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七日ほど滞在して、私たちは次の旅へと
出発することにいたしました
「せめて、聖誕祭くらいまではいてくれるとよいなと
思っていたのですが…」
お父様は、少し残念そうにそうおっしゃいましたけれど
引き留めはしませんでした
「あなたはいつも、とてもお忙しそうにしていらっしゃる
思い立ったら吉日、とも申しますからね」
少し苦笑して、そう言ってくださいました
旅立ちの朝
一番号泣したのは、なんとなんと、シルワさんでした
シルワさんは、お父様にひしと抱き着いて
ぽろぽろと涙を流していらっしゃいました
「…シルワさんだけ、このまま置いていく?」
思わずお師匠様がそうおっしゃったほどです
滞在中、シルワさんは、お父様のお仕事を手伝いながら
たくさん、お話しをなさっていました
お父様のことを、とても慕っていらっしゃるようでした
「お父様!
いつか必ず、ここへ戻ってまいります
そして、お父様と共に暮らしとうございます」
…これ、私が申したのではありません
いつの間にか、シルワさんは、お父様のことを
お父様、と呼んでいらっしゃいました
お父様も、少し困った顔はしていらっしゃいましたが
その呼び方には甘んじていらっしゃるようでした
「なんや、いつの間にか、勝手に婿入り、してはる
みたいやし」
「外堀から埋める、ってやつ?
なーんて、シルワにはあり得ないか」
「婿入り、というより、本当の息子になる
って、感じっすよねえ?」
そうなのです!
まったく、いったい、どうしたことか
シルワさんは、お父様の本当の息子になりたがったのでした
お父様も、拒む理由はありませんから
ああ、まあ、はい、それなら…などと
曖昧に頷かれました
「ということは!
シルワさんのことは、兄上、とお呼びするべきですか?」
ネムスさんは、どうしましょう?
「いや、それは、ええんちゃう?」
「息子になったのは、マリエより後だから
シルワのほうが弟になるんじゃないの?」
「明日っから、シルワ!って呼び捨てで
いいんじゃないっすか?」
いえ、そういうわけには、まいりませんでしょう
本当に、このままここへ残して差し上げた方が
よいのではないかという悲しみっぷりでした
「さて
そんなら、ほんまに置いていくかな」
お師匠様はそうおっしゃると、先に立って
歩き出しました
みなさんも、それに続きます
私は、どうしたものかとシルワさんを振り返りました
すると、こっちを見たシルワさんと、ぱったり目が
合いました
「え?
ええっ!
ちょっと、みなさん、待ってください?」
びっくりした拍子に涙が止まったのか
シルワさんは慌てて追いかけてきました
解放されたお父様は、肩の辺りを、とんとんと
拳で叩きながら、やれやれ、と笑っていらっしゃいました
笑って手を振ってくださるお父様に
私も手を振り返しました
みなさんも足を止めて、シルワさんを待つ間
お父様に手を振っていらっしゃいました
追いついてきたシルワさんは、私たちと一緒に
もう一度、振り返って、お父様に深々とお辞儀をしました
それから、私たちは、誰からともなく
また歩き出しました
「シルワさん、淋しかったら、わたしのこと
お父ちゃんや思うてくれても、ええねんで?」
お師匠様は、にやっと笑ってそんなことをおっしゃいます
「は?
グランのことを?
御冗談を」
シルワさんはにべもなく断ってしまわれました
「シルワってさぁ、泉の番人の仕事は
父親から教わったんだっけ?」
「…ええ、そうなんです…」
ミールムさんに言われて、シルワさんは
少し困ったように笑われました
「あのころは、まだわたしも幼くて、父のことが大好きで
父から、いろいろなことを、ひとつひとつ
手取り足取り教わりました
お父様といると、そのころのことを思い出すようで
なんだか懐かしくて、とても、ほっとできて…
ついつい、子どものころに戻ったような気持ちに
なってしまっていて…」
「シルワさん、ずっと、お兄ちゃん、として
頑張ってきたんっすよね
おいら、なんか、分かるっす」
フィオーリさんはシルワさんの頭のほうへ
手を伸ばしました
シルワさんは、少し背を屈めて
素直にフィオーリさんに頭を撫でて
もらっていらっしゃいました
「なぁんだ、頭、撫でてもらいたかったの?
そんじゃ、僕も」
「なんやなんや、そんなことでええんかいな?」
ミールムさんもお師匠様も寄ってたかって
シルワさんの髪がくしゃくしゃになるくらい
頭を撫で回しました
シルワさんは、もう、やめてください、と
声を上げていらっしゃいましたが
ほんの少し涙を浮かべたまま
逃げようとはせず、じっとしていらっしゃいました
ひととおり撫で回して満足したみなさんは
また、歩き出しました
「それにしても、なかなか、ようできたお人やったなあ
嬢ちゃんのパパさんは」
「聖女を任されるくらいの御仁だもの
そりゃあ、人格者でしょうよ」
「なんっか、聖女様がこんなふうに育ったのも
分かる、って感じっすかねえ」
みなさんの話題は、お父様のことでした
「…それでもね、お父様も、過去にはいろいろと
お悩みもあったとか
自分も、迷い、悩み、苦しむ、ただの人なのだと
おっしゃいました
それを聞いて、わたしは、なんだか
ほっとした、というか…
これほどのお方でも、そうなのだとしたら
わたしごときが、悩むのも、迷うのも、当たり前だ、って
それで、すごく楽になったんです」
シルワさんはそうおっしゃって微笑まれました
「お父様のお傍にいて学びたい
その気持ちは強くあります
けれども、そこに至るために
わたしはもっと、修行を重ねなければ
そうも思うのです
お父様の教えの真髄を理解するためには
わたしはまだまだ、修行が足りません」
シルワさんはどこか悲し気に、首を横に振りました
「シルワさんが修行が足りないなら
私なんて、もっと、どうしようもありません」
私は笑ってしまいました
お父様はもちろん、立派な方ですし
シルワさんも、とっても、立派な方だと思います
シルワさんがお父様のことをこれほどまでに
思ってくださるのは、嬉しいのですけれど
なんだか、私には、どちらも高いところにあり過ぎて
眩し過ぎるなあ、という感じでした
「なぁにをおっしゃいます!
