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歯車の世界

作者: 柚子深

 お互いをよく知る幼馴染というものは、心の拠り所としてとても素敵なものであると僕は思う。彼女、サザナミハルコは、僕、ヨネダユウイチと幼馴染と呼ぶに値する関係だと思っている。それ以上に発展することもなく、それ以上距離が開くこともなく、気が付けばずっと同じ距離感を保ってきた。

 中学で僕ら二人は太陽のように明るく振る舞う人間を演じてきた。ある時、彼らはデキてるじゃないか、なんて噂を囁かれることもあったが、それについてなにか思うこともなく、お互いの距離を維持するだけであった。或いは、お互い踏み込む勇気がなかったのかもしれない。それ程にその距離感は快適で、愛おしかったのだと思う。

 周りの大半が地元の公立高校への進学をする中、僕らは少し離れたところを選んだ。正確には僕は選んだ、というべきだったが、奇妙なことに、ハルコもまた同じ場所を選び、結果的に僕らと言うに相応しい形になってしまった。もしかすると、幼馴染であると同時に、腐れ縁と呼ばれるものであるのかもしれない。

 高校に進学してから、僕は明るい自分を演じることをやめた。自分を偽って周りと関わることで、自分の中に亀裂のような傷が蓄積されていくような、そんな感覚を抱いていたから。

 それはハルコも同じで、僕がそうしたように、彼女も偽ることをやめると思っていた。けれど、彼女は明るい姿を演じることを続けていた。もちろん、亀裂を蓄積させながら。

 自分自身にそう感じたように、僕は彼女に対して「いつか壊れるな」と思ってはいたけれど、それは心配ではなくて、純然たる認識だけだった。


 僕らの帰る家は同じ団地にあって、駅からの帰り道も同じ道を辿った。団地の入り口に公園があって、いつもそこで少し話をしてから、僕は道を左に曲がって、ハルコは道を右に曲がって、それぞれの家に帰る。

「ハルコ、君はいつか壊れるよ」

 ある日、僕はハルコに自分の推察を述べた。

「僕もハルコも、根っこにある姿は明るい人間なんかじゃない。なのに、無理して明るく振る舞ってた。僕らはとても演技がうまかったと思う。だから、周りもそれを僕らだと思ってた」

「ふうん」

 聞いてやらないでもない、という反応をしているのをみて、僕は続けた。

「でも、そう見えるだけで、実際はただの仮面だった。仮装と言ってもいいかもしれない。その内側で、僕らは傷を作り続けてる。金属疲労を起こすみたいに、ちょっとずつ亀裂をためてる」

「だから、いつか壊れるって?」

 そうだ、と僕は返す。

 ハルコの表情から、自分にない意見を聞いたような驚きは感じ取れなかった。判っているならどうして続けるのだろう、という疑問が湧いてきたが、同時にそれが解決されることを望んでいない気もしていた。

「私達はいつか壊れるよ。何をしても。生き物なんて、みんなそう。いつ壊れるかの問題なのよ。きっとね」

 ハルコには彼女なりの持論があるらしい。僕はそれに耳を傾けることにした。

「どうせいつか壊れるなら、それまでの期間を彩ったほうが、面白いかなって思う。それに、誰かと関わったほうが、華やかな気がする。気がするだけ」

「なるほど」

 ハルコの主張はわからないでもない。一つの意見としては筋が通ったものだと僕は思った。でも、僕の意見とは違う。

「僕も人間はいつか壊れると思う。これは、きっと避けることができない。でも、それを早めることに意味はないと思うし、いつか壊れるとわかっているものを繕うことに意味があるとは思えない」

 要するに、真逆だ。壊れるからこそ、それまでを彩る。壊れるからこそ、その過程に意味はない。両者の主張も筋が通っていて、相容れないものなのかなと僕は思った。

「ユウイチくんの主張はわかるよ。でも、きっとね、私の仮面はもう、裏側が溶けて、皮膚から離れなくなってしまったんだと思う。自分ではないのに、自分の一部になっちゃった。だから、それを無理やり納得するしかない」

