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夕飯もご馳走になり、その夜は泊めていただくことに

なりました


誰もいなくなった村はとても静かで

石を持って追われたあのときとは

まるで別の場所のようでした


ノワゼットさんは、積もる話がおありのようで

ソファーに座って、いつまでもご夫婦と

語らっていらっしゃいました


以前、ちらりと

疫病の後、村をノワゼットさんが訪れたときには

もう、ご夫婦とも、亡くなっていた

と伺った気がいたします


それは、ノワゼットさんにとって

どれほどにお辛いことだったでしょう


早く帰れと追い返され

もらった手土産のクッキーは

森の仲間たちに疫病をもたらした


実の親のように慕っていた人たちが

よもや、自分にそんなひどい仕打ちをしたとは

思いたくはなかったでしょう


もしかしたら、ノワゼットさんは

それを確かめることが怖くて

長い間、ここには来られなかったのかもしれません


そうして、ようやく、来てみたら

もう、何もかも、手遅れだった

村には人は誰も残っていずに

真実を確かめる手掛かりすら

何もなかった


その過去は、きっと、思い出す度に

ノワゼットさんを傷つけ続けたことでしょう


胸の内を吐き出せるはずのシルワさんも

ネムスさんと共に、森を出てしまっていました


ノワゼットさんは、ずっと、おひとりで

苦しみを抱えていらしたのでしょう


それでも、ノワゼットさんが、お二人のことを

心から疑ったり、憎んだりできなかったことは

一緒にいらっしゃるときのご様子を伺えば

容易に想像がつきます


あれほどに、心から楽しそうにしていらっしゃる

ノワゼットさんは、本当に、見たことがありませんから


初めてお会いしたとき、ノワゼットさんには

少し、冷たい印象を持ってしまいました

けれども、ご一緒するうちに

そんなに冷たい方ではないと思うようになりました


過去の辛い記憶がノワゼットさんの心を

頑なにしていたのなら、ようやくその

心の氷も溶けてよかったと思いました


過去は変えられない

それなのに、大精霊様は、私たちに

時間を遡らせました


私たちは、疫病が起こらないようにすることも

それを広がらせないようにすることも

結局、できませんでした


ネムスさんに起きた悲劇も回避することは

できませんでした


けれど、過去に遡って、そこで見落とした真実を

拾うことはできました


そうすることで、今、は、少しばかり

幸せになりました


今、また、過去に来てしまいました


大精霊様は、今度は何をお望みなのでしょうか


村から人々は去っていきました

これからここは、少しずつ、毀れて

百年の時を経るころには

あの廃墟になってしまうのです


ともあれ、お幸せそうなノワゼットさんを見られて

よかったと思いました

もしかしたら、大精霊様の意図は

もう果たしたのではないかと思います


だったら、現代に戻していただけるのも

きっと、もう、すぐでしょう


せっかくですから、バスタブをお借りして

お風呂を使わせていただくことにしました

実は、私、お風呂が大好きなのです


旅をしていると、なかなかゆっくり

お風呂に浸かることなんてできません

そもそも、バスタブなどというものが

ある所のほうが珍しいのです


贅沢な我儘だと自覚はいたしますけれども

こればっかりは、どうしても、我慢できませんでした


前にお風呂を使わせていただいたときには

シルワさんが魔法で用意してくださいました


今回は、自分で井戸からお水を運んで、沸かしました

ええ、力仕事なら得意ですし、焚火も、お師匠様と

毎日のようにやっておりますから、ちゃんとできます


ご老人を働かせるのはもちろん

ネムスさんやノワゼットさんも

お風呂を沸かしてあげようかと

言ってくださいましたが

丁重にお断りいたしました


私の我儘に、みなさんの貴重な時間を割いていただくのは

あまりに心苦しいのです


なにより、大好きなお風呂のためですから

水を運ぶのも、お湯を沸かすのも

辛いことなんてありません


むしろ、わくわく、るんるん、鼻歌なぞも

歌ってしまいました


そうして、たっぷりとお湯を使ったお風呂に

ゆっくりと浸かると、思わず例の

はあ~、生き返る~、が出てしまいました


井戸の水は、今はわずかに復活していて

お二人の暮らしていくのには

十分な水がありました


シルワさんが泉の力を高めて

浄化をなさったおかげかと思います


この水も、いずれ、遠くない未来に

枯れてしまうのは、分かっています


けれど、せめて、ご夫婦が天寿をまっとうされるまでは

井戸は枯れずにいてほしいと思いました


思えば、この井戸から始まったこの村でした


あちらでは、祭壇の修理が始まっているのでしょうか

お師匠様のことですから、きっと、完璧に仕上げるまで

妥協は許さず、丁寧に丁寧にお作りになるでしょう


そうして立派な祭壇が仕上がれば

もしかしたら、ヒノデさんは

戻っていらっしゃらないでしょうか


精霊は、たとえ、姿が見えなくなったとしても

存在そのものが消滅するわけではないと

聞いたことがあります


一時的に、精霊界に戻っても

そこでまた力が溜まれば

こちらの世界に来ることもできる、とも


ヒノデさんとのお別れは、あまりに唐突で

本当は、言わなければならないことが

まだたくさんありました


それでも、ヒノデさんがああしてくださらなかったら

ネムスさんは、もうとっくに、オークになってしまって

いました


祭壇を作り直して、そこにヒノデさんが戻っていらしたら