聖女様は、修行などなさらなくても
とっくに、体得しておられるではありませんか」
シルワさんは本気で驚いた顔になって
そんなことをおっしゃいました
まったくもう、シルワさんの、買いかぶりには
困ってしまいます
私がどれだけ不出来な弟子であったかは
これまでにも、さんざん申してまいりましたから
ここはあえて割愛いたします
そんな私のことも、根気よく導いて
なんとか、神官の資格を取らせてくださったのは
確かに、お父様でなければ、難しかったかもしれません
もっとも、合格の報せに
誰より一番驚いていらっしゃったのは
お父様でした
資格証が届いたときには、それはもうお喜びになって
届いた資格証を七日七晩、神殿にお祭りして
大精霊様にお礼のお祈りを捧げていらっしゃったほどです
私の合格は今でも神殿の七不思議に数えられております
「それで?
次は、グランのとこだっけ?」
ミールムさんが明るくおっしゃいました
「そやねえ
あとの人のところは、もう全部、行ったしねえ
まあ、折角やし、一回、行ってみても、ええかな、て」
お師匠様は少し迷うようにおっしゃいました
「もっとも
わたしも、正直どんなとこか、よう知らんのやけども」
「グランさんの故郷って…確か、オークに…」
フィオーリさんは辛そうに後の言葉を濁しました
お師匠様の故郷は、お師匠様がまだお小さかったころに
オークの襲撃で滅ぼされました
お師匠様は、お兄様たちとご一緒に逃げられましたが
ご両親とも郷のお仲間とも、そのまま生き別れに
なってしまったそうです
「そんな顔、しぃな
オークに攫われても、無事やった子もおるし
郷に戻ったら、けろっと郷も元通りやった子も
おるやんか」
お師匠様はしょんぼりしたフィオーリさんを
慰めるようにおっしゃいます
「それ、どっちも、おいらっすよ!」
フィオーリさんはちょっと笑って返しました
お師匠様もちょっと笑って、腰につけた道具袋を
大切そうに抑えました
「わたしもまだ、物心もついてへんかったし
兄さんたちから、話しには聞かされてるんやけど
自分の記憶にはなぁんにもあらへんのよ
そやから、悲しいとか、淋しいとかは
あんまり思えへんねんけど」
その袋には、お師匠様のご両親がお使いだった細工道具が
入っているのです
ご両親のお顔も知らないお師匠様にとっては
ご両親を思い出す大切なよすがでもありした
「まあ、いっぺん、この目で、どんなとこか
見てみたかった、いうんもあるし
みんな、付き合わせて悪いなあ」
お師匠様は明るくおっしゃいました
「シルワの病気のことやら
マリエの時間を超える魔法やら
次から次へと、難題ばっかやってきて
ひとつも解決しないんだけど
僕らの旅って、いったいどこへむかってるんだろうね?」
ミールムさんはため息を吐いてみせます
「それもこれも、大精霊様のオボシメシ?なんでしょ?」
フィオーリさんは慰めるようにおっしゃいましたけれど
オボシメシ、の辺りがちょっと怪しい感じになってました
「やれやれ
大精霊ここに呼んで、一回、直接、話してみたいね」
しかめっ面をして見せるミールムさんを
シルワさんは心底驚いたというように見つめます
「なんということを!
世界広しといえども、大精霊様を呼びつけようだなんて
そんな発想をなさる方はなかなかおられませんよ?」
「いいえ
大精霊様は、ここにおられますよ?」
私は、思わず、そう申しておりました
「いつも、おひとりおひとりの胸のなかに」
「お父様もそうおっしゃいました」
シルワさんは大切そうに胸に手を当てておっしゃいました
「わたしたちひとりひとりの胸の中には
精霊様がいらっしゃるのだ、と
そして、その精霊様はみな、大精霊様の分身なのだと」
「へえ~
大精霊様って、けっこう、すぐ近くにいるんっすね?」
フィオーリさんは不思議そうにおっしゃいます
「じゃ、さ、文句言いたいときは、自分に言えってこと?
なんかそれじゃ、すっきりしないなあ」
ミールムさんはますます不満気です
「ほんじゃ、おいらの大精霊様、貸してあげるっすよ
どうぞ、言ってください」
胸を差し出すフィオーリさんに
ミールムさんは、途端にぺらぺらと言い始めました
「あのさあ話しなかなか進まなくて困ってるんだけど
いい加減もうちょっと前に進めてくんないかな
ちょっと、分かってる?」
「はい?
それ、なに、言ってるんっすか?」
フィオーリさんはきょとんとしていらっしゃいます
「まあ、妖精さんの言うことは
分け分からんと相場は決まってるからな」
お師匠様はあっさりおっしゃいました
「それにしても、いいお天気ですねえ」
シルワさんは、にこにことおっしゃいました
そして、今日も私たちの旅は無事に続いております…
長い間、お付き合いくださり、本当に有難うございました
どうかどうか、あなたの毎日が、平穏無事に、幸せでありますように




