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夢を、みました


夢のなか、私たちは必死に走っておりました

目の前のアニマの木には、小さな扉が開いていて

急いでくぐらなければなりません

自分たちの、私たちの、世界に戻るために


扉は、到底、人がくぐることなどできそうもないほどに

小さく見えました

けれども、先頭のフィオーリさんは躊躇いもなくくぐり抜け

それに、ミールムさんが続きました


扉に飛び込む、ほんの一瞬手前

私は、僅かに、躊躇っていました

すると、すぐ前にいたシルワさんが

振り返って、手を差し出してくださいました


「聖女様、さあ、お手を!」


シルワさんの手を掴むと、軽く、引き寄せられました

そのとき、ふと、夏祭りで踊ったことが頭を過りました


ああ、そうだった


確かに、あのときも、ほんの一瞬

夏祭りのことを思い出してしまいました

そして、あまりにも場違いだ、不謹慎だと

己のことを恥じていました


もしかしたら、この夢は、あのときあったことを

そのまま再現してくれているのかもしれない…?


はっと、気づきました

バネタロウさん!と思いました

あのときは、知らない間にいなくなってしまったけれど


急いで振りかえりました


私のすぐ後には、お師匠様が続いておられました

そのお師匠様のむこうに、ぴよん、と小さな影が見えました


そうか、バネタロウさんは、ここで…


思わず、バネタロウさんの方へ手を伸ばそうとしました

けれども、その手は宙を掴んだだけでした


バネタロウさんの周りには、丸い扉の形に

精霊界が見えていました

バネタロウさんは扉のむこうに降り立つと

急いで扉を閉めました


その、扉が閉まるほんの一瞬前に

扉に押しかけようとする精霊たちが見えました


バネタロウさんは、私たちを追いかけてきた精霊から

助けてくれたんだ

ようやく、そのことに気づきました


実際には、これは全部、ほんの瞬き三つくらいの間に

起きた出来事でした

けれども、夢のなかでは、時間はとてもゆっくりと

進んでくれました


きっとこれは、大精霊様の啓示に違いない

そう思いました

うっかりぼんやりな私に、何かに気づかせようと

してくださっているに違いありません


それはもう終わってしまったことで

起こってしまったことを変えることはできません

けれど、そこで気づかなかった何かに気づけば

この先起こる何かを変えられるかもしれない


私は、隅から隅まで見逃すまいと五感を研ぎ澄ませました

夢の中ですけれど、音も匂いも、風の気配も

そこは、現実世界と同じにありました


扉を潜り抜けるとき、ふわりとよい香りがしました

そうだ、確かに、精霊界に行ったときにも

そして、精霊界から戻ったときにも

同じ香がしたことを思い出しました


あのときは、とにかく無我夢中で、それと気づく間もなく

次から次へと起こる出来事に対処するので精一杯でした

けれども、確かに、この匂いには覚えがありました


それは、よく知った故郷の懐かしい匂いと似ていました

故郷の聖堂で焚いていたお香の匂いです

そういえば、シルワさんのお家にほんのりと漂う香りも

どことなく似ていた気がします


精霊界にいる間も、ずっと、この匂いがしていました

それは、気づかないくらい微かな匂いでしたけれども

私にとっては、それは懐かしい故郷を思い出すもの

ずっとずっと、心のどこかにひっかかっていました


あまりに次々といろんなことがあり過ぎて

それをそうとは気づかぬままに

けれども、確かに、それは、間違いなく

そこにありました


思えば、あの精霊たちに連れて行かれた夏祭りのときも

同じ香りを嗅いだ気がします


大精霊様は、私に、何に気づけとおっしゃって

いらっしゃるのでしょうか?

それは、今はそれとは気づかないけれど

きっと何か大切なことに違いないのです


それからまた、はっと、気づくと

そこにシルワさんがいらっしゃいました

シルワさんは、妖精の粉に縁取られた影ではなく

ちゃんと、エルフの姿をしていました


シルワさんは静かに微笑んでおられました

けれども、その微笑みを、どこか淋し気だと

私は感じました


シルワさんは私の前に膝をつくと

見上げるようにしておっしゃいました


「聖女様、ほんの少しの間、お暇を乞いたいのです」


「どこかへ行ってしまわれるのですか?」


途端に私は不安になって、シルワさんのほうへ

手を伸ばしました


シルワさんはその私の手を取って、優しく

両手で包み込むようにしてくれました


「何度も悲しい思いをさせてしまい、申し訳ありません

 けれど、きっと戻ってまいります

 どうか、お許しください」


こちらを見上げるシルワさんの瞳を見ると

その決意が固いのが分りました


いったいどこへ、なにをしに行くのか

尋ねてみても、きっと、教えてはくださらないでしょう

だとしても、尋ねずにはいられませんでした


「どこへ行かれるのですか?

