67
青い光の中に立ち上がったのは
よく見ると、泉の精霊でした
「手荒な真似をしてごめんなさい」
泉の精霊はいきなりそう言って頭を下げました
「えっ?手荒っ?
いえいえ、こちらこそ、瓶を落としてしまって…
あの、水を零すと、精霊さんも、痛い、とか
そういうことも、あるんですか?」
いや、それは、ないと思うな、と
前のお二人は異口同音におっしゃいました
そんな私たちに、泉の精霊はちらっと笑ってから
こちらにむかって、手を差し伸べました
「マリエがお困りなのを感じ取り
どうにかして、お助けしたい、と
思っていたのです」
「それはどうも、有難うございます
お心遣い、痛み入ります」
「いえいえ、そんなご丁寧に」
思わずぺこりとお辞儀をしたら、泉の精霊も
慌てたように、ぺこりとお辞儀をしました
「いえ、あの」
ぺこり
「いえいえ」
ぺこり
そのまましばらく、ふたりしてぺこぺこと
お辞儀をしあっていましたけれど
ふと、精霊は、何かに気づいたような顔になって
それから、急いで話を変えました
「わたしは、水のある所でしか、力を発揮できなくて
なんとかならないものかと
ずっと機会を伺っておりましたところへ
ちょうど先ほどの…」
「あ!もしかして、水を零したのが
よかったのですね?」
なんとまあ
うっかり瓶を取り落としたことが
このような功を奏していたとは!
さきほど絶望しかけたのが嘘のように
嬉しくなってしまいました
「流石、マリエ、転んでもただじゃ起きないね」
「これぞまさしく、怪我の功名!」
前のお二人が、ぼそぼそとお話しなさるのが
聞こえました
精霊は、え?とちょっと止まってから
あ、ええ、とお話しを続けました
「あれは本当に助かりました
瓶から出していただいただけでなく
その上、聖女の生き血までいただけるなんて…」
「ええっ?!生き血?」
その言葉にぎょっとします
精霊は、ええ、ほら、その、と
布を巻いた私の手を見つめました
「あ!これ?
これは…綺麗なお水を汚してしまったと
思ったのですけれど…」
「とんでもない!
もしかして、ご自分の力をご存知ないのですか?
その力があったから、あんな瓶たった一本分の水で
今ここに実体化できたのですよ」
「そう、でした、か…」
………?
それって、怪我をして、よかった、のでしょうか?
「なるほど、まさしく、怪我の功名、ですね!」
このときほど、言葉の妙というものを、実感したことは
ございません
「ええ、本当に
怪我をしてくださって有難うございました」
怪我をしてお礼を言われたのは生まれて初めてです
ふたりしてにっこり笑い合ったところで
泉の精霊は、また、はっとした顔になりました
「あ、いえ、そうではなくて」
泉の精霊は慌てて言い直しました
「逃げ水も、水、ですから、それを使って
なんとかできないものかと試みたのです
けれども、やはり、本物の水のようにはいかず
あのような怪異もどきになった上に
一度はみなさんのことも見失いかけたのですけれど
こんなところから、わたしの泉の水の気配を感じて…」
「げ、そうだったんだ」
「げ、そうやったんや」
お師匠様とミールムさんが同時におっしゃいました
「ってことは、精霊さん、あんた、フィオーリの行方
知ってはるんですか?」
お師匠様は一歩踏み出して尋ねました
遅ればせながら、私もようやくここで
あの黒い手が泉の精霊だったことに、気づきました
「ああ!
フィオーリさんの足を掴んだのは
あなただったのですね?
ならば、フィオーリさんも、ここに?」
けれども、精霊は、残念そうに首を横に振りました
「申し訳ありません
こちら側に引き込む寸前に、逃げられてしまって
まったく、すばしっこい…」
あれ?
今、舌打ち、なさいました?
あ、いえ、そんなはずはありません
このようにたおやかに美しい清らかな精霊が
舌打ちなんて、するものですか
今のはきっと、私の聞き間違いです
「それで?
フィオーリをどこへやったの?」
ミールムさんは油断のない目をして精霊を見つめました
精霊は、悲しそうな顔をすると、はぁとため息を吐きました
「分かりません
大人しく引き込まれてくれればまだよかったのですけれど
抵抗して、逃げてしまいました
ただ、こちら側には来ているはずです」
「ただでさえ、シルワさんを追いかけてるところやのに
この上、フィオーリまで行方不明とは…」
お師匠様もため息を吐きました
「精霊界で迷子だなんて、どうやって探したらいいんだ」
ミールムさんも唸り声をあげました
泉の精霊は、申し訳ありません、とますます
しょんぼりしました
「水渡りで、少しでもお力になりたいと
思ったのですけれど」
「水渡り?」
「わたしの能力の一つです
水のある場所から、別の水のある場所へと
移動させる能力です
なるべくなら、綺麗な湧き水のある場所だと
なおよいのですけれど
ちゃんとした水でないと、さっきのようなことに
なってしまいます」
「なるほどねえ
まあ、フィオーリにはあの黒い手が敵じゃないって
ことは分からなかっただろうし
いきなり足掴まれて引っ張り込まれそうになったから
必死になって逃げたんだろうな」
それは、間違いありません
「フィオーリを探す方法は、ないんかな?」
お師匠様も問いかけに、精霊は、ひとつ頷きました
「水の感知網を使って、探りましょう
精霊界のどこかには、いるはずですから
大丈夫、きっと見つけてみせます
あの子の気配はちゃんと覚えていますし
気配を感知したら、必ずお知らせします
これを、持っていてください」
精霊は小さな蓋つきの手鏡を私に差し出しました
「この鏡には、綺麗な水面と同等の効果があります
水渡りには使えませんが、水のない場所でも
わたしと話しをすることができます」
私は有難くその手鏡を受け取りました
中を開けてみると、小さな丸い鏡が
きらきらした水面のように輝いていました
「みなさんは、エルフの森の泉まで、お送りします
まずは、シルワを、追ってやってください」
「それは、助かる、かな」
灼熱の荒野に苦労していた私たちは
素直にそう思いました
「それじゃ、フィオーリのこと、よろしゅう
お頼み申します」
お師匠様は、泉の精霊にむかって
丁寧に頭を下げました
精霊はにっこりと微笑むと、すっと手を差し上げました
精霊の手には、指揮棒ほどのステッキが握られていて
精霊はそれを、まるで指揮をするように、くいくいと
動かしました
すると、横穴から突然、どうどうと青い水が
流れだしてきました
水は、まるで井戸のように、穴の中に溜まっていき
それに合わせて、私たちも、穴の上へ上へと
浮かんでいきました
「シルワを~
どうか~お願いします~」
水の底から、泉の精霊の声が聞こえました
そして、はっと気づいたときには
私たちは、全員、エルフの森の泉の傍に
倒れていたのでした




