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楽しい仕事 巨乳の職員に酷い目にあわされる無職の話。あるいは反抗的な感染疑惑の人を効率的に管理する方法。

作者: るるぺら
掲載日:2021/02/10

「奥のエレベーターで移動してください。」


胸の大きな職員が言った。もういちどじっくりとその身体を眺めて、

わずかな楽しみはこの女くらいか、と俺は思った。




◇◇◇◇◇◇




先月、無職になった。


自分から辞めたわけだけど、原因は組織側にあると今でも思っている。

毎日同じことの繰り返し、曖昧な指示と罵声を浴びせられる長時間の会議、顧客からの理不尽な要求に頭を下げる日々。

あんな仕事を続けられる人間はどこかおかしくなったやつだけだろう。

現に、何人もが体調不良を理由に休職や退職をしていた。


本当に仕事は楽しくあるべきだと思う。


あんなサンドバッグになるような仕事は非効率で何のメリットもない。ストレスを溜め込んだ奴は他の人にそれをぶつけるか、そのまま潰れるかだ。短期的には収益をあげるかもしれないが、社会全体の生産性を著しく下げることに貢献していると言ってもいいだろう。


テーマパークなんかで働いている連中は本当に楽しそうだ、心からその仕事を愛していて誇りに思っているように見える。


結局次のあても無いまま退職してしまったが、後悔はしていない。

まったく使えなかった有給も全部消化したし、しばらく食っていくだけの貯金もしていた。

数ヶ月は気ままに過ごすつもりで、いざとなったら汚れ仕事や危険な仕事にでも就けばいいかと思っていた。


しかし、謎の感染症が流行し人の移動が制限されるようになり、俺の楽しい長い夏休みはゆらりと虚空へ消えていった。

旅行したり、旨い酒をたらふく楽しむつもりだったのに、まったく酷い人生だと思った。


最初は国外移動の制限だったが、感染者数が増えるにしたがって規制が増えていった。

空港の完全閉鎖、自治体をまたぐ移動の制限、飲食店での滞在時間の短縮、公共交通機関の利用制限。

それでも感染症は日に日にその勢力を広げていった。


その感染症はちょっと変わっていて、発症すると人の神経に作用して暴力性を増幅させるらしい。発症した人は、暴行や障害、器物損壊、威力業務妨害、公務執行妨害などで警察のお世話になることが多く、警察も医療機関も対応に苦慮していた。

おまけにその感染症は発症までの時間が2週間から4週間と長く、

50%以上の人が無症状のままであるということだった。


単純に荒っぽい性格の人との区別が極めてつきにくいという側面を持っていたため、

発症していないからと、医療機関の待機要請に従わず好き勝手に出歩く人や、

無症状者の待機用の宿泊施設から抜け出す人の対応に苦慮しているとニュースで言っていた。


さすがの政府も危機感を持ち、ついには感染症に関する法律が改正された。

医療機関は、必要と判断した人間を強制力をもって隔離することが可能になったのだ。



俺には全然関係ないことだった。

会社にも行かないし、ひとり暮らしだし、恋人もいない。友達と呼べるような人も殆ど0だった。




◇◇◇◇◇◇




ある日、俺は近所の定食屋でぼんやりとテレビを見ながらトンカツを頬張っていた。

テレビでは若い男性がインタビューに答えていた。


『本当に酷い目にあったんです、無理矢理施設につれていかれました。目隠しをされて何時間も車で移動しました。』


『これが本当だとすると、酷い人権侵害ですね。先月の記者会見で政府は、噂話に個別に回答することはない、とコメントしています。政府として存在を隠しているのであればこれは歴史に残る大きな問題となるでしょう。』


アナウンサーが気取った感じで喋っていた。


「なあ、ヨウちゃん。なんで野党はこれを追求しないんだろうね。いい材料だと思うんだけど。」


定食屋のマスターが話しかけてきた。この人は、政治や野球など人によっては怒り出すような話題を兵器で振ってくる。俺はさしたる主義主張も持ち合わせていないので気にしないが、いつか殴り合いの喧嘩がこのカウンターの上で行われても不思議ではない。


