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お師匠様はもちろん
ノワゼットさんに
そのお師匠様であるおばあさん
お料理の上手が三人も揃った夕食は
それはそれは、豪華なものでした
所せましとびっしりならべられたお皿に
ちょっと、ホビットさんたちの食卓を
思い出します
みなさん大満足の夕食会になりました
お食事の後、お酒を楽しまれる方々は
リビングにお移りになりました
おじいさんおばあさんとは会ったばかりの
お師匠様やミールムさんも
楽しそうに談笑していらっしゃいました
私は、シルワさんがお風呂を沸かしてくださったので
有難く、お湯に浸からせていただきました
ここのところ、ほぼ毎日のようにお風呂に入れて
とっても嬉しいです
少し、故郷にいた頃のことを思い出しました
故郷の冬はとても寒くて、村中からみなさん
神殿の浴場に入りに来られていました
そこでいろんな方々とお話しをするのが
とても楽しい時間でした
今日も、シルワさんは、衝立のむこうにいらっしゃって
話し相手をしてくださいました
なんだか、申し訳ない気もいたしましたが
シルワさんが、聖女様がお嫌でないなら
ここにいさせていただいても構いませんか?
などと、おっしゃいまして
もちろん、嫌ではありませんし
そこにいていただいてしまいました
私は、故郷の大浴場のお話しとか
延々といたしました
シルワさんは、にこにこと
お話しを聞いていてくださいました
いえ、正確にはお顔は見えては
おりませんでしたけれども
お声の端々から、終始、微笑んでいらっしゃるのが
目に見えるようでした
あのようなとるに足らないお話しでも
笑って聞いていてくださるなんて
シルワさんって、なんてお心が広いのでしょう
それにしましても、ついつい、私ばかり
話し過ぎてしまいました
お次は是非、シルワさんのお話しも
伺いたいものだと思います
村長さんのお家はとても広くて
お部屋もとてもたくさんあって
みなさんが泊めていただいても
十分にお部屋がありました
お師匠様は、ゲストルームのリネンまで
全部、綺麗に洗濯して、綻びも繕っておいて
くださいましたから
その夜は、全員が心地よい寝床で
安心して、ぐっすり眠ることができました
そうして、翌朝
まだ、暗いうちにお師匠様に起こしていただきました
テーブルには朝食がたっぷり用意してあります
ときどき思うのですけれど、お師匠様って
いつ眠っていらっしゃるのでしょう
本日、一番ご活躍なさるはずのシルワさんは
まだちょっと半分夢のなかのご様子で
うつらうつらとスープのお皿に
お顔を突っ込みそうになっては
お師匠様に叱られていらっしゃいました
それでも、なんとか日の出の前に
全員が井戸の周りに集合いたしました
おばあさんは、新しいお花とお水を
お供えします
ノワゼットさんは、焼き菓子が山盛りになった籠を
どさっ、と、お供えの台の上に置きました
シルワさんは、洗い立ての白い衣に着替えて
いらっしゃいます
いつも魔法で綺麗にしていらっしゃいますけれど
今日のは特別な、水で洗った衣なのだそうです
流石にもう、お目も、覚まされたようで
いつになく、背筋もぴんと伸ばしていらっしゃいました
全員がお燈明を手に整列しました
おじいさんは、特大の蝋燭に灯りを灯して
祭壇へと捧げました
シルワさんは今日のために用意した
特別な召喚用の杖を手に持っていらっしゃいました
森の泉の傍に生えている木の枝を使っていて
先端には、金属の輪がたくさんついています
シルワさんが、杖をとんとつくと
その輪が触れあって、しゃん、しゃん、と
よい音を立てました
しゃん、と涼やかな輪の音が鳴り響き
精霊の召喚術が始まりました
泉の精霊は、いつももっと簡単に
シルワさんが呪文を唱えただけで
出ていらっしゃいます
なので、召喚術がこれほど大がかりなものだとは
想像しておりませんでした
