苦笑されました
「まあ、ひと月、ただ待ってるしかないなら
それもええかもね
待ってたらシルワさんは帰ってくる言うし
闇雲に探し回るより、ええかもしれん」
「シルワの家だったら勝手に寝泊りしても
問題ないだろうし
なんなら、アイフィロスの家だって
頼めば泊めてくれるかも」
ミールムさんはそう言って、あーあ、と背伸びをしました
「僕ら、ちょっと、頑張りすぎ、じゃない?
ここらで少し休んでもいいかも」
「どう見たって、八方塞やもんなあ
フィオーリのこともあるし、ちょっといったん落ち着いて
仕切り直すとするかなあ」
おふたりとも畑の脇に腰を下ろして
ふう、と息を吐きました
私もそこへ並んで腰かけました
目の前の畑の野菜たちは、たった今、如雨露でかけた
水が、小さな玉になって、きらきらと光っていました
それを見ていて、ふと、思いました
「…シルワさんの魔法の雨って、如雨露の水、みたい
ですよね?」
「あー、優しいねんな、あの人の魔法は
いつでも」
お師匠様はいつも、私の拙い言葉から
気持ちを汲み取ってくださいます
そのお師匠様の言葉が優しくて、声が優しくて
気が付くと、ほろり、と
涙が零れだしました
ほろり、ほろほろ、ほろほろほろ
「あ、らららら、嬢ちゃん、泣いてはるのん?」
「え?マリエ?どうした?」
私の涙を見て、おふたりは慌て始めました
私は、申し訳ないやら、恥ずかしいやらで
慌てて涙を振り払いました
「っす、すみません
ただ、如雨露の水を見ていたら
なんだか、急に…」
「…ずっと、我慢して、張りつめてたんやろ
ええんよ?泣いても?」
「いいえ!泣いても何も解決しませんし
泣いたりしたら、ご心配をおかけするだけ…」
必死に止めようとしても、涙は止まりません
それどころか、ますます溢れてしまいました
お師匠様は私の横に立つと
ゆっくりと頭に手を置きました
「なぁんも、遠慮することなんかあらへん
心配はしたくてしてるんやから、させといたらええねん」
「その涙、ちょっともったいない気はするよね?
ノワゼットがいたら、玉にしてくれただろうに」
そんなことを言いながら、ミールムさんは
私の正面に回って、下から顔を覗き込みました
目が合うと、にこっと笑ってみせます
これは、いわゆる、妖精さんの、とびっきりの笑顔
泣く子も笑う、と言われている笑顔でした
つられて泣き笑いになる私に、ミールムさんは
珍しいくらい優しい声になりました
「泣いたら、少しはすっきりするかも
今は、シルワのために、じゃなくて
自分のために、涙を流せばいいんだ」
…自分のために…?
「シルワさんもそうやけど、あんたも
似たようなところ、あるもんなあ」
「アイフィロスが、シルワはずっと
誰かのために、生きてるんだ、って言ってたけど
マリエも、そうだよね?
泣くときだって、いつも、誰かのためでしょ?
だけど、その涙は、本当は、マリエの心を守るために
あるんだよ」
…私の心を守る…
「辛いなら、辛い、って
淋しいなら、淋しい、って
言っていいんだ」
「わたしらは、嬢ちゃんの仲間や
仲間やったら、大事な仲間の気持ちくらい
受け止めるもんや」
「まあ、受け止める、だけだけどね?」
「嬢ちゃんのこと、ホンマに慰めてあげられるんは
悔しいけど、わたしらやないからね」
「僕らじゃ、マリエを幸せにしてあげることはできない
からなあ」
「…そんなことは、ありません…」
私は顔をあげて、おふたりに精一杯
笑ってみせました
「おふたりに、とても、元気をいただきました」
おふたりはその私の顔を見て
なんだか、複雑な顔をなさいました
「そんな、無理して笑わんで、ええんよ?
それにしても、まあ、なんて可愛いんやろ
今日はなんでも、嬢ちゃんの好物、作ったろ」
「シルワのことぶん殴りたくなるから
その顔はやめてほしいんだけど
いっそ、もっとブサイクな顔して
泣いてくれないかな?」
「あほやな
嬢ちゃんが、ブサイク、なんかなるはずないやん」
「そんなこと、分かってるって!
だけど、今のあの笑顔は、反則でしょ!」
おふたりはそのまま何やら言い合いを始めてしまいました
と、そのときでした
足元から、小さな小さな声が聞こえたのです
ちょうど、はらはらと、涙が落ちた辺りでした
「やあ!
この力をくれたのは、君かい?」
びっくりして見下ろすと、そこに、花の種のような
帽子を被った、指先ほどの大きさの人がいました




