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その後
ヒノデさんは、正式に井戸の守護霊になりました
召喚の呪文は、シルワさんが省略形をお作りになったので
おじいさんもおばあさんも、いつでもお好きな時に
喚び出してお会いになれるそうです
ヒノデさんは、これからもずっとずっと
この村と井戸を守護していかれることでしょう
村長さんのご夫妻は、お家を改造して
宿屋を始めることになさいました
その名も、エルフの森に一番近い宿、です
そのまんまだね、とミールムさんはおっしゃいましたけど
分かりやすいのはいいことだと思います
宿にお客様はまだおひとりもいらっしゃってません
エルフの森を目指してさ迷う夢追い人は
今はまだ、この地を訪れてはいません
けれど、いずれまた必ずやってくることでしょう
アイフィロスさんは、お手伝い用の魔法人形を
とりあえず、五体、作ってくださいました
魔法人形たちの働く最果ての地のお宿は
いつかきっと、大人気となるに違いありません
ノワゼットさんは、一度森の家にお戻りになりましたが
大荷物を抱えて、日の出村に帰ってこられました
これからは、森と日の出村とを行ったり来たりしながら
村長さんたちの宿を手伝われるのだそうです
いつの間にか、夏が過ぎておりました
ここのところ、朝夕には、涼しい風も吹いてきます
村の建物の修復もほとんど完了してしまいました
建物は、修復も不可能なほど荒れ果ててしまったものと
直せばなんとか使えるものとが混在しておりました
お師匠様は村長さんたちとも相談して
建物をいくつか修復なさいました
壊さざるを得なかった建物も
ちゃんと他の建物の修復の材料になりました
いつかまた、この村に人間たちがやってきて
村を再興することも、あるかもしれません
けれども、私たちには、そろそろまた
出発の時が近づいていました
シルワさんとネムスさんの病を治す方法を
私たちはまだ見つけられていませんでした
オークになりかけている、という病です
今のところ、私の涙で、病の進行は抑えられていますが
いつまた歯止めが効かなくなるかは、分かりません
なんとしても、その前に、病を完全に癒す方法を
見つけなくてはなりません
残念ながら、その方法は、ここで見つけることは
できませんでした
けれども、だからと言って、世界のどこにも見つからない
とは限らないのです
エルフの森も日の出村も、すっかり馴染んで
居心地のいい場所になってしまっていました
けれども、いつまでもここに留まっているわけには
いきませんでした
「そろそろ、また出発いたしませんか」
そう口火を切ったのはシルワさんでした
「いつまでも、聖女様の尊いお命を頂いて
この命を繋ぐわけにもまいりません
それに、冬になれば、この辺りは雪に閉ざされて
旅をするのも困難になります
その前に、温かい地方へと移動するのがよいと
思うのです」
みなさん、薄々、同じことを考えていらっしゃったのか
すぐに、同意するように頷かれました
「しかし、シルワ師
泉の番人は、どうなさるおつもりなのです?」
そうおっしゃったのは、ノワゼットさんでした
「…しかし、わたしにはもう、番人たる資格は…」
言いにくそうに口ごもるシルワさんに
ノワゼットさんはゆっくりと首を振りました
「以前のシルワ師ならば
それもやむを得ないと思いました
しかし、今のシルワ師であれば
十二分に、番人の資格をお持ちかと」
ノワゼットさんは、シルワさんを説得するように
その手を取ってじっと目を見つめました
「聖なる泉は、長い間の番人のみなさんのご尽力で
今も変わらず、清浄を保たれています
けれど、番人の不在がこれ以上の長きに渡るとなれば
いずれ、その護りに、綻びも現れてまいりましょう
どうか、シルワ師、森にお帰りになって
再び泉を護ってくださいませ」
「シルワさんがここに残らなあかんのやったら
わたしらだけ、その病気を治す方法?
探しに行ったってもええよ?」
お師匠様は親切でおっしゃったのだと思いますけれど
それを言われたシルワさんは、よろよろと座り込んで
しまわれました
「心配いらない
番人なら、僕がやるよ」
そうおっしゃったのはネムスさんでした
驚いた目が、一斉にネムスさんに集まりました
誰より、一番驚いた目をして尋ねたのは
シルワさん自身でした
「ネムス?
しかし、あなたは、儀式や作法は…」
「兄様だって、ほとんど、見様見真似の自己流なんでしょ?
それに、僕には、これがある」
ネムスさんは束になった古い帳面を取り出して見せました
「それは?」
「父様の日記
儀式も作法も、ここにちゃんと
やり方も書いてある」
シルワさんは、息を呑んでから、ゆっくりと尋ねました
「そんなものが、あったのですか?」
「ごめんね?
ずっと、秘密にしてて」
ネムスさんは、驚いているシルワさんに
けろりと笑って謝りました
「これ、僕はもうほとんど、覚えるくらい読み込んであるし
あとは、泉の精霊に直接聞いたら、なんとかなるでしょ」
「それは…いえ…しかし…
あなたは、魔法は、あまり…」
言いにくそうに言葉を濁すシルワさんに
ネムスさんは、ああ、と明るくおっしゃいました
「魔力は、ないわけじゃないんだ
ただ、使い方が下手なだけで
その辺は、これからなんとかするつもり
大丈夫
ヒノデだっているし、ノワゼットも
アイフィロスだっている
みんなで力を合わせたら、なんとかなるって」
「いや、でも、しかし…」
シルワさんは、どう言っていいか分からないように
おろおろと言葉を繋ごうとなさいました
ネムスさんは、シルワさんが次の言葉をおっしゃる前に
先手を取っておっしゃいました
「それに、兄様には、大事なお役目がある
それは、泉の番人と同じくらい大事なことだよ?」
ネムスさんはちらりとこちらを御覧になりました
「聖女様を、お護りするのでしょう?
残念ながら、それは、僕には、代わりになれない」
シルワさんは、目を丸くして、息を呑みました
「…、ネムス?
けれど、あなたは、聖女様を…」
何か言いかけたシルワさんを
ネムスさんは、笑顔で遮りました
「聖女様を、姉様、と呼ぶのも、悪くない
うん、悪くない、よ」
そうして、あの曇りのない笑顔で、にこっと笑いました
「だからね?
しっかりしてよね?兄様?」
ばしっ!
ネムスさんは大きな手のひらでシルワさんの背中を
叩きました
けほけほけほ、と、シルワさんはむせてしまいました
むせながら、シルワさんの目には
涙が光っていました
そして、何故か、ネムスさんの目にも
涙が光っていました




