01
『ここで何をしているの?』
優しげな声に、青年は顔をあげた。
夕暮れと夜の間、黄昏とでも言うのか、外は暗く見えるのに、外を歩いてみるとまだ明るいと思うそんな時間の路地裏は、とても暗い。
だが、辺りは明るかった。金髪の髪が、あったのだ。
薄明かりの下、その金髪だけが、暗がりを照らしている錯覚さえ思わせる。
『お姉さん、こんなところに一人じゃ危ないよ?』
『大丈夫。あなたこそこんなところで何をしているの?』
優しい声。それに青年は、緊張していた表情を、緩めた。
大人の顔にも見え、しかし子供の顔にも見えるあどけなさ。
その顔が、女性を捉えていた。
『今日、初ライブなんだ』
青年が指をさす先には、ライブハウスと書かれている建物があった。
青年は、笑顔をまた固いものに変えた。
『緊張しているの?』
『だって、俺ボーカルだし。ボーカルが失敗したら、すぐにわかるじゃん』
まぁ、確かに。そう思わないでもないが。
この青年は、どうやら人前で歌うというところには緊張は感じないようだ。
言った端から、失敗が怖いと言っている。
まるで、自分に暗示をかけるように。
『最初なのだから、失敗してあたりまえじゃない』
『え?』
驚いたように、青年がこちらを見てくる。座っている青年と、立っている女性。
必然的に見上げるのは、青年の方だ。
目の前の美女は何を言っているのだろう。そんな顔が、とても子供っぽい。
思わず女性は笑ってしまった。
『あ、あのぉ』
『ごめんなさい。でも、思っているのは本当。最初は失敗するものよ』
『でも、それでメンバーに迷惑かかったら。マスターも、迷惑掛ける』
青年はおそらく、ここで歌うのが好きなのだろう。好きな環境を手放したくなくて、どうにか頑張ろうとしているのだろう。
いい青年だ。自分が見てきた男たちとは、全く違う。
『失敗したら迷惑だとでも言われたの?』
フルフルと青年は顔を横に振った。
メンバーは、そんなことを言ったことはない。ただ、楽しんでやれと言うだけで。
『だったら、大丈夫よ。あなたはできるわ。失敗して、失敗して、失敗して。それでいいのよ』
にっこりと、美女が笑う。その笑顔に嘘は全く見えなかった。
青年が、少しだけ緊張を解いた。
『失敗して、いいの?』
『お客さんだって、初めから失敗するなとは言わないわ。失敗は成功の元。そこからどれだけ頑張るかが問題なのよ』
『そっか』
お姉さん、頭いいね。
そう言ってふうわりと笑う。子供のようなあどけない顔。
よいしょ、とそう言って、青年は立ち上がる。
結構、背は高いのかもしれない。いや、美女の身長が低いのか。
どちらかはわからないが、青年はニッカリと笑った。
『お姉さん、ありがとう。これ、よかったら、もらって』
『え?ライブのチケット?』
『できれば、見にきて。お礼』
自分が何かしただろうか。美女はそう思いながら、ライブチケットを受け取る。
時間はあるし、見に行くぐらいは大丈夫だろう。
『じゃぁ、もうすぐ始まるし、たぶん仲間が心配してるから、行くね』
『えぇ、見に行かせてもらうわ。頑張って』
にっこりと笑われて、こちらもにっこりと笑い返す。
そうして、2人は別れた。
――――つい1カ月ほど前の話だ。
「お疲れ」
そう言って、声をかけられ、高月 知暁は顔をあげた。
ライブハウス『Fun Tom』で、一歌いした後のことだ。
「お疲れ、ダイ」
「今日もいい歌声だったぞ」
えへへと知暁が笑う。その知暁の頭を、ドラムの大地がぐしゃぐしゃとかきまわした。
笑った割には、最近知暁は暗い顔をする。
メンバーで一番年下な彼の心配してくれているのだ。
「おっ、お疲れ、お前ら」
「お疲れ、タチ、コト」
4人集合。いままでこのメンバーでライブをやっていた。
自分たちはインディーズと言うやつで、このライブハウス『Fun Tom』の一番人気のグループである。
「で。美人さんは今日もいなかったのか?」
「うん、また来てねって言ったのに」
ぶーと口を尖らせて、知暁は頬を膨らます。子供のようなそのしぐさに、皆が笑った。
「見てみたいな、知暁の本命さん」
「コト!本命ってなんだよ」
「その通りじゃん。最初にきょろきょろするのは、探してるんだろ?美人さん」
本命さんも美人さんも、同じ人への呼称だ。と言っても、知暁は名前も知らない。
1か月前、緊張していた自分を励ましてくれた、美女。それだけしか、知らなかった。
だが、どうやら自分はあの瞬間に恋に落ちてしまったらしい。
「会いたいなぁ」
「まぁ、社会人だろうな。スーツ着ていたってことは。それか就活生か?」
どちらにしろ、知暁には年上だろう。知暁は現在19歳の大学一年生。
「会いたいなぁ」
「知暁、いいこと教えてやろう」
にっこりと『コト』こと琴矢が笑った。この笑顔は、おそらく面倒くさくなったのであろうと彼の幼馴染である、『タテ』こと館脇は思った。が、もちろんそんなことは自分には関係ないので放っておく。
「何々!!」
嬉々として顔を明るくさせて言う知暁。
ダイもコトの笑顔の裏側を分かっているのに、知暁はわかろうともしないようだ。
そんな知暁に琴矢はにこりと笑みを深めて言い放った。
「果報は寝て待て」