きっと、お礼を申しましょう


ヒノデさんがお水を運んだことで

この村の人たちが助かったことも

お伝えしようと思います


ヒノデさんは、井戸を汚した村人に

お怒りの気持ちもお持ちのようでした

それでも、村の人々を、護ろう、となさっていました


何より、この村の始まりとなった、井戸の精霊なのです


バスタブに溜めた水を、手にすくって零してみました

きらきらと流れ落ちる水は、とても清んで清らかで

まだ浄化の力が活きているように思いました


浄化の魔法は、本当に綺麗でした

あれこそは、シルワさんの本来のお力だと思いました


ふわふわと、立ち上る湯気が

世界をぼんやりとぼかしていきました


そうして、前にこのお風呂に浸かったときのことを

思い出していました


あのときのシルワさんは、本当に魔法使いみたいでした


いえ、シルワさんは、ちゃんとした

本物の魔法使いですけれども


ずっと、旅をご一緒していた間、シルワさんは

いつも魔力不足で、癒しの術以外の魔法は

滅多に見せてくださいませんでした


だから、あんなに次々と魔法を使うシルワさんに

とても驚いたのです


そっちの方が本来の姿だったのでしょうけれども


通るところの扉が次々と開いたり

魔法でお風呂を沸かしたり


魔法って、こんなに不思議で鮮やかなものだったのだな、と

改めて感動いたしました


お風呂に浸かっている間

そこの物陰に座って、シルワさんは

話し相手をしてくださいました


久しぶりに会えたシルワさんと

少しでもたくさんお話しをしていたくて

私のしたはしたないお願いを

シルワさんは、叶えてくださったのでした


あのとき、シルワさんは、もう決して離れないと

言ってくださいました

けれど、また、離れ離れになってしまいました

もっとも、これは、大精霊様の思し召しで

シルワさんに非はありません


いえ、離れ離れ、ではないのでしょうか

今、シルワさんはきっと、日の出村にいらっしゃいます

遠く遠く、時間を隔てたところですけれど

場所は同じなのです


ゆっくりと手を、伸ばしてみました

湯気のむこうにシルワさんの手がないかと思いました

残念ながら、手には何も触れませんでした

当たり前です


けれど、そんな当たり前に、心が少しひりっとしました


と、そのとき、ふと、私を呼ぶ声がしました


「…聖女様…?」


「シルワさん?」


どきっといたしました

まさか、さっき伸ばした手の気配を

シルワさんが感じ取ってくれたのかも、と

思ってしまいました


けれど、湯気のむこうの気配は

少し、固くなったように感じました


「…僕、ネムス…

 …ごめん、兄様じゃ、なくて…」


「あ!いえ、ネムスさん!

 すみません、お声が似てらして…」


慌てて言い訳をしました


「そう?

 そんなこと、言われたのは、初めてだな」


ネムスさんは、なんだか、戸惑っていらっしゃるようでした


「本当に、すみません

 少し考え事をしていたので

 聞き違えたのかもしれません」


「考え事って、兄様のこと?」


「え?

 あ、いえ、みなさんの、ことを…」


どうしてか、言い訳がましくなってしまいました


ネムスさんは、ふぅん、とおっしゃいました


「聖女様が、なかなか風呂から出てこないから

 倒れたんじゃないか、って、ノワゼットが心配して」


あ、ははははは…

ノワゼットさん、折角、村長さんご夫妻と

お話しをしていらっしゃるのですから

そのようなお気遣いなどなさらずに

のんびりしていらっしゃればいいですのに…


そこでいろいろと心配してしまうところが

ノワゼットさん、なのですよね


「僕も、その、心配だったから…」


「申し訳ありません

 私、元々、長湯をする性質で」


「いや、いいんだ

 お風呂が楽しいからゆっくりしているんだったら

 …けど、心細い、とか、不安だ、とか、淋しい、とか

 そういうのじゃなかったら…」


はっと、いたしました

心細い…不安で…淋しい…


ここにはネムスさんもいらっしゃいます

ノワゼットさんもいらっしゃいます

村長さんご夫妻にも、またお会いできてよかったです


だけど


どうして


「…あ…

 すいません…」


溢れ出した涙が、バスタブの中に落ちていきました


淋しい、です

言葉にされて、はっきりと言い当てられたら

誤魔化すことももうできません


やっと、会えたと思ったら

またすぐに、離れ離れになる…


そんなの、淋しいに決まってます


もちろん、ノワゼットさんの笑顔は嬉しいです

ここへまた来られてよかったと思っています

それ、全部、ちゃんと、本心です


ただ

どうして

やっぱり

いないんだろ…


そう思ってしまう気持ちは

いくら蓋をしても、溢れてしまうのです


ネムスさんの声を聞き間違えるくらいに


「…すいません…すいません……すいません…」


涙を零しながら、謝ることが止まりませんでした


「なにを、そんなに謝っているの?」


ネムスさんが尋ねます

けれど、それには答える言葉は、見つけられませんでした


神官は、誰かを特別には、思ってはいけないのです

みなさんにお会いできなくて淋しい、は構わないけれど

シルワさんにお会いできないのが淋しい、とは

思ってはいけないのです


けれども、思う気持ちは止められないのです


シルワさん…

どうしていらっしゃるのでしょうか


胸のなかはシルワさんでいっぱいになって

溢れた気持ちは、涙になって落ちていきました





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