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風が吹いた。
その流れを追うように視線を移した先に、見慣れた制服姿にメガネの少女を見つける。薔薇の垣根を挟み互いの視線が絡まり合ったとたん動きが止まり、手の中にあるホースからは次々と水が流れ落ち、足下の芝生を濡らしていく。それまで纏わり付いていた二匹の大型犬が、慌てて足下から離れていった。
ゆっくりと少女の口が動き何かを呟いたように思えたが、距離があるためにはっきりとは確認できない。興味を惹かれゆっくりと足を踏み出したとたん、遠く背後から声が聞こえ思わず振り返る。すぐに視線を戻したがそこに少女の姿はなかった。
「かーくーん」
はっきりと聞こえた呼び声に振り返り、不機嫌な表情と共に相手へ視線を向ける。
「かーくんって呼ぶな!」
目の前に居る白い祭服であるアルバを着た中年男性が不思議そうに小首を傾げた。
「えーだって、兼続って名前、似合ってないし……」
兼続と呼ばれた少年は大きなため息を吐きながら肩を落とした。
「似合ってないって、父さんが付けた名前だろ……」
そう答えながらも、確かに自分の容姿には不似合いな名前だと兼続は思う。少し彫りの深い顔立ちに加え、日に透けるアッシュブラウンの髪に色素の薄い鳶色の瞳は、誰がどう見ても純粋な日本人には見えない。
「そうだけどねぇ」
兼続は父親の言葉を聞きながら、ホースから流れる水を止めに行く。水が止まったとたん、離れていた二匹の犬が戻ってきた。白と黒の対照的な毛並みをした二匹が、嬉しそうに兼続に纏わり付いた。
「ほら、お父さん子供の頃は名前で苦労したから、せめて子供にはまともな名前をって思ったんだけどねぇ」
確かに、父親の名前と比べれば自分の名前は凄くまともな物だと兼続は思う。
「お父さんとかーくんの名前が逆だったら良かったのにねぇ」
嫌、それは勘弁して欲しいと兼続は心の中で呟いた。
「そんなことより、そろそろ時間だろ?」
これ以上、名前の話題に触れたくなくて兼続は話題を変える。
「ああ、そうだった。それで呼びに来たんだった」
「じゃあ俺、着替えるから先に行ってる」
そう言い残し、兼続は足早に駆けだした。その後を追うように、二匹の犬たちが走り出した。少し肩をすくめた後、父親も後に続く。
再び風が吹き、薔薇の垣根の向こうで紫煙が揺らめいた。
「あれかぁ。今度の獲物は」
二人と二匹が去った後へ視線を向けながら、タバコを咥えた長身痩躯の男が呟いた。年の頃は二十代半ば、スータンと呼ばれる神父服を身に纏い、胸には質素な十字架が掲げられている。
「おまえの餌には勿体ないなぁ」
男は咥えているタバコを手に取ると、空いている左手を掲げた。そして、その手に絡み付いている頑丈そうな半透明の鎖に口付けた。それに応えるかのように、男の背後で何かの気配が動いた。