[短編]先輩の腕時計
チッチッチッ…
机に顔を伏せて、左手首から聞こえる音に耳を澄ませる。
チッチッチッ…
文字盤を移動する秒針の音。
左手の甲に顔を擦り寄せる。
自分の肌なのに思い出すのは、先輩の手。
チッチッチッ…
冬休みが終われば。
試験が終われば。
合格すれば。
あなたに会える。
『先輩、好きです』
玉砕覚悟で告白したのは、卒業式の日。
『うん、私もだ』
微笑んで髪をかきあげた手首にあったのは、大きな文字盤の腕時計。
男物の時計をしているから、てっきり彼氏がいるんだと思っていた。
『大きい方が見えやすいから』
県外の大学に進学する先輩と3月末にデートを2回。
あとはGWと夏休み。
カラオケボックスで、ひと時の抱擁。
その時に聞こえたのが、時計の音。
『先輩、腕時計を交換しませんか?』
先輩の深い海の色をした時計のベルトを黙って僕は外す。
滑らかな手首の肌に、わざと触って外す。
磨りガラス越しに響いてくる誰かの歌声。
カラオケのベース音。
それよりもうるさい僕の心臓の音。
腕時計を外した半袖から伸びた僕よりも細くて白い肌。
その素肌に、僕は顔を擦り寄せた。
僕の頬に、先輩の肌をあてる。
滑らかな先輩の肌に、僕の剃り残したヒゲが当たるたびに、びくりと先輩の腕が揺れる。
『先輩、好きです』
『知ってる』
強気な言葉と違って、顔を真っ赤にして僕を見る先輩は、とても美しかった。
『先輩、欲しいです』
『交換、じゃないのか?』
僕はどんな顔をしていたのか、わからない。
そんな余裕は、なかった。
『先輩が、欲しいです』
夏にあなたを奪った。
夏休みが終われば、もう僕の受験のせいで会えない。
推薦は使えない。
途中で志望大学を変えたから。
追いかけることは、重すぎるだろうか。
声だけ、画面越しの顔だけ。
それだけじゃ、足りない。
冬の日暮れは早くて、耳にあたる時計の音だけが、時の流れ知らせる。
チッチッチッ…
早くあなたに会いたい
『先輩の心臓の音に似てる』
『今は、心臓の方が早い』
先輩の胸元に耳をあてて、2つの音を聴く。
その僕の反対の耳を先輩の手が柔らかく撫でる。
チッチッチッ…
机に伏せたまま、記憶を辿る。
「勉強、がんばろ…」
時計じゃない、あなたの音を聴くために。
僕は体を起こして、ノートを開く。
受験勉強もあと少し。
試験会場にも連れていけるあなたの分身を肌につけて、僕はがんばるから。
もう少し、待ってて。
チッチッチッ…
早くあなたに会いたい。
チッチッチッ…
早くあなたに触れたい。
あなたが、好きです。