六話 文無し魔王、聖女に飼われる
俺は地面に擦り付けていた頭をあげて聖女に再び顔を向けた。聖女は堪え切れないと言うように腹を抱えてクツクツと笑っていた。何故笑っているのか分からず、俺が茫然とそれを眺めていると、ヒーヒー言いながら聖女が漸く答えた。
「面白い事仰るんですね! あなたが魔王様? そんなわけないじゃないですかぁ! 魔王様はもっとキリッとしてて優しくてカッコ良くて、こんがり肌の引き締まったお身体をなさってて笑うと白い歯が溢れて本当素敵で、目の中なんて星が何個入ってるんだろうって思うくらいキラキラなさってて、あなたの泥沼の淀みの様な濁り方した目とは全然違います!」
「泥っ——お前、なんて失礼な……良く見ろ! 髪や角はしまってあるが俺は魔王だ!」
「良く見ても同じです。あなたは魔王様とは似ても似つかない別人ですもの。それ以上見え透いた嘘を言い続けるのでしたら魔王様侮辱罪で成敗しちゃいますよ!」
「本人だ! 付き合えだ何だとあんだけしつこかったくせに分からないのか⁈ お前は何処に目と脳が付いてるんだ!」
「標準的な場所にちゃんと付いてます。あなたこそ何処に目が付いてて何を見てるんですか。ちゃんと鏡を見た方が良いですよ。はい、侮辱罪ですぅ」
がぼっ、と聖女は俺の口にパンを突っ込んで強制的に黙らせた。外はパリッと固めで中はふわんふわんのパンは怒り心頭でもしっかり美味しかった。
「はぁ。面白い冗談でしたけど、占い師としてのお力が確かな事は分かりました。私が聖女であると見抜き、魔王様との関係まで把握した上での渾身のギャグ」
「……ぎゃうらなひ」
パンをもぐもぐしながら訂正した俺を無視して聖女は立ち上がった。
「私の見立てにやはり間違いはありませんね! 合格です! あなたを私のお供に任命して差し上げます!」
そう言って顔の前に右手を差し出してきた聖女を見上げて、状況を飲み込めない俺は固まった。
「……は?」
「ですからお供に加えて差し上げます。私はこれから旅に出なくてはいけませんので、旅にはお供が必要じゃないですか。私と魔王様との関係性まで見抜いてしまっている凄腕のあなたとなら、今までは大っぴらには出来なかった魔王様との恋話をしながらの楽しい旅が出来そうですもの! さあ! 日のあるうちに出発しましょう!」
ニッコニコの聖女に、パンのお陰で微量ながら回復した俺はまた大きな声を出してしまう。
「はぁあっ⁈ 何を言ってるんだお前は⁈ 俺は魔王だって言ってるだろ⁈ なんでその俺がお前と旅をするんだよ! それしかもアレだろ、魔王討伐の旅だろ⁈ 俺が俺倒しに行くのおかしいだろ⁈」
「もう、それ良いですって、自称魔王設定。どっちかって言うと出落ち感強いですから、擦り続けても面白い類のギャグじゃないですよ」
「ギャグじゃないっつってんだろ!」
「しつこいんですからぁ……」
お前にだけはしつこいなどと言われたくはないと怒鳴りかけた時、聖女が再び蹲んでピッと俺の鳩尾あたりを指差した。
「あなたが何処まで私の事を視ているのか分かりかねますが、私は何度も聖女としてこの世界に生まれています。生まれる場所や環境は様々でしたが、今世では豪商の娘として生まれ落ちました」
「……だから、なんだ」
「それ。今あなたがお召し上がりになった果物アラマンゴは、ご存知かと思いますが王室献上品に指定されている高級品です。拳大程の物が一つで一万ディル。別名が赤い宝石なのも納得のお値段ですね」
俺は自分の肩が勝手に震えたのが分かった。この世界は今まで何百年経とうと通貨が導入されてから価値も名称も一度も変わっていない。今世もそうなのであれば、小銭拾いをして食料を買った事のある俺にはその価値が分かる。一般的なパンが二十ディル程で買える中、果物一つが一万ディルとは恐ろしく高い。
「そしてパン。これはこの町で行列の出来る有名な店パン・ドゥ・ラの物で、時間が経っても柔らかいのが特徴。作るのには手間暇が死ぬ程かかっていて日に焼き上げられるのは五本が限界、しかも前日予約制。物凄く美味しいけれど手間が何倍もかかる分値段も釣り上がる。一本で五百ディル」
「五百⁈ バカな! 指二本分程の長さでか⁈」
「そ、驚いちゃいますよね。気軽に食べちゃった物がそんなお値段するなんて」
聖女は自分の膝を机に見立てて肘をつき頬杖すると愛らしく微笑みかけた。
「果物は実家の商品、パンは私が食べたくて買った物なんです。弁償していただけますか?」
「——はぁっ⁈ お前……親切心で俺に施しをしたんじゃ……」
「ええ。でも、情けは人の為ならず、って言うじゃないですか。だから、今すぐ返して欲しいんです。その情けの分を今ここであなたに」
聖女はにっこりと笑ったまま俺を見ている。俺は目の前で笑っている女が恐ろしくなって、子犬の様に怯えた声を出してしまった。
「それは、その内にどっかから巡ってって意味で……当人から取り立てる様な真似……お前それでも聖女か⁈」
「ええ、私は聖女なんです。ですが今世に限ってはイレギュラー続き。だから私は一刻も早くここを旅立たなくてはいけない。その為にあなたが必要なんです、自称魔王の占い師さん」
聖女は俺に睨む様な強い眼差しを向けた。
「……で、お支払い頂けますか? それとも逃げます? その場合は警官を呼ぶ事になりますが……ここの警官はならず者の相手をする事も多いそうで随分と手荒いと聞きますよ?」
口許だけで笑う聖女を前に、俺は俯いた。あったらこんな麻袋は着ていないし餓死しかけない。逃げ切るだけの体力も抵抗する腕力も元々ない。
それを透かし見たかの様に、幼い顔の聖女は明るい声を出した。
「ですよね! じゃぁ、私の旅のお供になって下さい!」
「……なんで俺なんだ」
当然と思える問いを俺は聖女にぶつけた。俺が魔王であるとカミングアウトしたにも関わらず、そうとは微塵も信じていなさそうなのに、何故数多いるその他の人間ではなく俺を供に加えたいのか。
「何故って、決まっているじゃないですかぁ!」
聖女はバカにする様に立てた人差し指をチッチッと左右に振って見せた。
「今の私に必要なのは忠実なる供です。忠誠心を醸成するには時間がかかりますが、弱みを握って恩を売り従わせれば似たような物が超速で出来るじゃないですか。あなたはボロボロの放浪者で、倒れるほど腹ぺこな上にお金もない。それを私が解消して差し上げますから、私の鎖に繋がれて私の指示に従って下さい。大丈夫! 私は聖女ですから加護はたっぷり付いてます。なんの心配もいりません。この私の目に選ばれたあなたは完璧なお供になれますよ!」
キラキラの笑みを浮かべた童顔は純粋に可愛いが、聖女よ、言っている事とやっている事は悪女のそれだ。
俺は何かを言い返す気もなくしてがっくり項垂れた。
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