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いったいどのくらい歩いたのか
途中で、ホビットさんたちの郷に寄ったり
アルエットさんのところにも寄りました
オークの砦にも、いくつか寄りました
行く先々で、引き留められ
ついうっかり、長居をしてしまうこともあり
そんなこんなするうちに
いつの間にか秋も過ぎ去り、冷たい風の吹く
冬がすぐそこに近づいていました
温かい地方を目指して旅を続けておりましたが
それでも、季節は、私たちを追い越して
先へと進んでおりました
川や湖での水浴びもそろそろ辛くなり
宿を取れずに野宿が続くと、少し、いえ、かなり
お風呂が恋しくなります
思い返せば、日の出村のおじいさんおばあさんの
お家にあった、バスタブ
あれと同じものは、どこかの市に、売っていないでしょうか
神官たるもの、余計な荷物は増やしてはならない、と
戒められてまいりましたが
バスタブをひとつリュックに入れて持って歩ければ
かなり幸福度は上がると思うのです
とはいえ、バスタブなど、どこの市にも置いていませんから
私は道々、温かいお風呂の妄想をしながら歩き続けて
おりました
そうして、とうとう、私たちは、故郷の村へと
辿り着きました
オークの砦に聖女を捧げれば
オークたちの襲撃を免れる
そんな噂を聞いて、それならば、自分が行こう、と
旅に出たときから、もうどのくらい経つでしょうか
一応、女性神官なので、聖女と言えなくもない?
という感じだった私も、すっかりみなさんから
聖女様、と呼ばれてしまっております
もっとも、この呼び方には、いつまで経っても慣れません
できることなら、マリエ、と名前で呼んでいただきたいと
常日頃から思っているのですけれども
みなさん、なかなかそれを叶えてはくれません
あれからいろいろなことがありました
最初の砦のオークたちが、みんな光に還った後も
この世界から、オークの脅威がなくなるまで
そう思い続けて旅を続けてまいりました
その途中、いろいろな方たちと出会うこともできました
旅の仲間になってくださったみなさんはもとより
いつでも帰っておいでと言ってくださる方たち
いつの間にか、この世界のあちこちに帰る場所が
たくさんできました
それでも、やはり、生まれ故郷というものは
どこか、違うものでしょうか
この世界の脅威のなくならないうちは
故郷に帰ることはないように思っておりました
そして、今はまだまだ、道半ば
それなのにここに帰ってきてしまったことに
少し、負い目を感じておりました
けれども、そんな暗い気持ちは
大浴場に入った途端に
全部綺麗に、溶けて流れてしまいました
私の姿を見かけた村の人たちは
よく帰った、無事でよかった、と
お声をかけてくださいました
異種族など生まれてから一度も見たことがない
という方も、大勢いらっしゃるのですが
お仲間のみなさんたちも、一緒に大浴場に浸かれば
すぐに打ち解けて、仲良くなってしまわれました
きっと、この大浴場には、特別な魔法がかかっているに
違いありません
ここは間違いなく私の故郷でした
大きくて、温かくて、そこにいるだけで癒されてしまう
そういう場所でした
お風呂上りの定番と言えば
腰に手を当てて、牛乳の一気飲み
この牛乳は瓶に入ったものならなお素敵です
冷たく冷やした牛乳の、水滴のいっぱいついた瓶を
一度ほっぺに当ててから、おもむろに蓋を開きます
ごくごくと、お行儀悪く喉を鳴らし、一気に飲み干してから
ぷふぁ~、うめぇ~、と
ちょっとお師匠様の真似をしてみると
なんだか、楽しくなってきて
ひとりでに笑い出しておりました
少し頭がほかほかに
なり過ぎているのかもしれません
のぼせた頭を冷やそうと
庭に出てみました
ひんやりとした風が
火照った頬に気持ちいいです
少し歩くとベンチを見つけました
そこに腰掛けて、ぼんやりしていると
