3 心臓がいくつあってもたりない
「一泊ですね。お二人だと二千ゴールドです」
冒険者ギルドの近くにある安宿で、宿屋の主人はジンを横目で見ながら言った。
私の横にはジンが涼しい顔で立っている。
うん、どう見ても仲間に見えるよね!
「ジンもここに泊まるんですね」
つとめて友好的に声をかけるとジンは真顔だ。
「ああ、俺はユリアの召喚僕だからな。ユリアがここがいいというのならそうする」
その設定ひっぱるんだ……宿代がないとかなら正直にいってくださいね。
徳を積んだとでも思いますから。
「それにしても二人部屋だと高くないか? こっちのダブルのほうが安いからこっちのほうがいいぞ。ほらこっちだと千三百ゴールドじゃないか」
私は目が丸くなった。
「え、……ダブルの意味わかってます?」
何で安いかっていうとベッドが一つだからなんですよ!
「ああ、俺は多少狭くても気にしないぞ。ベッドはユリアが一人で使えばいい。俺は床で寝る」
紳士……なのか?
「とにかく持ち金が三千しかないんだ。飯代も必要だろうし安いほうがいいだろう」
うう……そうですね。宿に二千ゴールドは大きいです。
「……ダブルでおねがいします……」
「あいよ」
宿の主人は棚から鍵を取り出すと台の上にチャリと置いた。
とりあえず部屋で、泥汚れをシャワーで落としたら、外にご飯を食べに行こう。
そう思いながら、階段をのぼる。三階の三〇一号室だ。
カチャリとカギを開けてドアノブを引くと、中は意外と小綺麗で最低限の広さだった。
パリリと糊のかかっている白いシーツのセミダブルベッドが目に入る。窓にはモスグリーンの無地のカーテンがかかっている。細長い木の机は壁に備え付けられていて、その机の下に収納してあるのは木でできたスツールだ。机のある壁のところには木枠の四角い鏡がかかっていて、きちんと磨かれて光を反射している。天井の照明は多少年季が入っているが問題はない。
部屋の中は掃除したばかりなのか、リネンのサボンの香りがした。
(うん、なかなかいいところだ)
ジンは私の後ろについて堂々と部屋に入ってきた。
まるで長年一緒に過ごしているかのような自然な態度だった。
初対面の人の部屋に入るような態度ではない。
非常にリラックスしている様子だった。
(今日あったばかりなんですけどね)
いっさい遠慮というものはないようだった。
彼はいますぐにでもベッドに転がりそうな様子だ。
私は背中に背負っていたリュックを荷物置き場に置くと中を整理しながらジンに声をかけた。
「シャワー先に使っていいですよ。私はしばらく荷物整理するので」
家を出るときに詰めれるだけ詰めてきたものだからリュックの中はごちゃごちゃだった。
ジンはほうっておいたら泥だらけの姿でその辺に腰かけそうだった。
「ああ、じゃあ入るぞ」
ジンはあっさり風呂場に入っていった。着替えは大丈夫だろうか。余計な心配をしてしまう。
部屋の中に備え付けらえた小さなクローゼットを開けると部屋用の簡素な寝巻が入っている。
念のため風呂場のドアの前にでもおいておこう。
シャワーの水の流れる音が聞こえる。
その水音を聞きながら私はリュックの中身を一度すべて出してより分けた。
着替えも何着か入っている。
ジンが出たら入れ替わりで入れるようにと下着と着替えと化粧水のセットを用意する。
あらためてリュックの中をパッキングする。箱のような固いものを下に詰めてその上に詰めていこう。重心は高いほうがつかれにくいから、上に重たいものを詰めてから荷物置き場に入れた。
もうそろそろ上がるかなと風呂場の様子をうかがいにドアの前に行く。
まだシャワーの音が響いている。
私はまた引き返し時間つぶしに室内の調度品を眺めることにした。
ベッドの枕元には白いシーツと共布のクッションが二つ並んであり、その横のサイドテーブルにはガラスでできたランプが置いてある。電源をまわすとぼわわとオレンジの柔らかい光が灯った。ランプの近くには時計が置いてあり、時刻は十六時を指していた。
これからシャワーを浴びて外をぶらぶらしたらご飯にちょうど良い時間になりそうだ。
ガチャリ、風呂場のドアが開いて、ぬれた漆黒の髪の上にタオルを垂らしたジンが腰にタオルを巻きつけて半裸で出てきた。
(やっぱり服の替えはなかったのね!)
「あがったぞ」
恥じらいというものを感じさせない様子でジンはすたすたとこちらに歩いてきた。
直視できない。
壁を向きながら、ドアの前に着替えがあるからね、と伝えると彼は何でもないようにいった。
「ああ、大丈夫」
だいじょうぶでは、ないです。
私は入浴セットをかき集めて、なるべく見ないようにジンの横を通りすがると入れ替わりで浴室に入った。バタンとドアを閉めガチャリと内鍵をかける。念のためだ。
(び……びっくりした!)
シャワーに打たれながら私は考えをまとめた。一体どういう状況なんだ、これは。今日一日でいろんなことがありすぎる!王太子に婚約破棄されるわ、実家を飛び出すわ、冒険者登録をして、挙句の果てに得体のしれない男と同じ部屋で泊まるはめになるという。
(心臓がいくつあってもたりない)
もしジンが王太子の差し向けた刺客だったらどうしよう。
寝首なんて簡単にかかれてしまいそうだった。
備え付けのシャンプーリンスは柑橘系のさわやかな香りで洗いあがりはさっぱりだ。
ボディソープはミルクフローラルで万人受けするタイプのものを用意してある。
せっかくなので湯船につかろうかと思いお湯を張る。備え付けの入浴剤はジンは使っていないようだったので、せっかくだから入れた。薔薇のいい香りがして湯の色はコーラルピンクになった。
(ふうう……しあわせ)
お風呂っていいものだ。
今日みたいに歩き回って、雨に濡れて、泥だらけになって、体も冷えていればなおさらだ。
さっきジンが長風呂していたのもこのあたたかいお湯を堪能していたのだろうか。
湯上りする手前までゆっくり浸かって満足した私は風呂場の上の棚に入っているバスタオルで髪と体をふいた。このタオルも柔軟剤のいいかおりがするし、ふわふわだ。安宿にしてはちょっとお値段が高いかと思ったがこれなら満足だ。
着替えに身を包み、風呂場の鏡台で化粧水をはたく。髪の毛を乾かそうかと思ったが、ドライヤーは向こうの部屋にあるようだ。
カチャリとドアを開けると、ジンはベッドの上に転がって横向きになりこちらに背を向けていた。いつのまにか用意した寝巻に着替えてもいる。
(寝たのかな?)