「そんな施設存在しないんじゃない?金もかかりそうだし。」


「確かにねぇ、もう病院はいっぱいで、発症してない人はホテルとかスタジアムとか大きな施設を改装して使ってるって話だもんね。でも、与党も何で否定しないんだろうね。やってないなら、明確に言えばいいのに。」


「俺にはわかんないよ、政治家センセーは考えがあってやってるんじゃないの。そんなことよりマスターは商売大丈夫なの?制限かかってるんでしょ」


「まあ、うちは何とかなるよ。昔の放射能事故の時だって乗り切ったし。」


もう10年以上前になるが、この街のずっと北の方の原子力施設で大きな事故があった。

その時はみんな大混乱で、街を離れる人もいっぱいいたし、飲食店も閉店を余儀なくされていた。

今ではこの街はすっかり元どおりだけれど、原子力施設の周辺では未だに立ち入り禁止区域があって、

施設の後処理にはあと何十年もかかるという話だ。


「そうだね、マスターも元気だし。」


「それにあの時の政権に比べたら、今の政権の方が遥かに信頼できるし。あの時の政権はひどかったなぁ…」


「なんだとっ!」


マスターが最後まで言い切らないうちに、どん、と大きな音と大きな声が遮った。

入り口付近で食べていた中年の男が拳をカウンターに叩きつけていた。目が充血し、体がぷるぷると震えている。


「何ですか、お客さん。急にそんな…」


「もう一度言ってみろ!」


中年はその後も何か言っていたが、言葉になっていなかった。

カウンターの上にあるものをなぎ払いながらマスターに掴みかかっていった。

感染症対策で置いてある、プラスチックのしきりを打ち破り、調味料とアルコール消毒液が俺のトンカツをぐちゃぐちゃにした。


「や、やめてくださいよ、なんですか急に」


「おまえが、おまえみたいな奴がっ」


「おっさん、やめろって!」


俺は中年を羽交い締めにしてカウンターから引き離した。


「マスター、警察、警察呼んで!」


「ふざけるな!ふざけるな!」


大した力ではなかったが、中年がばたばた腕を振り回すので顔や体がじんわりと痛かった。

無職になって俺の方があばれたいくらいなのに、と思うと少し悲しかった。

押さえつけられながらも中年は、「ふざけるな」「かかってこい」「お前に何がわかる」とかそんなことをずーっと言っていた。



ほどなく警察が到着し、中年はやはり暴れながら無理矢理パトカーに乗せられていった。


「まぁまぁ、お父さん。」


「大丈夫ですから。」


「ね、話聞かせてください。」


柔らかい物腰のまま、力強く中年を連れていく姿はかっこよかった。国家権力というのはやるときはやるのだ、すごい。


店の中で起こったことや言動について聞かれ、一通り騒動がおさまって俺がそろそろ帰ろうとすると、警官のひとりが声をかけてきた。


「お兄さん、すいません。あの、今日ってご予定入ってたりするかもしれないんですけど、こういうご時世なんでちょっと署の方で詳しく話聞かせてもらえませんか?」


中年を連れていった時と同じノリだ。


「えっと、予定はないんですけど…」


「すみません!すぐ終わりますんで。よろしくご協力お願いいたします。」


どうやら俺の意思でどうこうなる話では無いようだった。

俺は生まれて初めてパトカーに乗った。

後部座席と前の座席がアクリル板で完全に仕切られていて、前に座った人とはマイクとスピーカーを使って会話をするようになっていた。

後部座席に座ったのが俺だけだったので、このまま出られなくなるのではないかと不安になった。



◇◇◇◇◇◇



警察署に着き、通された部屋で待っているとマスクとゴーグルにゴム手袋までつけた、やけに重装備の人が入ってきて俺の前にたった。


「えーと、ヨウさん…でいいですか」


「はい」


「あの、ちょっと言いにくいんですが。ちゃんと聞いてくださいね。」


「はい、なんですか。」


「飲食店で暴れた男性に感染症検査をしたところ、陽性でした。つまり、彼の一連の行動は感染症の症状だったわけです。」


だからなんだ。

そういうニュースはよく見る。暴力性が増す感染症だからいろんなところでトラブルが起きている。それを刑事事件として罪問えるのかという議論があることは知っているが、大きな犯罪行為に対しては起訴されていることも知っている。まさか、無罪放免にしろとでも言うのか。


