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転がる玉子について進んでいきますと
だんだんと、吹く風が冷たくなっていきました
「ううう、なんか、寒くないっすか?」
両腕を回して肘のあたりをこすりながら
フィオーリさんがおっしゃいます
「確かになあ」
そう相槌を打った途端お師匠様は盛大なくしゃみをしました
「なんか、むこうのほうから吹いてくる風、冷たいよね?」
ミールムさんもぶるぶるとからだを震わせます
「嬢ちゃん、これ、羽織っとき」
「あ、これも、どうぞっす」
お師匠様とフィオーリさんは、それぞれ上着を脱いで
着せかけてくださいました
「…あの、いえ、これはどうぞおふたりが着ていて
くださいませ」
私は慌てて上着を返します
ノワゼットさんは、ん、と言って飴をひとつくださいました
きらきらとしてほんのりピンク色の綺麗な飴です
「飴、ですか?」
「ただの飴じゃない
からだの代謝を促進して、一時的に発熱量を増やす
要するに、寒くなくなる飴」
説明しながら、ノワゼットさんは同じものを
みなさんにも配って歩きました
口にくわえると、ふわりと甘くて
ほんのり、花の匂いがしました
そして、なにより、少しも寒くなくなりました
「けど、この飴、そんなに持ってきてないから
ちょっと先を急ごう」
分かりました、と全員、急ぎ始めました
しかし、進めば進むほど、寒さは厳しくなっていきました
「ううう、今、季節って、夏っすよね?」
「ここはまた、なんでこないに寒いんやろ」
「冬のままで時間が止まったみたいだね」
その台詞に、全員が、はっとしました
時間の止まった場所
迷宮にかけられた魔法は、風も時間も、ここを通さない
いよいよ、迷宮の最奥部に近づいてきたのかと思いました
黙っていると寒いのか、みなさん、大きな声で
話し始めました
「次に出てくる敵は、なんやろな
もう、シルワさんは、ないやろうし…」
「もしかして、シルワさんの弟さん、っすか?」
「まあ、どっちにしろ、幻なんだろうけど」
そんなことをみなさんが話していたときでした
いきなり、凍てつく空気を引き裂いて
一本の矢が飛んできました
「うひっ」
フィオーリさんは間一髪で矢を避けます
そのフィオーリさんを追いかけるように
二の矢三の矢と続きました
一呼吸遅れて、ミールムさんの防御陣が開きました
これでひと安心、と思いかけたのですが
なんとなんと、矢は次々と防御陣を突き破って
飛んできました
「伏せて」
ノワゼットさんは私の頭を抑えて姿勢を低くさせます
お師匠様もフィオーリさんも、同じ姿勢を取りました
「なに、あの矢?」
ミールムさんは信じられないというように叫びます
「まさか、破防御の術でもかけてあんの?」
「今はおとなしく、伏せとき」
お師匠様は様子を見ようと伸びあがるミールムさんの
頭を抑えて、地面に伏せさせました
ふふ…ふふふ…
遠くから、風に乗って、笑い声が聞こえてきました
「げげ…、また、シルワさんかいな…」
お師匠様はげんなりしたようにおっしゃいました
けれど、笑い声はそのひとつではありませんでした
遅れて聞こえてきた、少し低い声
はは、あははは…
「…ネムス…?」
ノワゼットさんは呆然と呟きました
「兄弟タッグとは、また、悪趣味な…」
お師匠様がため息を吐きます
「もしこれが現実だったら、シルワさんも弟さんも
嬉しいかもしれませんね」
フィオーリさんはちょっと淋しそうにおっしゃいました
「なに、言ってんの、エルフがむやみやたらと
自分から攻撃なんか仕掛けるわけないでしょ?
