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帰りはアイフィロスさんが裏口を通してくださいました

本当に、ほんの一瞬で、アイフィロスさんの木に

到着しておりました


「あの迷いに迷った時間はなんだったんだ~

 って、感じ」


ミールムさんはそうおっしゃいましたけれど

他の方はあえて何もおっしゃいませんでした


「わたしは、家に帰る」


ノワゼットさんはそうおっしゃると

そそくさと行ってしまわれました


アイフィロスさんは、ここに泊まっていいと

言ってくださいましたけれど

私たちは、シルワさんのお家に帰ることにしました


何日かぶりのシルワさんのお家は

何故かひどく懐かしい感じがしました

ここにはそれほど長く滞在していたわけではありませんが

まるで、住み慣れた我が家に戻ってきたような感覚でした


みなさん疲れ果てているはずでした

それでも、フィオーリさんは泉の水を汲みに行きましたし

お師匠様は、コップに一杯、泉の水を一気飲みすると

ぷふぁー、よっしゃー、と夕飯の支度にかかりました


もちろん、私も、なにかお役に立たなければ、と思いました

お師匠様はその私に、お鍋をかき混ぜる役目を

任せてくださいました


「手抜きでごめんなあ

 今日は、献立考える元気もあらへん」


食事を作りながら、お師匠様はそんなことをおっしゃいます


「何をおっしゃいますか

 こうして支度をしてくださっているじゃありませんか」


「あ、これね?

 これはまあ、目、つぶってても作れるやつやから」


それはお師匠様ご自慢のとろとろに煮込んだシチューでした


「けど、みんな、これは絶対、食べ飽きてる

 なにせ、嬢ちゃんが行方不明やったとき

 わたし、毎日、こればっかり作ってたからな」


あの、帰ってきたときにいただいたのも

このシチューでした


「私は、お師匠様のこのシチューが大好きです

 なんだか、お家に帰ってきたんだなあ、って感じます」


あのときも、このシチューをいただいて

なんだかほっとしたのです


お師匠様はこちらを御覧になって

にこっと笑ってくださいました


「ほんま、あんた、ええ子やねえ?

 あんたがおるとおらんとじゃ

 みんなの雰囲気も全然違うわ」


それから、ことこと煮えるお鍋を見つめておっしゃいました


「わたしな、シルワさんの気持ち、分かるねん

 わたしかて、やり方知っとったら、同じこと、してたわ

 嬢ちゃんのためやったら、命も惜しくない、て

 思うもんなあ」


「…そんな!

 そのようなこと、おっしゃらないでください

 お師匠様に万一のことがあれば、とても悲しいです」


この上お師匠様まで失うのかと、とてつもなく不安になって

私は思わずその手にとりすがってしまいました


お師匠様は少し微笑んで

私の手を優しくぽんぽんと叩きました


「そない心配してくれんかて、わたしは大丈夫やで?

 そう…そうやな…

 シルワさんは、そこが分かってへんかってんな

 嬢ちゃんのことを悲しませるのだけは

 たとえどんな理由があろうと、あきません

 あの賢いお人がそこに気づかんわけはないんやけど

 よっぽど、びっくりして、焦っとったんやろなあ」


お師匠様は私の手からおたまを取ると

シチューを小皿に取って、一口味見しました


「うん、いつもの味や」


満足そうに頷いてから、私におたまを返してくれました


「ああ見えて、シルワさん

 おっちょこちょいなとこ、あるからなあ?

 突発事項に弱い、っちゅうか

 臨機応変は苦手、っちゅうか

 ゆっくり時間かけて考えられたらええんやろうけど

 咄嗟に判断せなあかんことになったら

 大抵、自分が痛みを引き受ける道を

 選びはるんよねえ…」


私はお鍋をかき混ぜながら

お師匠様の言葉を聞いていました


自分が痛みを引き受ける道を選ぶ

確かにその通りだと思いました


シルワさんは、いつも、にこにこ笑って

一番辛いところは、こっそり

引き受けてくださっているのです


「だぁれも、そんなこと、望んでへんのになあ?」


私ははっとしました

ネムスさんも、自ら、迷宮に行ったと伺いました

きっと、ネムスさんも、シルワさんに、これ以上

痛みを引き受けさせたくなかったのに違いありません


「…痛みを分け合うことができたら、いいのに…」


思わずそう呟いておりました


「シルワさんの痛みを半分、分けていただくことは

 できなかったでしょうか?」


きっと、ネムスさんも、同じことを

感じていたのではないかと思いました


「それはな?できると思うよ?

 ひとりやと、めっちゃ、痛いもんでも

 誰かに半分引き受けてもらえたら

 まあ、そこそこ痛い、くらいで済むかもしれん

 けどな?」


お師匠様はよしよしと私の頭を撫でてくれました


「嬢ちゃんに、その、そこそこ痛い、をさせるくらいなら

 めちゃくちゃ痛い、やとしても、全部、自分で引き受ける

 まあ、その気持ちも、分からんことも、…ないことも…

 ない?」


慰めてくださっているのは分かるのです

そんなお師匠様に安心していただくために

ここは頑張って、笑い返すのがいいのだと思います


私はお師匠様を見つめて、なんとか

笑顔になろうとしました

けれども、私の心は、やっぱり弱過ぎて

笑おうとするのに、目からはぽろぽろと

涙が零れてしまいました


「あぁ、あぁ、そんな無理して笑わんかて、ええて

 あぁ、あぁ、かわいそうに、かわいそうに…」


お師匠様はますます心配そうになって

私の背中を優しく撫でてくださいました


「痛いのんは、からだだけやのうて、心も痛いもんや

 シルワさんは、それをちょっと忘れてるな?