「それで、ですね。あなたと店主の方は特定感染症接触者と認定されました。」


「え」


「そのため、特定感染症拡散防止特措法に基づき、ただいまから1ヶ月の隔離措置を行います。申し訳ないのですが、そのままついてきてください。」


「あー、そういうことですか。じゃあ、一度家に着替えを取りに行っていいですか。それから向かいます。」


感染した可能性が高い人は、だいたい1ヶ月の隔離措置が取られる。

ホテルとかスタジアムとか、そういう大きなところで一定期間ごろごろしていればいいらしい。

最近では有名な遊園地も経営危機で場所を提供しているという話も聞いたことがある。

まあ仕事もしていないし、最近は友人にも会え無い状況が続いているのでさしたる問題はない。


「いえ、接触者を最低限する必要があるため、今から移動していただきます。衣類はある程度こちらで用意しますし、ご家族・勤め先・ご友人などへの連絡は施設からお願いいたします。」


「そうなんですか、でも…」


「法律で義務付けられていますので、では参りましょう。」


物腰は柔らかで口調も穏やかだったが、有無を言わせない凄みがある。国家権力はやるときはやるのだ。



◇◇◇◇◇◇



連れていかれたのは都心にあるホテルのような建物だった。

地下の車寄せから人に接触しないよう、厳重な警備と対策をされた建物に入った。


「え、スマホも持って入れないんですか」


「すみません、規則なんです。どなたかに連絡が必要な場合は職員に言っていただければ電話はできますので。」


まいった。連絡が取れないのは別にいいが、暇をつぶせるものを何も持ってきていない。これから1ヶ月も閉じ込められるのに、何もできないのか。これは刑務所よりもつらいと思った。


「管理用にあなたを識別する番号が書かれたバッジを渡します、施設内にいる時は必ず右胸につけていてください。えーと、あなたは42番です。それとこれ、規則です。一通り目を通しておいてください。」


そう言って、マスク・ゴーグル・グローブで完全防備された女性職員はバッジと紙を1枚手渡した。殆ど見えないが、可愛いような気がするし、かなり胸も大きそうだ。じっくり身体のラインを想像してから、さっと視線を紙にうつす。

バッジをもたもたつけながら、ルールを読んだ。


・外出はできない。

・食事は、9時、12時、6時。

・間食がしたければ9時〜21時の間に食堂へいくこと。

・外部との連絡は職員を通して行うこと。

・1日2回感染症検査を行うこと


そこには、まあ仕方がないか、という感じの内容が並んでいた。

ただ、最後のいくつかの項目が気になった。


・人に迷惑をかけないこと。

・迷惑な人がいた場合、1日の終わりに職員へ伝えること。


迷惑をかけない。

逃げ出したり、暴言をはいてはいけないということだろうか。

そう言えば、こういう感染の可能性がある人を隔離する施設で暴れて問題を起こす人がいるというニュースを見た。医療関係者も政府関係者も大変だ。俺なら絶対に耐えられない。


「奥のエレベーターで移動してください。」


胸の大きな職員が言った。もういちどじっくりとその身体を眺めてから俺はエレベーターへ向かった。



◇◇◇◇



結構時間が経っていて、あっという間に夕食の時間になった。

食堂は、個別に用意された食事の乗ったトレーを持って好きな席で食べるというスタイルだった。

なかなか立派なメニューで、高めのビジネスホテルくらいのクオリティはあった。

窓際の眺めが良さそうな席に腰掛けると、すぐ横に定食屋のマスターが座ってきた。


「なんだ、ヨウちゃんも監禁か。」


「マスターも同じところだったんだ。監禁だなんて…、確かに外とは隔離されてるけどさあ。」


周りを見渡すと、食事をしている人たちはあまり浮かない顔をして、誰とも目を合わせないようにしている。30−40人くらいはいるのに、刑務所のように沈んだ雰囲気だ。もちろん実際に入ったことは無いが。