こんなの、現実的にはあり得ないから」
ミールムさんはちょっと呆れているようです
「あ、いや、そういう兄弟タッグじゃなくて…
もっと、こう、なんていうか、兄弟の共同作業?」
「兄弟の共同作業で攻撃仕掛けてくるエルフとか
最悪だから」
「おしゃべりしてんと
敵がくるで!」
お師匠様に叱られて、おふたりが口を噤んだときでした
ひょぉぉぉぉぉ、とひときわ冷たい風が吹き
風に乗って、吹雪が吹き出してきました
吹雪はみるみるうちに、辺りの景色を雪で染めていきます
あっという間に、周りは真っ白の雪景色になりました
そこへ、渦を巻く吹雪を背に負い、人影がふたつ現れました
どんなに目をこらして見ても、その影はどこからどこまでも
真っ白でした
それは、とても精巧に作られた雪の像だったのでした
「うわあ、雪だるまが、背景背負って、現れたよ」
「演出効果、ってやつっすか?」
「なにをまだ、呑気なことを…」
お師匠様のお小言が飛ぼうとしたときでした
それより早く飛んだのは、フィオーリさんの短剣でした
「ミールムさん!」
「おっけ~」
ミールムさんはその剣に魔法をかけます
すると剣には大きな炎が宿りました
剣は吹きつける吹雪を貫いて
ふたつある雪像の小柄なほうへと真っ直ぐに突き進みます
「さっきそっちのやった技をね?
ちょっと真似しちゃった」
てへっ、とミールムさんは笑ってみせました
けれど、短剣が、雪像に届いたと思った瞬間
横から伸びてきた手が、それを掴んでいました
剣を掴んだ手は、しゅうしゅうと音を立てて溶けていきます
そのまま肘から下が、ぼろぼろと崩れて落ちていきました
雪の中に、半分埋もれるように
フィオーリさんの剣が落ちているのが見えました
大きな像は小さな像を見て言いました
「兄様、大丈夫?」
「有難う
けれど、あなたには痛い思いをさせましたね?」
「このくらい
兄様のことを守れたなら、痛くもなんともないよ?」
ふたつの雪像は互いにいたわりあうように
声をかけていました
「なんか、らぶらぶやない?」
お師匠様が私たちの顔を見回しておっしゃいました
そうしている間にも、雪像の手は、周りから吹雪が固まって
また元通りになりました
「すごい再生力や」
お師匠様は呟きます
「…これって、もしかして、ピンチ、とか言う?」
ミールムさんは、油断なく雪像を見据えながら、
へへ、と乾いた笑い声を立てました
先ほどから、私は、ふたつの雪像に
目が釘付けになっておりました
剣を掴んだ少し大きいほうが、弟のネムスさん
小柄なほうが、シルワさんなのでしょうか
弟さんは狩がお得意だったそうですが
大きいほうの雪像は、立派な弓を携えていました
寄り添い合いいたわりあうその姿は
まさに、仲のいい兄弟そのものでした
これは、シルワさんの望んだ通りの姿なのでしょうか
弟さんは罪を犯してオークになってしまったけれど
兄弟の仲は決して悪くはなかったのだと思います
シルワさんは、弟さんのことを
困った人だとは思っていたようですが
それでも、精一杯庇い、守っていらっしゃいました
弟さんは、すっと弓を構えました
何も持っていなかったその手に
吹雪が集まって、一本の矢になりました
シルワさんは、人差し指を自分の唇に押し当てると
その矢にそっとその指を触れました
シルワさんの魔法の乗った、雪の矢をつがえて
弟さんは、きりきりと弓を引き絞ります
その姿に魅了されたように、思わず、私は
ふらふらと立ち上がっておりました
「あっ!ちょっ!」
ノワゼットさんの叫びを聞きながら
私の目は、たった今放たれた矢から離せませんでした
矢は真っ直ぐに、私にむかって飛んできます
誰かの悲鳴が聞こえた気がしました
ぱ、んっ
幼いころにぶつけて遊んだ雪玉のように
矢は私のからだに当たると、ぱん、と弾けました
ちょっと冷んやりとして、それだけでした
その途端、目の前のふたつの石像は
ぼろぼろと崩れ始めました
矢に当たったのは私なのに
何故か、壊れたのは雪像のほうでした
みるみるうちに、ふたつの像は混じり合って
こんもりとした小さな雪の塊になりました
「嬢ちゃん!
大丈夫かっ!」
駆け寄ってきたお師匠様は、矢の当たった辺りを
手でさすって確かめます
けれど、私はどこも痛くはありませんでした
「…流石…、聖女様だ…」
ぽつりと、ノワゼットさんが呟くのが、聞こえていました