 僕の意見を肯定する為に述べてくれたなら素敵なものだと思うけれど、もしそれが本心なら些か悲し過ぎるのではないかとも思った。でも、僕に出来ることはないと思うし、手を差し伸べる気もなかった。ハルコの選んだ生き方を、僕は否定する気にはなれない。

 きっと彼女が殺人者になろうとも、同じ感想を抱くだろう。お互いかどうかはわからないが、少なくとも僕は、彼女の領域を侵さないことに決めている。

「……大変だね」

 言葉に迷って無責任な台詞を引き出したことに対して一抹の後悔を感じながら、鞄を手に取り立ち上がる。

「僕はもう帰るよ。じゃあね」

「また明日」

 いつもの挨拶をする。公園でぼんやりと時間を過ごして、その終わりを切り出すのはいつも僕で、同じ出口から公園を出て、違う道へ歩き出す。

 帰路で違う道に進むのが、違う生き方を選んだ僕らのようにも見える気がした。


「ちょっと、後悔してる」

 そう述べるハルコの表情は、言葉に反してとても明るい。それが剥がれなくなった仮面ゆえなのか、或いは言葉に嘘があるのか、それを判断することはできなかったが、少なくとも発言とズレたものであることは間違いなかった。

「何を?」

 概ね見当はついていたけれど、ハルコがわざわざそんなことを口に出す時は、往々にして何かを喋りたがっている時だということを知っていた。だから、僕は彼女の口から出てくる言葉が行進できるように、道を整える。

「仮面のこと。今思えば、高校に入るその時に、剥がせる瞬間があったのかも。時間を飛べたらいいのにね」

「タイムトラベルがしたい?」

「タイムトラベルじゃあだめ。タイムリープをするのよ。出来ないけど」

「違いがわからない」

「自分自身をまるごと飛ばすんじゃなくて、その時の自分に意識だけを飛ばして乗り換えるの」

「なるほど」

 タイムトラベルとタイムリープ、きっと何か違いがあるんだろうと思いつつ、特に考えようと思わなかった。差異の説明も特に留めることなく聞き流す。SFに興味がある人間ではないかは、詳しいことを聞きたいとも思わない。

「ハルコは時々、難しい話をする」

 ハルコがなにか小難しそうな話や少し専門的な話をしたりするときは、決まって何か悩み事があるということを知っていた。今回はその後悔が悩みなんだろう、と思ったが、それに対して僕が何か出来ることはなかった。

 もしかしたら何かあったのかもしれないけど、その時の僕は思いつくことができなかった。もし将来思いついた時に、僕はタイムリープとやらをしたくなるのだろうか?