「それよりさ、見たんだよ。ここに入って来る時。」


「何を…」


「駐車場に、○○ナンバーの大きなバンが止まってた。」


マスターは、ここよりだいぶ北の方の地名を言った。


「しかも、完全に中が見えなくなってた。あれはこっそり人を運ぶための車だよ。」


「個人情報への配慮とか?」


「違うよ、ヨウちゃんもニュースでやってたの見ただろ。北の原子力施設の事故で出来た立ち入り禁止区域の中に隔離施設があるって。指示に従わない奴はみんなそこに連れて行かれる。」


そういえば、定食屋のニュースでそんなことをやっていた。

SNSでも噂になっているけれど、どれも肝心な証拠はなく都市伝説のようなものだった。

10年ほど前に起こった事故で、その原子力施設周辺は人が住めなくなった。

そこに、言うことを聞かない感染者や感染が濃厚である者を隔離するんだとか。

逃げようと思っても、周りには何もないし人もいないから感染の可能性が低い。

それに被曝の可能性があるから、多少なりとも理性が残っていれば出ようとは思わないと。

まあ、立ち入り禁止区域内とは言ってもただちに死ぬような線量ではないらしいが。


「まさか、ただの噂でしょう?それに○○ナンバーなんてこのあたりでも結構見かけるよ。」


「ルール読んだ?あれの最後の方に書いてあるよ。」


「読んだけど、迷惑をかけないこととか、迷惑を(こうむ)ったら教えてくれとしか…。」


「それだよ。さっき他の人に聞いたんだ。毎夜、投票がある。部屋に数字を入力する端末なかった?みんなそこに番号を入力するって。」


はっ、として俺は右胸につけたバッジを手で触った。

『施設内にいる時は必ず右胸につけていてください』

マスクグローブの巨乳ちゃんはそう言った。

42番、俺は42番だ。


「それって、何も入れなかったらどうなんの?それに番号を間違えてしまったら。」


「わからないけど、そういうルールで、現にいなくなってる人もいるってさ。きっと投票で選ばれた人が北の隔離施設に連れていかれるんだよ。素行の悪い人は脱走して感染を広げたり、この施設で問題を起こして余計な手間をかけさせるから、隔離してしまった方が人手がかからないってことだろうね。」


酷い話だ、個人的な恨みや間違いで選ばれたらどうなってしまうんだ。

おまけに期間満了で出ていく人や症状悪化で医療機関送りになる人と見分けがつかない。


「怖っ…」




部屋に戻る時、人からバッジが見えないように体の位置をずらしながら歩いた。

他の人が視線を合わせなかったり、背中を丸めているのはこれが原因なのかもしれないと思った。

おどおどキョロキョロしながら歩いていたら、人にぶつかってしまった。


「あ、すみません」


あわてて頭を下げるすきに相手の数字を確認する。90番…


「気を付けろよ。」


90番はそういうと、ぐいっと俺の顔を上げさせた。目が痛くなるような短く刈り込まれた金髪が揺れ、90番の目が俺の番号を確認するのがわかった。



部屋には確かに妙な端末が壁に埋め込まれていた。ATMのような数字を入力するキーと、小さな画面。

誰かを追い出したいとは思っていないが、もし自分の番号を入力していたとしたら?

俺の番号を知っていそうなのは今のところマスターと金髪だけだが、他の誰もが投票しなくて金髪だけが俺に投票したらどうなる?

