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こうして、長閑な日々は過ぎていきました
ここは本当にいつも綺麗で穏やかで素敵な場所です
アイフィロスさんの探しものはなかなか見つからず
私たちも、ずるずると滞在を続けておりました
そんなある日のことでした
いつも通りわいわいと朝食をとっていると
ノワゼットさんがやって来られました
しばらく前にもお会いしましたけれど
今日はそのとき以上に、何か思いつめた目をしていました
「お嬢ちゃんも、一緒に朝ごはん、どうや?」
お師匠様は呑気に席をもうひとつ作りましたけれど
ノワゼットさんは強く首を振りました
「あれ?お腹すいてへんのんか?
というか、お嬢ちゃん、なんや、顔色悪いんちゃう?」
心配そうに顔を見るお師匠様を通り越して
ノワゼットさんの目は、シルワさんだけを見ていました
「シルワ師
今日はわたしの懺悔を聞いていただきたく
まかりこしました」
「…ノワゼット…
前にも申しましたが
わたしはもう、泉の番人ではありません
誰かの懺悔を聞くことも、水に流すことも
今のわたしにはできないのですよ?」
シルワさんは困ったようにおっしゃいました
それでも、ノワゼットさんは頑なに言い続けました
「この場所がこれほどに清浄なのは
シルワ師のお力が、まだちゃんと働いている証拠です
これほどに動かぬ証拠がここにあるのに
何故、そのようなことをおっしゃいますか!」
ノワゼットさんはどこか責めるような口調でした
私はお気持ちを宥めようと口を開きかけましたけれど
その前にシルワさんがおっしゃいました
「聖なる泉には、聖なる泉本来の力があります
この場所が清浄なのは、その力のおかげなんです
私はむしろ、その泉に力をもらっている身
泉になにか働きかけるなど、畏れ多いことです」
ノワゼットさんも頑固なら、シルワさんも頑固でした
どっちも、互いの主張を譲ろうとしません
すると、ふ、とノワゼットさんから力が抜けました
「どうかどうか、お願いします、助けてください
わたしはもうひとりではこの秘密を抱えきれないのです」
ノワゼットさんは胸の辺りで手をもみ絞るようにしました
苦し気なその様子に、シルワさんは眉をひそめました
「それほどにお辛そうなのを見過ごすことはできません
けれど、わたしには、お助けする資格もありません」
困りました、とため息を吐いてから
はっとしたように、こちらを御覧になりました
「そうだ!
どうか、聖女様
お気の毒なノワゼットを救ってくださいませんか?」
「は、い?」
私、ですか?
私は思わず自分を指さしたまま硬直しました
まさかこちらにお話しが降ってくるとは思いませんでした
ノワゼットさんも予想していなかったのでしょう
きょとん、となさっています
「大丈夫
聖女様であれば、その任も問題なくこなせるはずです」
シルワさんは、何故か自信たっぷりに断言なさいました
わたしはなんとか反論を試みようとしました
「…あの、それはやっぱり、シルワさんでないと…」
「聖女様も神官の資格を持っておられるのですから
告解の作法はご存知でしょう?」
「…あ、それは、まあ…」
一応、一通りは習いましたけれど…
「ならば、問題はありません、大丈夫です」
「けれど、恥ずかしながら
神殿ではいつもお父様にお任せしていて…
私は、一度もしたことはないのです」
恐る恐る申し上げたのですけれど
シルワさんはまた自信たっぷりに頷かれました
「何事も、初めてということはあるものです
大丈夫、要は話しをちゃんと聞くだけのこと」
いや、あの、それはそうなのですけど
そういう言い方をすると身もふたもないと申しましょうか…
「あの、エルフにはエルフの流儀と申しますか…
そういうものも、あったりするのでは…とか…?」
「ご心配なく、大丈夫
エルフの流儀など取り立ててありませんとも
そもそも、わたしたちは、種族は違えども
同じ言葉の通じる同士
作法も何も、根本的にはそう重要ではないのですよ
同情やお説教は、むしろしてはいけません
ただ、黙って、ひたすら言葉に耳を傾ける
それだけが、大切なことなのです」
シルワさんのおっしゃることは、いちいちごもっともです
困り果てて、私は何か理由はないかと考えを巡らせました
「あ、でも、その、水に流す?
とか、おっしゃいませんでしたっけ?」
「ああ!
その部分は、横にいてひとつひとつ助言しましょう
大丈夫、聖女様ならきっとおできになりますとも」
いや、そう、何度も大丈夫を言われましても…
いっこうに、大丈夫な気はいたしません
というか、あの、ノワゼットさんは
告解というより、シルワさんに話しを聞いてほしいのでは?
「…分かりました、もう、結構です…」
突然、ノワゼットさんご自身がそうおっしゃいました
しかし、すっかり気落ちをしたご様子に見えました
「それって、懺悔、とかやなくて
シルワさん本人に話し聞いてほしいだけやないのん?」
見かねたのかお師匠様がおっしゃいました
「懺悔、ではなく?」
シルワさんは、驚いたようにノワゼットさんを見ました
ノワゼットさんはぎこちなく、首を縦に振りました
「そない難しい考えんと、話し聞いたったらええやん
シルワさん以外には聞かれたくないんやったら
わたしらは席、外すし…」
「いえ!
ならば、わたしたちがあちらへ参りましょう」
シルワさんはノワゼットさんにおっしゃいました
「泉の畔に行けば、こちらに声は聞こえないでしょう
それでよろしければ…」
ノワゼットさんはほっとしたようにシルワさんを見ました
どうしてでしょう
その目を見た途端
私の胸に言いようのない不安が込み上げました
ずきり
鋭く痛んだ胸に、私はひどく戸惑いました
今、目の前には、困難を抱えた方がいらっしゃって
そのような方々のお力になるのが、私たち神官のお役目です
ゆめゆめ、このような場面で、不安になるようなことなど
あってはならないというのに…
これは、いったい、どういう気持ちなのでしょうか
私は、自分の中にいらっしゃる精霊様に問いかけました
この世界にはありとあらゆる場所に精霊様がいらっしゃって
もちろん、人の中にもいらっしゃるのです
私の中の精霊様ならば、私のことは一番よくご存知なはず
そう思ったのですけれど
精霊様のお応えは聞こえませんでした
ただ、ひどく後ろめたい気持ちが
私のなかに渦を巻いていました
シルワさんは、ノワゼットさんを導くように
ゆっくりと泉のほうへと歩いて行きました
そのふたりの後ろ姿を、私は呆然と見つめておりました