後ろからお父様の声がしました
「おかえり、マリエ」
「お父様!ただいま、です!」
帰ってきたとき、ちょうど、お父様は
お客様のお相手をしていらしたので
まだちゃんとご挨拶はできていませんでした
ご挨拶の前に、旅の埃を落としておくのもよいかと
お先に大浴場に行ってきたのです
駆け寄った私を、お父様は優しく抱き寄せてくださいました
「よく帰ってきましたね
お勤め、ご苦労さまでした」
お父様に優しく労われて、少し、申し訳なく感じました
「いいえ、まだ、何も、できておりません
本当は、もっと、何事かを
成し遂げてから、戻るつもりでした」
「そのようなことを思っていらっしゃったのですね
けれど、ここはあなたの家なのですから
何があっても、何もなくても、いつでも
帰ってきてよいのですよ?」
お父様のお優しい言葉に
思わずほろほろと涙が零れてきました
「それに、十二分に、ご立派に、ご活躍ではありませんか
あなたからのお手紙はいつもとても楽しみにしています
こちらからお返事を差し上げられないのは
とても残念ですけれど」
旅先から、折をみて、私はお父様にお手紙を
差し出しておりました
ただ、私のほうは長くひとところにはいなかったり
しますから、お返事は諦めておりました
「おお!これが、涙の玉なのですね?」
ころころと足元に転がる玉を見つけて
お父様は歓声をおあげになりました
「これは、大切なものなのでしょう?」
そう言ってせっせと拾われます
私も一緒に拾いました
「あなたの涙は困っている人たちを救ってきたのですね?
なんて素晴らしいことなのでしょう」
お父様は涙の玉を手のひらに転がしながら
ほう、ほう、と何度もため息を零しました
「この涙には、あなたのお心が詰まっています
いつも人を思いやる、優しいお心が」
お父様は拾い集めた涙の玉を
大事そうに手渡してくださいました
「善いことをなさい
あなたに救われた人の感謝の思いは
あなたのお命を、呼吸ひとつ分ずつ
長くしてくれるでしょう」
「お待ちください!」
突然、後ろからそう声をかけられて
お父様と二人、驚いて振り返りました
そこには、シルワさんと
その後ろには、お師匠様やフィオーリさん
ミールムさんまでいらっしゃいました
「まあ!
みなさん、いらしたのですか?」
「いやいや、ごめんやで?
声をかけるタイミング、見計ってたんやけど
折角の父娘水入らずに乱入すんのも無粋かと思うて…」
そう言いかけたお師匠様を押し退けるようにして
シルワさんは、つかつかとお父様に詰め寄りました
「さきほどのお言葉は、真実、ですか?
それとも、ただの、気休め、ですか?」
見開いた目は爛々と光り
その眩しさに射抜かれそうでした
「気休め、てあんた、その言い方は、失礼やろ…」
お師匠様はたしなめようとなさいましたが
シルワさんはその声は耳に入っていないようでした
エルフのシルワさんは、お父様よりも背がおありなので
高いところから詰め寄られると、なんだか息苦しさを
覚えてしまいます
いつも少し猫背で、見下ろすよりは
わざわざ下から回り込んで覗き込むようになさる
シルワさんなので、このご様子には少し驚きました
「まあまあ、シルワさん
落ち着いて…」
フィオーリさんはシルワさんの袖を引っ張って
名前を呼びます
ところが、シルワさんは、そのフィオーリさんの手を
力任せに振り払いました
「え?シルワ、さん?」
こんなシルワさんを私は初めて目にしました
びっくりして、思わず、お父様とシルワさんとの間に
割り込んでおりました
シルワさんは、私にお気づきになると
あ、と小さく呟いてから
見開いた目を一度閉じました
眩しい眼光が逸れて、私は少しほっとしました
そのまま目を閉じて、シルワさんは三度
ゆっくりと深呼吸をなさいました
再び、目を開いたとき、シルワさんの目は
いつものあの深い森の色に戻っていました