 こんなに嬢ちゃんを悲しませるなんて

 ほんま、悪いやっちゃ

 今度、会うたら、怒っといたる

 こう、めっ!ってな?」


お師匠様は何もない空間を叩く真似をしました

お師匠様は、そんなふうに誰かに暴力を振るったり

なさることはありませんけれど

見えないシルワさんを叱るように

お師匠様は拳骨でぽかりぽかりと叩くふりをしました


「ほんまにもう、あんたはアホやで

 嬢ちゃん、こんなに泣いてるやんか

 あんた、頭だけはええんやから

 守るは守るにしても、泣かさんと守るくらい

 してみせたらどうやねんな

 ほんま、ほんま、アホなやっちゃ」


何度も何度も、ぽかり、ぽかり…

叩くふりをしながら、お師匠様はずずっと鼻をすすります


「あー、まったくもう

 怒り過ぎて、鼻水、出てきてもうたわ

 ちょっと悪いけど、お鍋、見といて」


むこうをむいてそう言うと

急ぎ足でどこかへ行ってしまわれました


お師匠様も、お辛いのだ、と思いました

シルワさんがいなくなったことを、悲しくない人なんて

いないのです

それなのに、慰めてくださっているのだ、と

こんなふうに心配をかけてしまう自分の弱さが情けないです

お師匠様の優しさに答えられないのも悲しいです

なのに、どうすることも、できないのです


私の涙はもうシルワさんには必要ない


アイフィロスさんがそうおっしゃったとき

私はもう、シルワさんにとっては何の役にも立てないんだと

とてつもなく実感しました


私は、シルワさんに救っていただいたのに

シルワさんのためになることは、何も、できない…


冷たい氷の棺にもたれて、眠るように目を閉じていた

シルワさん


アイフィロスさんのおっしゃったように

あれは、シルワさんにとっては、幸せなことなのでしょうか

あの永遠に閉ざされた場所は、ご兄弟の楽園なのでしょうか


ふ、と

誰かに呼ばれた気がして、振り返りました


けれど、そこにはどなたも、いらっしゃいませんでした


そのとき、なにかが、ぷつんと、切れたような気がしました


私が、こんなふうにお鍋をかき混ぜていると

よくシルワさんは隣にいらっしゃったなあと思い返しました

今日も、美味しそうですねえ、とおっしゃいながら

お鍋を覗き込んでいらっしゃいました

聖女様、と優しく呼びかけてくださいました


…シルワさん…


ごめんなさい、お師匠様

ごめんなさい、みなさん

やっぱり、私は、強くなれません…


私はその場にずるずると座り込むと

地面に伏して泣いてしまいました


と、そのときでした


…じょ、さま~

せいじょ、さま~


あれ?

やっぱり、誰か、呼んでる?


顔をあげた私の目に見えたのは

ずっとずっと遠くからこちらに駆けながら

力一杯手を振るフィオーリさんの姿でした


「大丈夫っす、聖女様!」


フィオーリさんは一息に駆けてくると

私の前に膝をついて、下から顔を覗き込みました


「一緒に来てください!」


私の両手を取って、引っ張って立たせようとします


「え?え?あの…」


「いいから、いいから」


私は火にかけたお鍋を振り返ろうとしました

けれども、フィオーリさんはそれには構わず

ぐいぐいと私を連れて行こうとします


前にもこんなことがありました

そして、あのとき、私は、強引さに負けてしまいました

けれどもう、あんなことは繰り返してはいけません


「待ってください!

 私は、今、お鍋の番を…」


あぁ、と言ってフィオーリさんは足を止めてくれました


「目を離したら、ご馳走が焦げてしまいます」


「…それもそうっすね

 んじゃ、こうしておきましょう!」


フィオーリさんはお鍋を火からおろすと

急いで焚火に砂をかけて火の始末もしました


「これだけ煮込んであったら

 あとは温め直すだけでいいでしょ

 それより、今は、こっち、っす!」


改めてそうおっしゃいます

私も、今度は素直についていきました


あのときも、こうすればよかったのだと、気づきました

そうすれば、シルワさんを失わずに済んだのだ、と


どうしてもどうしても、私が自分を許せないのは

自分の愚かさゆえに、シルワさんを失うことになったから

申し訳なくて、悲しくて、後悔しか湧いてこないのは

それがもう、取り返せないことだから


と、ふと、フィオーリさんの湿った手が

私の手を、ぎゅっと握るのを感じました


「だいじょーぶ、っすよ、聖女様!」


フィオーリさんは私の目をじっと見て

もう一度、にこっと笑ってくださいました





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