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妖精さんの描いた扉は、私たちが通り抜けるのには
小さすぎるように見えました
それでも、思い切って飛び込むと、するすると
吸い込まれるように、私たちはそれを潜り抜けて
おりました
潜り抜けたそこは、てっきりどこかの森だと思ったら
見晴らしのいい丘の上でした
明るいお日様がさんさんと照らしています
高いところにあるお日様をみると
今はちょうどお昼くらいでしょうか
丘のふもとにはたくさんの畑があって
一休みする人たちの姿もちらほらと見えました
「こんなところにアニマの木があるなんて…」
ミールムさんも驚いたみたいです
扉を潜り抜けた途端、あの妖精さんの姿も見えなくなって
しまいました
妖精さんは、これから、見つけてくれる相手、を探して
長い時を耐えなければならないのでしょう
私はもう一度だけ、見えない宙にむかって、妖精さんの
幸運を願い、祈りを捧げました
きょろきょろと辺りを見ていたフィオーリさんが
突然、ああーっという叫びをあげました
「ここ!ここ!ここ!」
「なんだい、いつから君は鶏になったんだい?」
ミールムさんの意地悪は気にせずに
フィオーリさんはおっしゃいました
「ここって、おいらの故郷っす!」
言われてはっと気づきました
確かに、この景色には見覚えがあります
以前、ほんのしばらくの間、滞在した
ここは、フィオーリさんの故郷の近くの丘でした
「これって、もしかして、オクサンを埋めた場所?」
ミールムさんはアニマの木を見上げて呟きました
オクサン、というのは、フィオーリさんの郷にいた
オークでした
どんな事情があったのかは分かりませんけれど
フィオーリさんの郷のホビットさんたちは
そのオクサンと共に暮らしていたのです
オクサンは、郷の自慢の氷室に住んでいたオークでした
住んでいると言っても、かちこちに凍り付いていたのです
オクサンは、お湯をかけると、かーっ、と一声叫んで
走り出します
大好物は、氷室の最奥にしまいこまれた三百年前のチーズ
それを塊のままばりばりと召し上がっては
オークの怪力を使って、荒地をばりばりと耕します
明るい昼間は、オクサンは氷室のなかで眠っています
お日様の光に晒されると、たちまち溶けてしまうからです
そのオクサンのために、郷の人たちも、昼間寝て、夜働く
ようにしていました
あぜ道に敷き詰められたヒカリゴケの淡い光が
とても綺麗だったのを、よく覚えています
満月の前後も月が明るすぎてオクサンには辛いので
満月休み、と言って、畑仕事はお休みしていました
その間は、楽しいお祭りの期間でもありました
フィオーリさんの郷は、元々、畑のたくさんある
豊かな土地柄でした
けれども、オクサンのおかげで、さらに畑が増えて
ますます豊かになりました
オークというのは、恐ろしいもの、悪いもの
私たちはみんなそう思っています
こんなふうにオークとも共に暮らす人たちがいることを
私は初めて知りました
そうして、オークですら仲間として受け容れてしまう
ここの人たちに、とても感心したものでした
そのオクサンは、氷室に迷い込んだ子どもを助けて
お日様の光を浴びてしまいました
郷の人たちは、オクサンの残した布や形見を集めて
郷のよく見渡せる丘に埋めました
私たちの通ってきたアニマの木は
ちょうどそのオクサンのお墓を作った辺りにありました
オクサンがいなくなって、みなさんはまた昼間、畑仕事を
するようになったのでしょう
「これって、オクサンのオークの涙から
生えた木なのでしょうか?」
「そうやろうねえ…」
そのとき、はっと気づきました
精霊界ではずっと隣にいてくださったシルワさんの姿が
どこにも見えません
「あの!シルワさんは?」
「あー…そっか
こっちだと見えなくなるのか」
ミールムさんはそうひとりごちると
何もない宙にむかっておっしゃいました
「シルワ?聞こえてる?