 ついて行ってはいけませんか?」


シルワさんの瞳の色が深くなります


昔はもっと淡く明るい色の目をしていらしたのだそうです

今のこの色になったのは、オークになりかけているから

シルワさんはそうおっしゃって、この瞳の色を

あまり好いてはいらっしゃらないようでした


けれども、私は、シルワさんのこの瞳の色が好きでした

穏やかで、深みがあって

どんなことでも受け容れてくれるような優しい色

そんなふうに感じるのです


シルワさんはあくまで穏やかに、静かにおっしゃいました


「…聖女様を煩わせるようなことではありません

 ただ、ほんの少し、時間がほしいのです」


「時間?」


いったいなんのための時間でしょうか

けれど、それを問う前に、シルワさんはおっしゃいました


「はい

 今のままでは、わたしはただの役立たず

 このまま聖女様に同行しても、なにひとつ

 お役に立つことはできません

 せめて、それを改善したく…」


「シルワさんは、役立たずではありません!」


思わず私はシルワさんのお言葉を遮ってしまってました


「シルワさんはシルワさんとしてそこにいらっしゃるだけで

 私たちの大切なシルワさんです

 役に立つとか立たないとか、そんなことは一切

 関係ありません」


強く主張する私に、シルワさんは少し苦笑なさいました


「そんなふうにおっしゃって下さる方と出会えたわたしは

 間違いなく、幸運の星のもとに生まれたのでしょうね」


「それなら、私も負けてはおりません

 シルワさんや、みなさんと出会い

 こうして共に旅をしていられるのですから

 シルワさんより、お仲間のどなたより

 一番幸運なのは、この私です!」


本当に、こうしていられる毎日に

これはきっと大精霊様のお導きに違いないと思うことは

とてもとても、たくさんあるのです


シルワさんは微笑んで、またあの、深い色の瞳になりました


「そんなあなただから…

 少しでも、お役に立ちたい、力になりたい

 あなたに喜んでいただけるようなことをしたい

 そんな浅はかな願いを持ってしまうわたしを

 憐れんでください」


シルワさんは視線を逸らせて、小さくため息を吐きました


「取るに足りない愚かなわたしには大それた願いだと

 自覚はしています

 けれども、それでもわたしは、あなたの笑顔のために

 少しでも、この力の及ぶことがあるのなら

 いつもそう願い続けてしまうのです」


シルワさんは、私の目を真っ直ぐにじっと見つめました

その瞳には、何を言っても変えることのできない

決意のようなものが伺えました


「それほど長くはならないと思います

 そもそも、あなたから遠く離れて

 このわたしが、はたして、息をしていられるのか

 はなはだ疑問なのです

 すぐにも、この命、潰えるかもしれないと

 本当に、誰より不安に思っているのは

 このわたし自身です

 ただ、あなたの許に再び帰りたい

 その笑顔をこの目に焼き付け

 この手に、あなたのぬくもりを感じたい

 その一心で、耐えていこうと思いますけれど

 そんなやせ我慢、いったいどのくらいもつものか…」


そっと手を伸ばして、ゆっくりとシルワさんは

私の髪に触れました


「お願いがあります

 あなたの髪を一本、いただけませんか?」


「髪?

 そんなものでよろしければいくらでも!」


ひと掴み毟り取ろうとした私の手を、そっと抑えて

シルワさんは、丁寧に一本だけ摘まむと

引き抜いたりはせずに、途中からぷつりと千切りました


「これを、こうして、お守りにしていきます」


シルワさんはその髪を自分の小指に丁寧に結びつけました


「お守り?

 ならば、私にも、シルワさんの髪をください!」


私は思わずそう訴えましたが、シルワさんは

少し困ったように笑いました


「…わたしは今、霊魂の状態ですから…

 髪は、また、今度でもよろしいですか?」


そう、でした

私はしょんぼりと頷くしかありませんでした


けれど、その、お守り、の言葉に思い出したものが

ありました


「そうだ!お守り!

 これを、持って行ってください、シルワさん!」


私は、泉の精霊からもらった小瓶を取り出しました


「これならきっと、髪よりもっと

 ちゃんとシルワさんのお役に立てます

 どうか、これだけでも、連れて行ってやってください」


小瓶のなかには、泉の精霊が作ってくれた

涙の結晶が入っていました

シルワさんは小瓶の中身を確かめて、おおと呟きました


「これは、なんと、有難い

 このような貴重なものをいただいてしまうのは

 とてもとても、申し訳ないのですけれど

 それでも、きっとわたしが戻ってくるという

 決意を示すためにも

 これはいただいて行きましょう」


シルワさんは、丁寧におしいただくように

小瓶を受け取ってくださいました


「それでは、聖女様、ごきげんよう

 どこにいても、なにをしていても

 いつも、あなたの健康とご多幸を

 祈ります」


シルワさんは神官様のような仕草で祝福を授けると

ほんの少しだけ、私を引き寄せて

私の頬にシルワさんの頬を近づけました


「きっと、戻ります

 わたしの大切な、マリエ」


びっくりいたしました

シルワさんが、聖女様、ではなく、マリエ、と

呼んでくださったのは、初めてでした


その拍子に、すとん、と、まるで温かく居心地のいい

闇の中へ落ちていました

そのまま、私は、朝まで昏々と眠り続けていました








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