「頭の中ってキャンバスがある。そこにね、悩み事って絵が描いてあるのよ」

「うん」

 ちょっと面白そうな話かもしれない、と思い、顔を上げてハルコの方をみる。

「でも、悩み事なんて絵は見たくない。だから、その上に難しい話って絵を描く。すると、悩み事って絵はやがて上塗りにされて見えなくなる」

「なるほど」

 確かに理にかなっていると思う。絵の具が混じってよくわからないものが出来上がるという点も込で、非常に秀逸な比喩だ。

「でも、亀裂は上書きしても消えない」

 ハルコは僕の語っていたことから亀裂という言葉を引用して述べた。確かにその通りだ。

 何かを上に被せたって、亀裂が消えることはない。ただ、その何かの下で広がり続けるだけだ。

「私達はね、歯車なんだ。生きる、って形で、ずっと回ってる。それがね、いつか動かなくなって、機械から外して捨てられる。廃品置き場に送られるの。それが、命の終わり」

「廃品置き場に誰かが使えるものを漁りに来て、もしかすると見つけられるかもしれない」

「じゃあ、粉々にされて廃品置き場に送られる。やがて私達は別の歯車の素材として生まれ変わるのよ。リンネテンセイっていうやつ」

 歯車と廃品置き場、その喩えを僕はとても気に入った。僕もまた、くたびれつつある歯車のうちの一つなんだろうと思いながら、ぼんやりとハルコの言葉を脳内で反芻する。

「リンネテンセイ」

「そう、輪廻転生」

「難しいね」

「難しいでしょう」

 リンネテンセイという言葉の意味はわからない。聞いたことはあるけど、興味を持って調べたことはなかった。ある日この言葉について辞書で引いたとき、彼女の死生観について少し触れられた気がしたけれど、同時に、あの時理解できていなかったことに対する僅かな後悔も浮かび上がった。

「僕はもう帰るよ。じゃあね」

「ばいばい」

 違和感に気付いたのは、それから何日かした後だった。


 次の日から、ハルコは学校に姿を現さなくなった。

 当然、帰り道も一人になって、公園で話をすることもなくなってしまって、僕は自分の心におおきな穴が空いたのを感じ取っていた。

 彼女の家族に聞いても、見当たらないという答えしか帰って来ず、逆に、知らないのかと問われ困惑もした。

 でも、もしかすると、違和感から彼女が忽然と消えることを察していて、気づかないうちに心が身構えていたのかもしれない。そう思うほど、僕の心は揺れておらず、ただ、自分の心に空いた大きな穴をみつめて、ぼんやりすることしかできなかった。

 後にテレビからサザナミハルコという名前を聞いたときにはとても驚いた。

 でも、世界は既にそのことを受け入れていて、一つの歯車が欠けたくらいじゃ日常に亀裂が入ることもなくて、みんな、その事実に適応してた。ただ、僕の心に穴が残ってしまったけれど、そんなのは世界にとって瑣末な出来事だ。

 きっと、ハルコは壊れてしまった。壊れてしまった自分を修理することが出来なくて、廃品置き場に送られることを受け入れた。僕はそう認識した。

 この世界は命という歯車で組み上げられていて、僕らもその歯車として身を削って生きている。やがてある時その機構に新たな歯車が組み込まれて、ある時その機構から歯車が取り外され、廃品置き場へと送られる。

 フレキシブルな機構として組み上げられた世界は、たった一つ歯車が壊れたくらいじゃちっとも表情を変えなくて、ガタガタと音をたてながら、ずっとずっと回り続ける。

 "誰か"が廃品置き場に送られても、やがて僕らがその"誰か"になっても、別の"誰か"は気にも留めない。

 昔偉そうな人が、「世界は非情だ」と言っていた気がする。けれども、それはきっと世界が非情なのではなくて、ひとつひとつの歯車に情けをかけていては、やがてぜんぶが錆びついてしまうだけだと思った。ハルコならばきっとその歯車一つ一つにも情けを掛けたかもしれないけれど、その結果彼女は壊れてしまったのかもしれない。

 先に廃品置き場に行ったハルコのことを考える度に、この心の穴はいつか埋まるのだろうかと考えさせられる。きっと、埋まらないと思う。

 穴が開いた歯車として、壊れるまで動くしかない、と思った。けれど、ハルコの言う通り粉々にされて廃品置き場に送られるならば、穴が空いていようがそんなことは関係なくなる。

 そうすれば、またハルコと対等に向き合うことが出来るのではないかと思う。

 きっと、僕はそれを期待していたから、ハルコの死を受け入れられたのかもしれない。

 ハルコは先に壊れてしまったけれど、僕はまだ動き続ける歯車で、もし立場が逆だとしたら、彼女は残された側として壊れるまでを謳歌したんじゃないかと思う。

 だから、ハルコの代わりに、歯車としての残りの生を彩って生きることにした。

 きっと、ハルコは後悔をしていたから。

 ハルコが謳いたかった残りの人生を代わりに謳って、いつか廃品置き場にいる彼女にそれを届ける。

 そうして、僕の心に空いた穴を埋めてもらわないと、僕が僕でなくなってしまう気がしたから。

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