無効になるのか、それともそれだけでも隔離の対象とされてしまうのか・・・

マスターが俺に入れることは無い(と思いたい)ので、懸念は金髪と、どこかの誰かの間違い入力だ。

そう考えると、今は自分の安心のために90と入力しておくのがいいような気がした。


数字のキーを押すと小さな画面にその数字が表示され、Enterと書かれたキーを押すと、画面はチカチカと点滅したあと消えてしまった。

そこからはどう触っても画面は光らなかった。受け付けられたということだろうか。

よく知らない誰かを放射能汚染の可能性が高い地域に送るということについて想像すると、心臓の音が大きく聞こえ呼吸が浅くなった。あまりにもいろんなことが一気に起きたせいなのか、自分で考えるよりも自分が動揺しているせいなのか、その場にへたりこんでしまった。

ゆっくりと息を整えながら何を見るでもなしに視線を動かすと、ベッドの足の裏側に何か小さいものが落ちていることに気がついた。



◇◇◇◇



次の日、朝食を食べにいくと、端の方に金髪が座っているが見えた。

同票数だったのか、最低得票数の基準があるのか。とにかくこれ以上あいつにかかわるのは賢い選択ではなさそうだと思った。

とりあえず少し離れた場所に座ろうと、ぐるっと会場を見渡すと、マスターが誰かと相席で食事をしているが見えた。


「おはようございます、ご一緒してもよろしいですか。」


マスターと、若い男に声をかける。

マスターは51番、若い男は6番のバッジをつけていた。


「ヨウちゃん、おはよう。座って座って。こちらタカハシさん、もう3週間目なんだって。タカハシさん、こちらヨウちゃん。昨日私と一緒に連れてこられたウチの馴染み。」


「おはようございます、どうぞ。」


6番は少し微笑んで、手を動かした。

俺はタカハシの横に座った、バッジの番号を見にくくするために。


「それでタカハシさん、やっぱり結構いなくなる人多いの?」


マスターはタカハシとの会話を続けた。どうやら例のルールについて話しているらしい。


「ええ、多くはないですけど。重症化して病院に連れていかれる人もいますけど、それはたいてい昼間に運ばれていきます。そうではなくて、夕食時はいたのに次の日の朝食にいないという人が時々。」


「それはやはり何か問題を起こした人なんですか?」


俺はタカハシに聞いた。


「そういう傾向はありますね、いなくなった人全員の行動を覚えているわけではないんですが、外に出たいとごねたり、荒っぽい言葉で相手を(ののし)った人がいなくなっています。奥の方に金髪の方がいるでしょう?あの人とかそろそろ危ないと思いますよ。結構反感をかってますから。」


俺が昨日ぶつかった奴だ。すでにトラブルを抱えてるとなるとあいつの方がいなくなる可能性は高そうだ、少し安心する。


「監視社会みたいですね。」


「本当に、お互いがお互いを監視しあってるみたいたいですよ。まあ、トラブルなんて無い方がいいですけどね。」


それはそうだが、なんというか平和な地獄といった印象だ。


「ヨウちゃん、間違えて番号入力しないでくれよ。俺51番、タカハシさんは6番ね。ヨウちゃんは、ええと()()番?」


マスターが無知なふりをして圧力をかけてきた、なかなかの狸おやじだ。


「そう、41番。昨日も見たでしょ?」


笑いながら言う。41番、昨夜ベッドの下で見つけた、俺の生命線。

誰かの忘れ物なのか、ベッドの下にバッジが落ちていたのだ。

食事の時など、他の人に見られる場合はこのバッジをつけておいて、検診など職員と話さなければいけない時はもらった42番のバッジをつける。

マスターと金髪が昨日の番号を覚えていることが心配だったが、番号が近いので覚え違いだと思ってくれるとありがたい。

職員がちゃんとチェックすればバレてしまうのだが、毎日厳密にチェックしているようにも見えないので、

たとえバレてしまうにしても、俺を追い出そうとした奴がいた場合に多少の時間稼ぎにはなる。



朝の検診が終わると、日中はやることもないので建物内をブラブラするしかなかった。

景色を眺めたり、図書室のような部屋にいったり、映画を借りることもできるらしかった。

低層階へつながる階段やエレベーターには警備員が立っていて、通ろうとするとやんわりと断られる。


何か用があれば職員が集まってる受付のようなところへいくしかない。受付といっても外部から人が来るわけでもなく、1階にあるわけでもない。ただ、カウンターがあって、垂れ下がったビニールの奥で職員が何やらパソコンをいじっているのが見えるので、役所の受付みたいだというだけだ。