ヒノデさんは、今は精霊としては、眠ってしまっている
状態なのだそうです
だから、特別なお祈りを捧げて、目を覚ましていただく
必要が、あるのだそうです
さらさらと鳴り響く杖の輪の音は
まるで清い水の流れのようにも聞こえます
祈りに呼応するように
どこからともなく、優しい風も吹き始めました
厳かに祭壇の前で祈りを捧げるシルワさんのお姿は
どこかの位の高い神官様のようでもありました
エルフの古代語で捧げる祈りの詞は
残念ながら、意味はまったく分かりませんでした
それでも、その響きの心地よさや
まるで歌のような詞の流れは
涼やかに、辺りに響き渡っておりました
それは、森のなかを流れる清水のようで
地中深くにあるという静かな河のようで
そして、そのすべての根源たる
聖なる泉のようでもありました
聖なる水の流れを讃え、歓び、感謝する
詞や作法は違えども、その祈りは
この世界に生きとし生けるものすべてに
共通するものだと思いました
空は少しずつ白く、明るくなっていきました
どこかで早起きの鳥たちが泣き始めるのが聞こえました
ゆっくり、ゆっくりと
世界は色を取り戻し始めました
光に彩られていく世界に
静かな祈りは優しく流れていきます
やがて、祈りは、音楽のように、最高潮を迎えました
祈りの詞と、杖の音、それから、風の音に
どこからともなく水の流れる音が加わりました
そのとき、遠く、遠くの地平線に
まあるいお日様の端っこが
眩しく姿を現しました
なんだか、すべてがこれから善いほうへ行く
そう確信できる気がしてきました
今日一番のお日様の光は
真っ直ぐに、井戸の中へと降り注ぎました
たった今、気づきました
井戸の屋根を支える柱には
小さな鏡が埋め込んであって
それが、上手にお日様の光を反射して
井戸の中を照らすように作ってあるのです
流石、お師匠様は、そのようなところも完璧に
修理なさっていたようでした
曇っていた鏡はぴかぴかに磨かれて
光の筋がくるくると井戸を囲むように
下りていました
お日様の光は、井戸の底に敷き詰めた石に反射して
きらきらと、無数の光が踊ります
いいえ、よく見ると、井戸には水がしみ出してきていて
ゆらゆらと光を反射しているのは、その水でした
さきほどから聞こえていた水の流れる音は
ゆったりと大地の底を流れる水脈の音だったの
かもしれません
それは再びこの井戸に届いて
光を映して歓んでいるようにも思えました
シルワさんが、しゃん、と
ひと際高らかに杖を打ち鳴らすと
水の溜まった井戸の中から
すぅっと、雲のようなものが立ち上りました
雲はするすると解けて、中から姿を表したのは
赤い髪の子どもの姿をした、井戸の守護霊でした
「…聖女様、彼の名を、呼んで差し上げてください」
突然、シルワさんが意味の分かる言葉を
お話しになったので、とっさに、自分が
話しかけられていたと気づきませんでした
お隣にいらっしゃったミールムさんにつつかれて
初めて、自分におっしゃられたのだと気づきました
「あ、はい
っと…
ヒノデ、さん?」
恐る恐る、その名前を申し上げました
すると、ゆっくりと、光の中で
ヒノデさんは、目を開きました
「…あ…」
ヒノデさんは、周りにいる皆さんを見て
驚いていらっしゃいます
その目が、ひとところに止まりました
そこにいらっしゃったのは村長さんご夫妻でした
ヒノデさんにとっては大切なご両親です
ヒノデさんの目は、みるみるうちに
うるうると揺れ始めました
「…お父さん…お母さん…」
ヒノデさんとご両親はどちらからともなく駆け寄って
しっかりと抱き合いました
盛大に鼻を啜る音が響いて、驚いて振り向いたら
ネムスさんが、誰よりくしゃくしゃの顔になって
泣いていらっしゃいました
フィオーリさんも、ぼろぼろに涙を零しながら
へへっ、へへっ、と笑っていらっしゃいます
ノワゼットさんは、ただ、凍り付いたように立ち尽くし
溢れる涙を拭おうともせずに、じっと、ただ、じっと
していらっしゃいました