ここ、僕の前に来てもらえるかな?」
返事はありません
けれども、ミールムさんは、構わずに話し続けました
「妖精の粉、ふりかけるから
そうしたら、君の姿も、みんなに見えるようになる
ここ、僕の前の、ここに、ちゃんといてよね?」
やっぱり返事はなかったのですけれど
ミールムさんは、気にしない様子で
指先から、ぱらぱらと妖精の粉をふりまき始めました
すると、どうでしょう
きらきらと輝く妖精の粉にふちどられて
ぼんやりと人の姿が浮かび上がってきたではないですか
ひょろりと背が高く、ほっそりとして
少しばかり前屈みになった懐かしいシルエット
「シルワさん?
ちゃんといらしたのですね?」
嬉しくなって思わず飛びつこうとしたら
ばふっ、と妖精の粉が吹き飛んで
そこだけ、影は見えなくなってしまいました
「あー…粉って飛びやすいから
それに、実体はないから、触ったりはできない」
私は慌ててうんうんと頷きました
ミールムさんは消えてしまったところに再び粉を足して
いきました
すると、また、シルワさんのシルエットが現れました
シルワさんは申し訳なさそうにこちらに何度も頭を下げて
みせます
「そんな、とんでもない
謝らないといけないのは、私のほうです」
私は慌てて、シルワさんよりたくさんぺこぺこと
頭を下げました
「あと、こっちの声は聞こえてるはずだけど
シルワは声は出せない
何か伝えたいときは、身振り手振りでよろしく」
シルワさんは、また、うんうん、と頷いておられます
それにしても、なんということでしょう
シルワさんにこんなご不便を強いるしかないとは
これは、なるべく早く、からだに戻っていただかなければ
なりません
「あの、シルワさんは、からだのところに行けば
ご自分で元に戻れるのですか?」
シルワさんが自分にかけた仮死状態になる魔法
それを解くには、シルワさん以上の力のある魔法使いさんが
必要なのだとか
けれども、私たちには、そんな方にはあてもありません
もちろん、必要となれば、探すだけのことなのですけれど
シルワさんは、私の問いに、僅かに首を傾げました
そうですか
シルワさんご自身にも、お分かりにならないのですね?
それは、いたしかたありません
「とにもかくにも、まずは、こっちに戻ってこられて
よかったっす」
気を取り直すようにフィオーリさんはおっしゃいました
「さてと、これから、どうする?ってことやけど
まずは、シルワさんのからだのところへ、戻るとするか」
「今のままじゃ、あまりにも不便過ぎるからね
オーク化のほうは、まあ、当分、マリエの涙を
使うしかないかな」
「もちろんですわ!
シルワさん、どうかお気になさらずに、使って
くださいませ」
私は強く訴えましたけれど、シルワさんはまたかすかに
首を傾げただけでした
涙のなかには、瞬き一回分の私の寿命が含まれる
シルワさんはそのことを気にしていらっしゃるのです
私はそんなことより、シルワさんのほうが、ずっと大切
なのですけれど
「泉の精霊の言ってた、シルワとネムスの病の話し
そっちをなんとかすれば、シルワだってもう
余計な心配はしなくて済むよね?」
ミールムさんは少し強い口調でそうおっしゃいました
今度はシルワさんのシルエットも、うんうんと
力強く頷いてくださいました
「確かに、その通りや
けど、その手掛かりとか、なんかないもんかな?」
お師匠様は腕を組んでうーむと唸りました
「オークになる病、っすよね?
そんな病があったなんて、おいら今の今まで
知りませんでした」
「多分、誰も、知らんかったやろ
けど、オークには、即座になってしまう場合と
ゆっくりなる場合があったんは確かや
それは、わたしらもみんな、なんとなく
よう知っとったことや」
みなさん、シルワさんのシルエットも含めて
うんうん、と頷きました
「そういえば、オクサンって、どうやってオークに
なったんっすかね?」
誰にともなく、フィオーリさんが尋ねました
「いやそれ、僕らに聞く?
それ、君が知らなければ、僕らはもっと
知ってるわけないと思うんだけど?」
「っすよね…」
フィオーリさんはずっと遠くを眺める目をしました
「うちの、じっちゃんなら、知らないかな…」
「どっちみち、こんな近くまで来といて
素通り、っちゅうわけにもいかんやろし
ご挨拶に寄らせてもらおうか」
お師匠様がそうおっしゃったのを合図に
みなさん、いそいそと丘を下り始めました