夕方、食事を食べにいくには早めの時間になんとなく”受付”へ行ってみた。

やることがなさすぎて、少しでも変化がありそうなところがそこだったからだろう。


「んだば、へげしてけれ。」


奇妙な訛りで職員と話している男は、格好が他の職員と少し違った。

マスク、ゴーグル、手袋、それに全身を覆うビニールのような服。医療従事者のような格好なのだが、色が違っているのと、三角と丸を組み合わせたようなマークが描かれていた。


「ほだら、今日は1か2か。」


「はい、いつもありがとうございます。」


「なんもね。」


納入業者とかだろうか。職員というより外部の者に見えた。それにかなり独特のイントネーション。

そこまで見ていてマスターの話を思い出した。



○○ナンバーのバンが止まっている。



この男の特徴的な訛りは、ここから北の方の地域の言葉だ。○○ナンバーが入っている地方。

それにあの丸のまわりに三角が3つついているようなマーク。

あれは放射能(ニュークリア)マークじゃないのか。


俺は後ろめたいことなど何もないのに早足で来た通路を戻っていった。


迷惑をかけた奴。

毎日の投票。

原子力施設の立ち入り禁止区域。

県外のナンバー。

きつい訛り。

マーク。


もしかすると、連れていくのは決まった日だけなのかもしれない。

そうすると投票も1日ごとにリセットされるのではなくて、一定期間の累計で判断されるのかもしれない。

今日は1か2か、と男が言っていた。それは連れていく人数だろうか。

考え始めると急に不安になり、胸が締め付けられるように感じた。

なんとか落ち着けようと、手で胸を押さえてゆっくりと深呼吸をする。


吸って、吐いて

吸って、吐いて、

吸ってー、吐いてー。


ふと見ると、胸についているバッジを触っていた。

そうだ、俺には41番のバッジがある。何も不安になることは無い。




◇◇◇◇◇




夕飯はそんなに食べられなかった。

自分自身に言い聞かせてみたものの、10年汚染されたままの土地に閉じ込められるということを想像すると、いい気分にはならなかった。

マスターともタカハシさんとも殆ど喋らず部屋に戻り、淡く光る端末に「90」と入力した。少しでも安心したかった。


そのまま横になって考えるとじょじょに頭が冷静になってきた。

そうだ、俺が選ばれる可能性は低い。

金髪以外とトラブルはないし、むしろ金髪の方が迷惑をかけている側だ。

それに俺の番号を知っている奴は少ないし、おまけに本当の番号をしっている奴はさらに少ない。

何を怖がっていたのか、とたんにおかくなって笑ってしまった。


その時ノックの音がした。


どくん、と胸が鳴った。


「ど、どな…」


がちゃり

俺が言い終わらないうちに扉が開いた。

医療関係者がすぐに入れるようにドアチェーンは外されている。


「ヨウさん、42番。ちょっと施設を移っていただくことになったので、来ていただけますか。」


ゴーグル、マスク、グローブに身を包んだ男が数名立っていた。


「ーーーっ」


声を出そうとした瞬間、一気に押さえつけられた。目と口を塞がれ、後ろ手で高速された。

本当に一瞬のことだった。


「ケガ、しちゃいますよ。気をつけてくださいね。暴れなければケガしないですから、わかりました?」


体重をかけながら男が耳元でささやいた。


俺は黙って頭を縦に振った。それ以外にどうしろというんだ。


「よし」


二人がかりで俺は引き起こされ、廊下に連れ出された。目隠しをされて、口も塞がれている。

なんとか抵抗しようとするが、身体がうまく動かない。


「んーっ!」


「落ち着いて、何も殺そうというわけじゃないんだから。」


防護服の男たちはそう言って俺を両脇から抱えるようにしてどこかへ連れていった。

エレベーターに乗ってくだっているということはわかったが、目を塞がれていると方向感覚が狂っていく。

