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いつものように賑やかで忙しい朝食の後
畑へむかう途中、近づいてきたのはジョヴェとルネでした
人見知りをするジョヴェに代わって、ルネが言いました
「ジョヴェは、文字を読むのが好きで
文字の書いてあるものなら、なんでも読むんです
うちにあるのは、とっくのとうに読んでしまって
それで足りないから、って、よその家のも読み漁ってて
畑から帰ったら、ジョヴェが勝手に家にいて
何か読んでいた、って、笑い話にされてるくらいで」
それが笑い話にされるのが、この郷のすごいところでしょう
基本的に、どこの家も鍵をかけずに開けっ放し
留守中誰かが勝手に入り込んでいても、まったく気にしない
この郷では、それが普通なのでした
「ジョヴェさんは、書物がお好きなのですか?」
「…この郷には、書物はあんまり、ないから…」
ジョヴェさんは少し残念そうに首を振りました
「そうですか…
私のものでよかったら、鞄の中に何冊かあると思います
家に帰ったら、差し上げましょう」
そう言うと、はっとしたようにこちらを見上げました
「本を、持って、いるんですか?」
「…ええ…
ほとんどは、お父様に持って行くように言われた
教義書ですけれども…
小説の類も、一冊くらいは…」
あった、と思います
もっとも、私はあまり本を読む習慣がないので
ちょっと、自信はありません…
「帰ったら、鞄をあさってみます!」
「どんなものでも!
字が書いてあるものなら!」
ジョヴェさんは、別人のようにきらきらした目をして
私を見上げました
「人間の街には、本を売るお店があるのでしょう?
いいなあ…
大きくなったら、僕、人間の街に行くのが夢なんです」
「まあ、そうでしたか」
異種族の方たちは、人間のことを敬遠される方も多いです
けれども、こんなふうに、きらきらと、人間の街に行って
みたい、と言ってもらえるのは、嬉しいものだと思いました
「私の故郷にも、小さいけれど、本を売るお店はありました
もっとも、本だけではなくて、お菓子やお茶も一緒に
売っているのですけれど」
「えええっ?!
お菓子と本を一緒に売っている?
そんな幸せなお店があるんですか?」
あ、まあ…
幸せと言えば、幸せ、ですねえ?
「そのお店は、あまりたくさんの本は置いていませんけれど
神殿には、本がたくさんありました
お父様は読書が大変お好きで、ご自身の本を
どなたにも読んで頂けるように、と、解放していたのです
村じゅうの方々が、お気に召した本を自由に持って帰り
読み終えたら、返しにこられて
なかには、もう自分は必要ないからと
寄付してくださる方もあり
神殿は村の図書館のようにもなっておりました」
「図書館!
聞いたことがあります!
誰でもただで本が借りられる魔法の場所!」
魔法、ではありませんが
けれども、本の好きな方にとっては、魔法に近いかも
しれません
ジョヴェさんはすっかり心を開いてくださったのか
私の手をいきなりぎゅっと握りました
「いつか、聖女様のその故郷へ、僕も行っても
いいですか?」
「え?
ああ、もちろん!
