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扉を潜り抜けた途端、そこに奇妙な生き物がいました
いえ、これは、生き物?なのでしょうか?
けむくじゃらの頭?からだ?から
ばねのような手足が四つ、生えていて
びよん、びよん、と飛び跳ねています
けむくじゃらの真ん中には、まん丸い目がふたつ、あります
両手を上に差し上げて、びよん、びよん、と飛びながら
丸い目はじっと扉を抜けてくる私たちを見ておりました
と、何を思ったのか、いきなり
けむくじゃらは私にむかって飛んできました
ばふっ!
「聖女様?!」
見慣れない生き物?の突然の行動に、その場の全員が
驚いたみたいでした
けむくじゃらの行動は、誰も追いつけないくらい素早い
ものでした
気が付くと、けむくじゃらは私の顔に、正面から
しがみついていて、ききーっ、と奇妙な声をあげました
目の前は毛でいっぱい
ほんのりと温かくて、ふかふかしています
ちょっとお鼻の辺りがむずむずしますけれど
とりあえず、どこも痛くはありませんし、重くもありません
息も問題なくできておりました
「こーら、こら、こら」
ミールムさんがそう言いながら、けむくじゃらを
私の顔からどけてくれました
けむくじゃらは、首の後ろ?の辺りを
ミールムさんにつままれて、ぶら下げられておりました
指二本でつままれるなんて、ああ見えてかなり軽いのかも
しれません
けむくじゃらは、ミールムさんにぶら下げられながらも
きーっ、きーっ、と私のほうへ手を伸ばしていました
「分かった分かった
お前がマリエ大好きなのは分かったから
マリエ、ちょっと悪いけど、こいつ、だっこしてやって
くれる?」
そんなのはお安い御用です
私は、ミールムさんの突き出したけむくじゃらを受け取ると
胸に抱きしめました
けむくじゃらは、ほっとしたように
さっきより小さな声で、きーと鳴きます
まあ、可愛い
私は抱きしめて、すりすりと頬ずりをしました
「流石、聖女様!
聖女様の手にかかると、化け物もイチコロっすね?」
「なんや、そうしてると、可愛く見えるね?」
「聖女様の深い慈しみは、精霊をも
こうして手懐けてしまうのですね」
化け物だなんて、酷い言われようです
こんなに温かくてふわふわで、柔らかいのに
「こいつがこちら側から扉を開いてくれたんだよ
みんな、一応、お礼言っといて」
「まあ!そうでしたか」
「へえ、こいつが?」
「つまり、この方も、精霊さん、やねんな?」
みなさん口々に有難うとおっしゃいました
毛むくじゃらはまん丸い目を見開いてみなさんを見ると
きーっ、と一声鳴きました
「へえ?報酬はもうこれでいいって?」
ミールムさんは、精霊さんと何やらお話しを始めました
「まあ、こっちは旅の途中だし、それは助かるけどね
ふふ、確かに
マリエに抱きしめられるのは、それなりに値打ちあるね
いや、じゃあ、まあ、助かった」
きょとんとしているみなさんに
ミールムさんは説明してくださいました
「無理やり扉を開いたからさ
こっち側からも力を貸してもらわないといけなかったんだ
たまたま通りかかったバネタロウ
あ、こいつ、バネタロウっていうんだけど
バネタロウがこっちから扉を開けてくれたんだよ」
「それって、たまたまバネタロウさんだったから
よかったものの、もしかして、意地悪な精霊さんだったら
かなり、まずかったのではありませんか?」
「まあ、いいじゃないっすか
ちゃんとバネタロウさんが通りかかってくれたんっすから
結果オーライっすよ」
フィオーリさんは、からからと笑い飛ばしてしまいました
「まあさ、僕もこう見えて妖精さんだし?
その辺りの幸運度には、自信、あるから」
ミールムさんはなんだか得意そうです
「やれやれ
それにしても、なるべくなら危険なことは
事前に避けるようにしておきたいと思いますけれど」
「みんながみんな、そんなシルワさんみたいな心配性
やっても、先に進まんで困るけどな
今はシルワさんもお…」
はっ!!!
