四話 デジャヴは真白き三角形
洞窟周りに生えていた食べ応えのありそうな草——慣れたもので最近は完全に食料と思っている——を口に押し込んでモシャモシャ言わせながら俺は小箱を撫でる。
「苦節1000年、しかし俺は最適解に辿り着いた。そして今世において帰還計画をついに実行する」
俺は口の端からヤバそ気な形状をした葉を覗かせて低い笑い声を漏らした。
この、俺お手製の小箱には魔封じの呪いが施してある。小判鮫生活において生き残る為の必須と言っても良いアイテムだ。
と言うのも、ゲートを開けた奴の手下として一緒に下界に降りさせて頂いたとて、そこに明確な主従関係が無い場合もある。
まぁ、魔力の強い奴は洗脳だとか隷属だとかを様々施すこともあるが、それが無い場合、手下が魔力やポイントをガンガン溜めて力を蓄えてしまうとどうなるか。魔王が裏切りと簒奪を恐れてその手下を誅殺するなんて事が起こる。
競い合う事大好きで、あわよくば出し抜いてやろうって奴だらけの中で魔王するのもメンタルが擦り減るのだ。
因みに俺は一人で来てるからその手の心配とは無縁だ。こんな低ランクに付いてくる奇特な奴はまずいない。
そんな、魔力とポイントをガンガン溜めに来てるのに夢中になってると後ろから魔王に斬られるというジレンマの中、小判鮫共が編み出した秘策がこの魔封じの箱だ。
瓶でも壺でも何でも良いんだが、俺は箱型が好き。木組んで自分で作れるからお手軽で。
名前の通りこの箱は、開けた者の魔力を吸い取って中に封じ込めてしまうという良くあるアレで、小判鮫たちはこの中に己が溜めた分の魔力を封じておいて、弱いままに見せかけ主人を安心させると言った小細工をしつつ魔力集めに勤しむのだ。
ただこれで魔王に殺される心配が低くなった分、反比例して小判鮫同士で他人の箱を狙って闘り合う事が多くなるのが難点だな。鼻くそな俺は巻き込まれたらすぐに明け渡す事にしてる。
勝てるわけないしまだ死にたくないんだ。
同志の中にガキ大将気質の奴が多いと頻繁に差し出す事になって、その度に新しく作り直さなきゃいけなくなるから、木さえあれば切り出して自分で作れる箱型が俺には最適な形だった。
さっき好きとか言ったけど嘘だ。本当は鼻くそ故の悲しい理由だ。
「この箱一つとっても鼻くそな俺だが、今回ばかりは悲しくも身に付けた特技に感謝するぞ。俺はこれに数十年単位でバレないようにコツコツと魔力を溜めて来たんだ。数年早く目覚めては、しょっぱい悪戯レベルの悪事で魔力をちまちまと溜め、100年目に入り魔王城が築城される直前に、来世でも会おうなと誓い合って箱を洞窟の奥に埋め……をコツコツ繰り返した。だがそれもあと少し。あと少し溜めればゲートは開けるし何なら魔力を多少は持ち帰れる。歓喜で震えが来るが焦らず慎重に、長らく閉じ込められたこの世界への万感の思いを噛み締めてあと一押し魔力を溜めよう」
俺は幾らか腹を満たすと立ち上がり、魔王城前らしく毒々しい色の沼や泥濘んで歩きにくい地面を踏み越えて、その汚泥で育った草を毟っては口に運びながら近場の街へと魔力集めに向かった。
因みに3日はかかる。想像に難くない通り、毎度苦行です。
角も爪もしまい、なけなしの魔力を振り絞り服装も変えて人間に簡易擬態した俺は、辿り着いた近場の街中を小箱を抱えてふらふらと歩く。
箱の魔力は壊さない限り取り出せないので、生命維持に回す魔力も残っていない俺はまず早急に食事をしなくてはいけない。が、これは毎度困るのだが俺はこの世界の通貨を持っていない。
ヤバそうな草と泥水で得られるエネルギーなど、それこそ鼻くそと同等でいくら食べても腹に堪らないどころか何なら具合悪い。あと口内がずっと青臭くてヤダ。
いつもは親切な人間が見かねて食べ物をくれたり、自力で落ちてる小銭なりを探すのだが今日はどちらもまだ出現しない。一口何かまともな物を腹に入れられれば小さな悪事の一つも出来よう物だが、今世の人間共はなんとも冷たい。ふらふらの放浪者は完全に無視だ。
畑からこっそり盗もうにも寝てる間にデカい街になったのか都市部過ぎて畑も見当たらないし、露店から盗むのは今の俺にはリスクが高い。
木材や土壁が基本だった家がお洒落なレンガ造りになってるし、てろーんと布被っただけの様なザ・村人の服っぽかった奴らがしっかりした生地の小洒落たシャツとか着てる。
そのせいか? 麻袋一枚被って逃げてきた奴隷みたいだから無視されてんのか俺?