下の階に降りて廊下を歩き、階段をくだり、またエレベーター。

どんどんわからなくなっていく。果たして同じ建物のなかにいるのかすらあやしい。


と、不意に冷たい空気が頬に触れた。

外に出たのだ。


「今日の移送者です。」


「1名かね。まいどどうも。」


びくん、と身体がこわばる。あの方言だ。カウンターで話していた男の声。


「んじゃ、乗せてくんろ」


大きめの何かが動く音がした。


「段差あるぞ、気をつけて。」


バンだ、バンの後ろのハッチを開けてそこから乗せられている。

頭と肩を押さえられて、座席に座らされた。

改造されているのか前方に向かって両側に座席が向かい合わせで配置されているようだった。

シートベルトを上からかけられ、口を塞いでいたテープを取られた。


「もう聞こえないから、声だしてもいいですよ。でもあまり叫ばないでくださいね、けっこう長旅なんで喉が乾くと大変ですよ。」


「ま、まって、まってくれ。」


「なんですか」


「どうして俺なんだ、絶対俺じゃ無いだろう!投票の結果はどうだったんだ?」


自信がある。誰も俺に投票なんてしていないはずだ。

していたとしてもあの金髪の方が得票数は多い、間違いない。


「投票?よくわからないですね。それでは」


「まってくれ、まってくれ!バッジ見てくれ!41番だよ、42じゃない!」


「そうですか。」


バタンとくぐもった音がしてハッチが閉められた。

目隠しをされていても外気と遮断されたのが伝わってきた。


「んだば、出発しますけ。」


外から男の声が聞こえ、前の方から人が乗り込むような音が聞こえた。

がくん、大きな車特有のゆっくりだが力強い揺れが身体に伝わってくる。

加速して、減速、曲がって、また加速。

駐車場の中を回っている。

何度か繰り返していると、街中に出たのか加速の時間が長くなってきた。


「空いてますねー」


「んだなぁ」


運転席の会話がわずかに聞こえる。

広い道路を走っているのか、殆ど減速をせずに進んでいる。

いったいどこに向かっているのか。

行き先は考えないようにして、なんとか逃げ出すチャンスはないかと耳をすましていたが、

そんなうまいことは起こらなかった。

時間の感覚がなくなってきたころ、気になる会話が聞こえてきた。


「このあたりは除染も進んでなくて、自治体が違うから国の補助のもなかったそうですね。イノシシとか獣害が酷いそうですけど、キノコをよく食べるんで汚染が酷くて処分も簡単じゃないと聞きました。」


「よぐ、()ってるなぁ、この辺りの人たちも苦労しとるで。」


県境の自治体は放射性降下物があったにもかかわらず、県が違うので十分な補償が受けられていないというニュースを見たことがある。今はその辺りなのだろうか。


しばらく揺すられていると、減速していくのがわかった。

そして何の加速度も感じなくなり、ギリっというサイドブレーキを引く音が響いた。

到着するには早すぎる、高速道路のサービスエリアだろうか。


「休憩だぁ。こっからは下道だで。」


バックハッチを開く音がして、冷たい空気が流れ込んでくる。

本当に北の方にいるんだ。


「よっと、疲れましたか…」


「助けてくれ!誰か!誘拐だ!!」


こんなところに人はいないかもしれないが、もし誰かが聞いていたら警察が来るとかメディアが嗅ぎつけるとか、何らかのチャンスがあるかもしれない。一か八か大声をあげた。


「誰か!助けて!助けてくれ!」


声を出し続けた。

しかし、何も反応は帰ってこなかったし、ハッチを開けた奴も何もしてこなかった。


「はぁ、はぁ…」


「満足しました?この辺りに人なんていないですよ。星が綺麗です。ここから先は窓を開けて進むことは未だに許可されていないんです。ここがいい休憩ポイントなんですよ。何か飲み物でもいかがですか?疲れたでしょう。」