宿なら、神殿に泊まってくださればいいですし
素敵なお店や、景色のよいところも、たくさん
案内いたしましょう」
この郷でもこんなにお世話になったのですから
その恩返しもしないと、です
ジョヴェは小躍りしながら、私の手を振り回しました
「嬉しいな
え?もしかして、神殿に泊めてもらえるってことは
僕、一晩じゅう、そこの本を読めるってこと?」
うへへ~、と宙を見つめてうっとりしたかと思ったら
そのまま、こてん、と倒れてしまいました
「う~れ~し~す~ぎ~る~~~」
こんなに喜んでいただけるなんて
なんだか、いいのかしら、って思ってしまいます
「それより、ジョヴェ、オクサンのことだけどさ」
うっとりしているジョヴェを引き戻すように
ルネが話しかけました
「あ、創成期の英雄、のこと?」
ジョヴェは途端に真顔に戻って、そう聞き返しました
「うちには日記をつけるようなご先祖はいなったんですけど
よその家には古い日記を大事にとってあるところもあって
ジョヴェはそれを読んだんだよね?」
ジョヴェは、小さく頷きながらも、うーんと首を傾げました
「なにせ、三百年前の個人の日記ですからね
文字も読み取りにくいし、言葉遣いも違っているし
ところどころ、虫に喰われて読めなくなってもいるし
なにより、それが本当にあったことかどうかなんて
誰にも分らない
もしかしたら、誰かの作り話かもしれない
んですけど…」
慎重に断りを入れてから、ジョヴェは続けました
「古い日記のなかには、創成期の英雄について
書いてあるものが、いくつか、あったんです
だけど、それは、英雄本人の日記ではなくて
英雄の家族とか、直接の知り合いの日記
というわけでもなくて
英雄のことを小さいころに聞かされた人が
大人になってから思い出して書いた、みたいな
すっごく、曖昧なもので…」
やっぱり、オクサンのことは、禁忌として
みなさん、話すことを避けておられたのかもしれません
「また聞きのまた聞き、なうえに、文章もところどころ
欠けてたりするし
解読不能なところもたくさんあって
僕も、まだ、全容がちゃんと分ってるとは言い難い
というか…」
「ジョヴェさんって、なんだか、どこかの学者さん
みたいですね?」
はっきりと確信のもてること以外は口にしない
そういう人を学者さんと言うのだと
お父様に伺ったことがありました
「ジョヴェはきょうだいで一番賢いんです
いつか、王都の学校に入って、勉強するといい、って
じっちゃんばっちゃんは言ってます」
「本当に
そうなさるといいと思いますよ」
そう言うと、ジョヴェさんはまたうっとりとした顔に
なりました
「そうなれたら、どんなにいいか~
王都には、本を売る店もたくさんあるだろうし~
王立図書館?ってとこには、人間が一生かけても
読めないくらいたくさん本があるんでしょう?」
「私は、王都に行ったことはありませんが
シルワさんなら、ご存知かもしれません
今度、聞いてみますね?」
そう言ってから、ちょっと、シルワさんのことを
思い出してしまいました
少しの間、お暇を、とおっしゃって、どこかへ
行ってしまわれたシルワさん
みなさんは、そう心配することもないと
おっしゃいますけれど
やっぱり、こうして離れていると
心配、はしてしまうのです
「…シルワさんのために、オクサンのこと調べてるんだ
って、兄ちゃんから聞きました」
その声にはっと我に引き戻されました
うっかり物思いに沈んで、心配をさせてしまったようです
「…申し訳ありません、シルワさんのことを思い出すと
つい…」
「シルワさんは、聖女様の大切な方、なんですね?」
「…みなさん、大切な方ですよ?
シルワさんだけではなく
フィオーリさんも、お師匠様も、ミールムさんも
あなたも、ルネさんも、ドメニカさんも…」
みなさんの名前を上げていく私を遮るように
ジョヴェは言いました
「あ!違った
言い方、変えます
シルワさんは、聖女様にとって、特別な人
なんですよね?」
「…特別な人…?」
神官は誰かを特別と思ってはいけない、と教義にはあります
すべての人を、等しく、大切に思わなくてはならない、と
「…それは、私にも、分りませんけれど
もし、そうだとしたら、私は神官失格です」
「気持ちは、誰にも、止められないんですよ、聖女様」
ジョヴェは大人びた顔をしてそんなことを言いました
私は目を丸くしてしまいました
「あ、こいつ!
すいません、聖女様、ジョヴェが、なんか
失礼なこと…」
ルネは慌ててジョヴェの口をおさえましたけれど
その言葉はもう、私の心に深く刺さっておりました
「…人を愛することは、素晴らしいことだ、って
大精霊も言ってますよね?
なのに、神官は、誰かを愛しちゃいけない、なんて
そんなの矛盾してます」
ジョヴェはきっぱりとそう言い切りました
私はまじまじとジョヴェの顔を見つめてしまいました
ホビット族は、一人前の大人だとしても
小柄なせいか、ついつい、幼く見えてしまいます
ましてやジョヴェは、見た目だけでは、幼い童子の
ようなのに…
言っていることは、私よりもずっと大人びていると
感心してしまいました
「英雄にもね、恋人がいたんです
その恋人のために、オークになったんだ、って
そう書いてある日記があったんです」
え?
オクサンには、恋人が?
ジョヴェは、少し何かを考える目をしてから
こちらをじっと見上げました
「聖女様になら、この話し、します」
その真剣な目に、私は思わず、ごくりと唾を飲みこみました