本当にそんな音がしたかと思いました
全員が注目したその場所には
なんと、にっこり微笑む、シルワさんが
佇んでいらっしゃったのでした
「えっ?ちょっ?なんで?」
「し、シルワさん、っすか?
幽霊、っすか?」
「いえいえ、幽霊じゃありませんよ?
もっとも、この状態は、生霊?ってことに
なるのかもしれませんねえ?」
うろたえるお師匠様とフィオーリさんに、ふふ、と笑うと
シルワさんは、私の前に膝をつかれました
「ご心配をおかけいたしました、聖女様」
「し、シルワさん?
まさか、こんなに早くお会いできるなんて…」
嬉しいのです、もちろん
嬉しいにきまっています
けれども、嬉しすぎて、言葉も出てこないのです
じっと私の顔をごらんになっていたシルワさんは
かすかに眉をひそめると、失礼、と言って立ち上がりました
ふわり、と引き寄せられて、目の前がシルワさんの白い衣で
いっぱいになります
シルワさんの香りがして、私の世界はシルワさんで
いっぱいになりました
きーっ、と腕のなかのバネタロウが、少しばかり窮屈そうに
鳴くのが聞こえました
けれども、私の心は、もうその声も聞いていませんでした
シルワさんだ
シルワさんだ…
シルワさんが、帰ってきた!
嬉しくて嬉しくて、頭の中はそれだけでいっぱいでした
「聖女様の泣いていらっしゃるのを、
ずっと、見ておりました
ずっと、こんなふうにお慰めできなくて
悔しく、悲しい思いをしておりました」
そう呟くシルワさんの声も、少しくぐもっていて
ほんのり涙の混じる気配がしていました
「なんや
もしかして、あんた、精霊界やのうて
ずっと、一緒におったんか?」
「この辺を、ふよふよ漂ってらしたんっすか?」
「ええ、まあ、そんな感じ、でしょうか」
みなさんに答えるシルワさんの声が聞こえました
それは、さっきより少しばかり、元気を取り戻していました
「ずっとね、呼びかけていたんですよ?
けれど、私の声は届かなくて
そんなふうに困っている私の姿を見かねて
泉の精霊は、あんなことを言ってくださったんです」
「わたしはまた、あんたは、嬢ちゃんを護るために
精霊界に残ったんかと」
「いえいえ
こちら側に出たところでね?
あちらとの接点に蓋をしておこうとしたんです
みなさんも、大層ご心配のご様子でしたし
聖女様には先に行っていただいたのですけれど
追いついたときには、誰も、わたしのことを
見えなくなってしまっていて」
「あんたが!振り返るなとかなんとか!
意味深なこと!言うからやろ!」
シルワさんはお師匠様に叱られてしまっているようです
「あのときは、精霊が追いかけてきていましたから
聖女様には恐ろしい思いはさせたくなかったのです
けど、本当に、すぐに追いつくつもりだったんです
というか、追いついていたんですよ?」
「なんやもう、しれっと、いつも通りに混ざってるし!」
「すみません
つい、いつもの調子で
というか、ずっと、普通に混ざってました
…みなさんには見てもらえなかったみたいですけど」
「そこにいる、って分かってたら
僕なら見えるようにさせてあげられたのに」
ミールムさんはちょっと悔しそうでした
「ええ、まあ、わたしもね?
いろいろと、こう、気づいてもらえないかと、ね?