「くそ……人間共の技術の向上を甘く見ていた……リサーチしてから擬態すべきだったが、もう変化させる魔力はない……鼻くそが恨めしい……」
生ゴミでもいいからとにかく食物を、と露店と露店の間から路地裏に入った所で、ドンッと、前から歩いて来た帽子を目深に被った男にぶつかられて、俺はよろめいて地面に倒れた。
「……チッ。気ぃつけろ……」
いやお前だろ、ぶつかってきたの! お前が気をつけろよ! 俺は端っこ歩いてたよ! とは、ちょっとぶつかっただけで尻餅つくほどふらふらな身では言えない。
「……さーせん」
こんな人間如きに謝らされるなんて屈辱だが、今喧嘩になったら確実に負けるので謝罪しておく。
今に見てろよ、ここを去る時には最後っ屁であっちこっち壊してやるからな……後少しなんだ、あと少し……と、大股で去っていく帽子の男の背を食いしばった歯をギリギリ言わせながら睨んでから、取り落とした小箱を拾って俺は立ち上がろうとした。が、
「……あれ?」
傍らに落ちているはずの小箱が見つからない。前にも横にも後ろにも何処にも無い。
「どこだ⁈ どこ行った⁈ 俺の切り札……」
そんなに遠くに飛ばす筈もないのに見当たらない小箱。考えられる事は一つ。
「——あいつ!」
俺はすれ違って去っていった帽子の男を振り返る。あいつはワザとぶつかってきたのだ、俺が大事に抱えていた小箱を狙って。
ふらつく足で立ち上がって、今出せる最速で男を追いかけ路地を飛び出るが、人通りの多い往来に紛れたものか、男の姿は既になかった。
「は……そんな……嘘、だろ」
膝から力が抜けて立位を保てなくなった俺は、ぐしゃっと地面に頽れた。
およそ1000年囚われ続けてきた中で、何とか監視の目を潜り抜けて作り出し、コツコツ積み上げてきた数十年分の時間と努力があのスリの手によって一瞬でふいにされた。その絶望と虚無感は、俺の心を打ち砕くに易かった。
もう無理だ。もう立てない。
これからまた数百年かけて、一からコツコツ魔力を溜める気力なんて俺にはもう残っていない。俺は座ったまま天を仰いで、そのまま後ろに身を倒した。
空は雲ひとつなく青く澄んでいて、遮るものもなく降り注ぐ太陽光は眩しすぎて痛い。
人の気も知らずに長閑を演出しやがって、とその眩しさを恨めしいとさえ思わないくらい絶望している。指ひとつ動かせないほどに空腹も限界だ。
もういい。
もう全てを諦めてここで終わりを迎えよう。
この世界に閉じ込められたと気づいた時にこうしていれば良かった。俺は魔族で魔界の生き物だから、死ねば魂は魔界へ還るんだ。いつかまた生まれた時は、鼻くそよりはましになっていればいいな。
命の灯が消えかかるのを感じながらそう願って空を映していた視界に、突然黒い影が現れた。なんだ、と思う間もなくだらしなく開いてしまっていた口に、その影によって何かを急に押し込まれた。
「——むがっ!」
静かに衰弱死するつもりでいたのに無理矢理に窒息死させられそうになって、死を受け入れる気でいた筈の俺は反射的に踠いた。意外と力残ってるもんだ。
「うぅご……んぐがっ……ぐぅっう……う?」
踠く内に、口にグイグイ押し込まれる物の正体に気付いて俺はバタつかせていた腕を止めた。口中に広がるトロッとした強い甘味と鼻に抜ける華やかな香り……鼻くそなヤバ味の草ではない、ちゃんとした食物。
多分極限状態でなくとも美味しいと思うだろう、甘い甘い果物だ。
「お腹空いてらっしゃいますよね? まだ幾らでもありますから、沢山食べてくださいね」
逆光で真っ黒になっている人影が、俺の口に果物を押し込む手を緩めてそう声をかけてきた。女の声だ。
「お水もパンもありますよ。食べられますか?」
たった100年足らず眠っていた間に、この世の人間どもの心には氷河期が訪れていたのかと思っていたが、まだ心に焚き火のような暖かさを灯している者もいたかと感動した俺は、押し込まれた果物を飲み込んで涙目になりながら、のっそりした動きで身を反転させると、足下に這いつくばる形になって女を見上げた。
女はふんわりしたスカートを履いて俺の頭上で無防備に三角座り宜しく蹲み込んでいたので、ここははっきり言っておくが意図せずに、意図せずにデルタゾーンがばっちり見えた。
「少しは元気になられましたか?」
しっかり見えた真っ白な物に既視感を覚え、穏やかな声でそう尋ねてくる女の顔を確認する。
何故かショールを頭から被って、隙間からくるんとワンカールした銀色の髪をはみ出させた女。
女と呼ぶには幼過ぎる顔立ちの、華奢で小柄そうな骨格をした色白な少女が、スミレ色の大きな瞳で俺を見ていた。
こんな髪色や瞳をした少女を、一瞬幼女かと思ったほど幼い顔立ちをした小柄そうな少女を、俺は知らない。人間に知り合いなんていないのだから当然なのだが、俺はこの少女の事を知りこそしないが誰であるかは分かった。
どんな姿や声をしていても、魂の形は変わらない。その魂の悲鳴を糧にしている魔族にはそれが見える。
この少女は、俺の目が魔力切れでイカれていなければ、間違いなくあいつだ。
「……聖女……」
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