俺は黙って首を振った。本当に来たに向かっている、汚染された侵入禁止のエリアに。


「そうですか。」


ばん、とハッチが閉じられた。


15分ほどだろうか、その場に止まったあと車は再び走り出し、曲がりくねった道を通り、舗装も満足にできていないような衝撃をうけながら進んだ。

復興、復興、と言われていても、立ち入り禁止区域は完全に手付かずの場所が広がり、除染で出た土を運ぶために大型車両が通るせいで、道も劣化するが再舗装もなかなか進んでいないとも聞いた。


やがて下からの衝撃が和らぎ、明らかに今までとは違う人工的な物の中を進んでいるという雰囲気があった。

徐々に減速し、何回か角を曲がって車は止まった。

どれだけの時間が経過したのかわからなかった。


「はい、今回は1名です。よろしくお願いします。」


かすかに外から声が聞こえ、ハッチが開けられた。


「お、俺がなにをしたって言うんだ!やめろよ!」


何を言っても変わらないのはもうわかっていたが、それでも言わずにはいられなかった。こんなことが許されるのか。なぜ他の奴ではないのか。そこの施設の職員と思しき連中は何も応えず、俺を両脇からかかえて車から運び出した。





◇◇◇◇◇



「おー、今日のは元気がいいなぁ。」


「かなり。あそこであんな声はなかなか出せませんよ。」


モニターを見ながら。所員同士が話をしている。


「ところで、なんであの男性を選んだんですか?そんなに悪い人には見えなかったですけど?」


部屋の端でモニターをずっと見ていた女性職員に聞いた。


「バッジ渡す時の担当だったんですよ、私。そしたら、身体をじろじろ見られて気持ち悪かったんです。あのままいたらセクハラしてますよ、彼」


「あー、そうだんたんですか。そういう人は確かにさっさと隔離した方がいいかもしれませんね。それに仲が良かった人もいたみたいなんで、目に見えない抑止力になりそうですね。」


「ホント、これはいい仕組みですね。」


「そうですね、収容所送りが嫌なら大人しくするし、迷惑な奴は収容所送り。」


「しかし、それがまさか同じビルの地下だとは思わないですよね。あの自動車の動きを再現する機械はどこから来たんですか?」


「知らないですか?ほら、有名な遊園地があるじゃないですか。あそこ来場者が減っちゃって、今じゃ殆どアトラクション可動してないんですよ。それを有効活用しているんですよ。」


「なるほどー、だからあんなにリアルな動きができるんですね。目を閉じてると本当に進んでいるように感じますよ。」


「遊園地も機材を有効活用できるし再開した時にまたすぐ機械を使うことができる。私たちは余計な手間をかけずに患者を大人しくすることができる。何よりみんなが楽しく仕事ができる。」


「本当にそうですね。ずっと人に気を遣ってばかりで、なんで一部の横暴な人たちに苦しめられなきゃいけないんだって思ってましたからね。もちろん、そういう人ばかりじゃないからちょっと心は痛みますけど。」


「私たちが倒れたら感染症対策はおしまいだからね、モチベーションを維持しつつ業務負荷を下げるいい手段ですよ。曖昧な情報を流して、噂話がでているせいでここに来る人みんな収容所のこと知ってますからね。」


「リアルさを高める仕組みがみんなから提案で出てくるのもいいですね。放射能(ニュークリア)マークとか、訛った運転手とか。」


くくく、と笑う。


「サービスエリアで休むっていうのもなかなかですよ。それにリアルさを増すためにあの辺りに住んでいた人を雇ってきていたりするんでしょう?」


「そうそう、いいお金の使い方ですよ。なにより政府答弁もうまいですよね、与党も野党も肝心なことは何も言わない。それに実際に立ち入り禁止区域を調べにいっても何もないわけだから、根拠のない話だけがメディアでとりあげられて、疑心暗鬼が広がる。」


「この国の政府はやるときはやるんですね。」


男が、地下の個室に入れられるところを見届けて今日のお楽しみはお開きになった。


本当に仕事は楽しくあるべきだと思う。

フィクションです。現実の個人・団体・制度・地域・施設は一切関係ありません。

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