いつか観た映画みたいな
「昔見た映画があるの。たぶん子供の頃」
彼女は無邪気に微笑んだ。
「あんな恋がしてみたいな」
彼女の命がもう長くはないことは、僕にだってちゃんと分かっていた。
だから、出来る限り願いを叶えてあげたい、そう思った。
恋はともかく、せめてその映画くらいは見つけたい。
「題名は何だったかしら……」
問題は、その映画が何なのか、まったく分からないということだ。
正直、僕は映画はさっぱりだ。たまに観てもせいぜいアニメとか分かりやすいアクションもの程度。有名な作品もろくに知らないし、彼女が好きな恋愛ものなんてすぐに寝てしまう。
つくづく子供なんだなぁ、と思う。
少年の心を持った、とか言えば聞こえはいいけれど、要するに成長していないだけなんだ。
「ごく普通のお話よ。主人公とヒロインは仕事で出会って、少しずつ想いを深めていくの」
ベッドの上で日々弱っていく彼女。だけど彼女は本当にキレイだ、と思う。その美しさは昔とちっとも変わっていない。
「事件とか起きるわけじゃないの。お話して、デートして、ごはんを食べて。ごく普通に過ごして……やがて結婚するの」
本当に普通の話だった。
子供たちが生まれて、それを育てて、家族仲良く過ごして。
こんな話、映画としてちゃんと成立するんだろうか。
あぁ──そうか。
僕はようやく気がついた。
数ヶ月後。彼女は眠るように、天国へと旅立った。
覚えているかい。
あの映画のタイトルを、僕は君に伝えた。
そんな題名だったかしら、と彼女は首をかしげたけれど、その他にもこんな話があったよね、と僕がいくつもエピソードを話してみせると、そうそうその映画だった、と笑ってくれた。
……ごめんね。
僕は君に嘘をついた。
あのタイトルは僕が適当に考えた。デタラメだ。
あれは映画じゃない。
君の話だよ。
君と、僕の、昔の話だ。
平凡で何もなくて、でも幸せだった、ごく普通の話だ。
嬉しかった。
もう何年も記憶があいまいで、僕を見ても、話をしても、僕が誰かさえろくに思い出してくれなかった君だったのに、
ちゃんと覚えていた。
長い人生のいちばん最後に、いちばん大切なものとして、あの日々を思い出してくれた。
それだけで、十分だ。
彼女の無邪気な笑顔を思い出す。
僕も、もうじき90歳になる。君ともう一度出会える日も、そんなに遠くはないのかもしれない。
いつか──その時、またゆっくりと話をしよう。
何だかちょっとワクワクしてきた。
つくづく子供なんだなぁ、と思う。