114
ここは、どこでしょう?
花の香がします
さらさらいう衣擦れの音
髪を撫でる優しい手
これは、あれです
また、いい夢を見ているんです
ふふ、と、小さく笑う声が聞こえました
耳に心地よい声です
「なんだ、まだ、寝てるの?
マリエ!
いい加減、起きなよ!」
いきなりそう言う声がして
きゅっと鼻をつままれました
ふがっ!
なんとも、乙女にあるまじき音声を
発してしまいました
びっくりして目を開いたら
困ったように笑うシルワさんが
真っ先に目に映りました
シルワさんの碧の瞳にも
私の間抜けな顔が大映しになっています
ええっ?
今のは、まさか、シルワさんが?
「ああ、起きた」
そう言ってぬっと顔を近づけたのは
ミールムさんでした
あ、よかった、と何故かちょっとほっとしました
「ミールムさん
聖女様に乱暴はよしてください」
シルワさんがやんわりと咎めていらっしゃいます
そのときになって、私はようやく
自分の状況に気づきました
これは!
シルワさんに、だっこされてる?!
シルワさんは地面に直に座って
眠っている私の上半身を、抱きかかえるように
していてくださったのでした
「早くお会いしたいと、ずっと願っておりましたけれど
こんなに早く、帰ってきてくださって
とても嬉しいです、聖女様」
シルワさんはからだを少し屈めて
軽く、私の頬に、頬を擦り合わせました
ええっ?
っこ、これって、いったい…?
「シルワさん、いつまでも嬢ちゃん、独り占めしてんと
わたしらにも顔、見せてぇな」
「シルワさん、ずるいっすよ?
さっきからもうずっと、聖女様、独り占めで」
「眠ってる間は、地面に転がしておくのも酷だったから
ぎり、許してあげたけど
起きたんなら、みんなのところに返して」
三方からそうおっしゃるのが聞こえました
お腹に力を入れて、自分で起き上がると
シルワさんは、無理に引き留めはせずに
自由にしてくださいました
ほんのちらりと、残念そうなため息が聞こえた
気もいたしましたが、それは、流石に、空耳でしょう
「…ここは…
みなさんは…」
「ここは、今、だよ
君は、元の自分の時間の流れの中に
戻ってきたんだ」
ミールムさんが教えてくださいました
「手鏡が、熱くなって…」
私の手には、手鏡がしっかりと握られていました
ただ、今はもう、光っても、熱くなってもいませんでした
「そうだ!
ネムスさんと、ノワゼットさんは?」
「ここにいるよ?」
むこうから手を振ったのはネムスさんでした
その隣には、ノワゼットさんと…
ええっ???
…なんということでしょう…
ノワゼットさんのお隣には、おじいさんとおばあさんが
不思議そうに辺りをきょろきょろと見回して
いらっしゃいました
「…連れて、きて、しまった…?」
それは、あの、まずいのではないでしょうか???
どうしましょう、と見上げたのは、シルワさんの
お顔でした
シルワさんは、私の言いたいことを分かっていらっしゃる
ように、大丈夫、と頷かれました
「すべては大精霊様の思し召しです」
え?そう、なの、ですか?
というか、それで片付けてしまっても
よいものなのでしょうか?
私が目を覚ましたのに気づかれたのか
ノワゼットさんは、こちらへ歩いてこられました
「大丈夫か?
ずっと、気を、失っていたけれど」
「そんなことより、あの、おじいさんとおばあさんを…」
私はノワゼットさんを見つめました
ノワゼットさんは、ああ、と
こともなげにおっしゃいました
「道理で
あの後、村に訪れたわたしは、お二人の
お墓はおろか、亡骸さえも、見つけられなかった
そのことを、ずっと、悔やんでいたんだ
野の獣にでも攫われたか、と思っていたけど
こういうことだったんだな」
えっ?
こういうこと、って、どういうこと、ですか?
どなたか、分かるように、教えていただきたいです
「兄様
さっきからずっと、そうしているけど
聖女様は、大丈夫なの?」
心配そうにお尋ねになったのはネムスさんでした
それに、シルワさんは、大丈夫ですよ、と鷹揚に
頷かれました
「聖女様が、こんなふうになってしまわれたのは
大量の魔力を一時に放出なさったからです
軽い貧血みたいなものですよ」
その口ぶりはそれほど大したことではないようにも
聞こえました
「いわゆる、魔力切れというやつです
わたしも、よくこうなってましたから
少し休めば、自然に回復もするものですけれど」
シルワさんは、何故か恥ずかしそうに
少し、ぽっと、頬を染められました
「僭越ながら、わたしの魔力を少しお分けしました
ご気分が悪くなったりは、していませんか?」
え?