試行錯誤はしていたのですけれど…
なかなか、これが、なかなか、うまくいかなくて…」
なかなか、とシルワさんはもう一度おっしゃいました
「一緒にいられて目を合わせられて、話しもできる
それがどんなに幸せなことか、と
あらためて、実感いたしましたよ」
しみじみとそうおっしゃいました
「探しても見つからないものは、案外一番近くにある、って
うちのじっちゃんも言ってました
それって、こういうことを言うんっすねえ」
フィオーリさんはうんうんと頷いています
「泉の精霊さんも、探したら見つかるとかなんとか
えらい強引に言うてはったもんなあ」
お師匠様はやっぱりまだちょっと呆れた様子でした
「とにかく、気づいていただければ、なんとかなるかな
とは、思っていたのですけれど」
「嬢ちゃん、ずっとずっと、泣いてたのに」
お師匠様の声がちょっと責めています
「それは、知ってます
本当に、それに関しては、申し訳なくて申し訳なくて
わたし自身が、涙に溶けてしまいたくなりましたよ」
あの、夢の中でずっと泣いていたシルワさん
あれは、本当に泣いていらっしゃったのでしょうか
そうや!とお師匠様は突然叫びました
「あんた!あんたのからだも、見に行ったんやで?
あそこで、からだに戻ったら、よかったんと違うん?」
「あー…いや、それに関しては…
少し、思うところもありまして…」
シルワさんはちょっと困ったように笑いました
それから、真顔になって、申し訳ありません、と
丁寧に頭を下げられました
「正直に申し上げます
いっそ、このままでいようか、と
思ったりもしたのです
ええ、ええ、それならば
聖女様にもご迷惑をおかけせずに
ずっとお傍にいられますから
けれど、そのほうがむしろ自分勝手な行動だった、と
後になって思い知ったわけなのです」
「迷惑だなんて…
もしかして、涙のこと、ですか?」
シルワさんはあれをいつも酷く恐縮しておられますけれど
私は、全然、いえ、むしろ、進んでそうしていたのです
シルワさんは、深い目の色になって、はい、と頷きました
「そんな!
私はあれを恥ずかしいとは…」
「もちろん、慈悲深い聖女様のこと
下々の下世話な想像など、するほうがどうかしています
ただ、それだけではなくて…」
シルワさんは少し言いにくそうに躊躇ってから
いいえ、これは、はっきり申し上げなくては、と
顔を上げました
「家には、昔使っていた道具が、いろいろとありまして
それを使って、聖女様の涙を魔法分析してみたのです」
「はあ?魔法分析?」
「どのような成分が入っているのだろう、と
まあ、最初は、興味本位、という感じだったのですが…」
シルワさんは、ふぅ、とため息を吐かれました
「ほとんどの成分は、思いやりと慈しみ
それから、ほんのりと、夢や希望もちりばめられ
これほど美しいものが、この世にあるのかというくらい
光り輝く涙に、思わずため息を吐いてしまうほどでした」
ほんの少し、うっとりとした表情で斜め上を見つめ
けれど、すぐにその視線を下げてしまわれました
「ただ、その奥の奥、もっと奥に
眩く煌めくなにかがあって
その正体を知ろうと、わたしはさらに分析を進めました
そうして、知ったのです
あの涙の奥の奥、本当の涙の正体と言うべきものは
聖女様の命の欠片だったのだ、と」
「命の欠片?!」
その場の全員が一斉にそうおっしゃいました
それは、少し気まずいほどに、みなさん、真剣な目を
していらっしゃいました
シルワさんは、重々しく頷きました
「涙一粒に、瞬き一回分ほどの
聖女様の寿命の欠片を、わたしはずっと
知らずにいただいておりました」
「瞬き一回?」
それを長いと感じるか、短いと感じるかは
人によって少しずつ違うようでした
お師匠様はひどく険しい顔をなさいましたし
フィオーリさんは、少し安心した顔をなさっています
ミールムさんは、なーんだ、と付け足しました
そして私自身は、ミールムさんの感想に一番近い感じでした
「それに、なにか、問題が?」
「大ありですよ?聖女様
あなたの大切な命を、わたしは貪り食っていた
その事実に気づいたとき、わたしはもう
こんなことは、これ以上は続けられないと思いました」
シルワさんはきっぱりとおっしゃいました