今、この、ちょっとからだが軽くていい感じ、なのは
シルワさんに魔力を分けてもらったから、なのですか?
「あ、なんとも、ないです
というより、すっごく、調子いい感じ、です
そう、たとえるなら…
子どものころ、外で思い切り遊んだ後に
ご馳走をお腹いっぱい食べて
ぐっすり眠って起きた翌朝、みたいな、感じ?」
それはよかった、とシルワさんは
大袈裟に喜びました
「わたしの魔力は、聖女様に
きちんと合致したのですね?
もっとも、聖女様ほどの器であれば
どれほどに穢れたものをも
受け容れ浄化してしまうお力を
お持ちかもしれませんけれど」
「いえいえ、そんな
それより、シルワさんは
魔力を分けたりして、大丈夫なんですか?」
シルワさんといえば、魔力切れで倒れてばかり、の
印象が強いのですけれども
誰かに分ける、とか、大丈夫なのでしょうか
けれど、シルワさんは、艶やかに微笑まれました
「大丈夫ですよ?
聖女様になら、この命、枯れ果てようとも
なにもかもすべて、差し上げましょう」
「…それは、困ります
どうか、おやめください」
思わずきっぱりお断りしたら
そうですか?とシルワさんは
ちょっと、残念そうになさいました
「…それにしても、魔力切れなんて起こしたのは
初めてです
…私、魔力なんて、滅多に、使ったこと
ありませんでしたから…」
子どものころも、今も、魔法は禁止されておりますし
たまに使うことはあっても、魔力切れになるような魔法など
使ったこともありませんでした
シルワさんは、うんうん、と頷いてくださいました
「時を超える魔法は、とてもとてもたくさん
魔力を消費するのです
それでも、その魔法をお使いになるということは
聖女様は、潜在的に、とんでもなく大きな魔力を
お持ちだということです
おそらく、魔力切れを起こしたことがないのも
そのお蔭だったのでしょう」
確かに、ときどき失敗して起こした魔法は
とんでもない類のものもあった気もいたします
そのあとしまつがあまりに大変なので
私は魔法を禁じられてしまったのです
それにしても、と、シルワさんは、呟かれました
「お分けするのに必要だったので、勝手に少し
聖女様の魔力を走査させていただきました
聖女様のお人柄のように、穢れなど微塵もない
どこまでも清んだきよらかなお力に
思わず、眩暈を起こしそうでした」
いえ、眩暈を起こして倒れていたのは、私の方です
「その聖女様に、わたしの魔力をお分けするだなどと
罪深い所業だと、畏れ慄きましたけれども
早く目を覚まさせてくれと、みなさんに言われまして」
あ、それで、だっこしていてくださったのですね
あれは、治療術の一環だったのかとようやく分かりました
しかし、とシルワさんは、苦悩するように
眉をひそめて斜め下に視線を下ろしました
「無防備に目を閉じた聖女様の儚い寝顔を
このまま永遠に、わたしの腕のなかに
閉じ込めておきたい
湧き上がるその邪念を必死に押し殺し
わたしの魔力の上澄みの
本当に綺麗なところだけ
注ぎ続けようと
なんとか、努力は致しましたけれども
それにしても、心に浮かぶ思いは
完全に殺すことなど、不可能ですし
ましてや、愛しい聖女様が、ようやく
この腕のなかに戻ってくださったのですから
いっそ、媚薬の魔法を仕込んでしまおうか、とか
いやいや、なるべく、ゆっくり魔力を送って
もう少し長く、このままでいたい、とか
もう、ほんっとうに、葛藤いたしました」
苦し気に胸の辺りに拳を握り
そのままあらぬ方を見上げられました
「僕もいるのに、そんな邪なことなんか
させるわけ、ないでしょ?
というか、魔力なら僕が分ける、って言ったのに
どうしても自分にやらせろ、って、うるさくってさ
まったく、二人も同時に倒れられると
余計に面倒なんだけど?
まあ、そうならなくてよかったけどさ」
ミールムさんは、呆れたようにおっしゃいました
「心配しなくても、大丈夫だよ、マリエ
ああ、言ってるけど、シルワはちゃんと
真面目に、混じりけのない魔力だけ
送っていたから」
いえ、それは、心配しておりません
「嬢ちゃん、お腹、すいてへんか?
まあ、ちょっと、お茶、飲んで
一服しぃや」
お師匠様はにこにことカップを差し出して
くださいました
そこでようやく私も辺りを見回すことを
思い出しました
目に入ったのは、あの井戸の丸い屋根
開いていた大きな穴は、きちんと修理されていました
そこは、あの井戸のすぐ近くでした
ぐるぐると時を巡って、私は、最初のところに
また戻ってきたのでした




