【序章】〜追憶と声〜
「…はぁ…はぁ…」
鬱蒼と生い茂った木々の中、一つの大木に少女は背を預けていた。
少女は腹部を右手で押さえながら荒い息遣いを続けている。
白い質素なワンピースを纏った少女の腹部は赤く染まり、押さえている手も真っ赤に染まっていた。
「…くぅ…っ」
足から力が抜け、苦悶の表情を浮かべる少女はズルズルとその場にへたり込んでしまう。
ダラダラとまるで壊れた蛇口のように少女の腹部からは赤い液体が流れ続けている。
それは紛れも無い、少女の血。
止めどなく流れる血はいつの間にか少女の足元に血溜りを作り出していた。
「…まさか…ね……」
少女は複雑な面持ちで呟く。
少女の腹部に刻まれた大きな傷、それは剣によって腹を突き刺された為に出来た傷だった。
いつもの少女ならばまず間違いなくこんな傷は作らない。
剣を突き立てられる前に相手の息の根を止められるからだ。
そう。
少女には『力』があった。
その『力』は圧倒的で、普通の人間ならまず太刀打ち出来ない程の大きな『力』だった。
なら少女に致命的な一撃を与えたのは普通では無い人間という事なのか?
いや、それは紛れも無く普通の人間だった。
実力的には一般の人間よりは秀でた力はあった。
しかし少女に比べればそれは一般の人間と大差無いものだった。
しかし、それでも少女は不覚にもはその人間によってこの腹部の傷を付けられてしまったのだ。
何故?
「…まさか…あの人がいるなんて……」
少女は苦しい表情のまま、皮肉そうに呟いた。
少女に致命傷を負わせた相手、それは少女が唯一心を許した親友だった。
いや、親友というより、少女にとっては家族、姉のような存在だった。
少女には身寄りが誰もいなかった。
さらにはその巨大な『力』のせいで、周りの人間は少女と深く関わろうとしなかった。
そんな中、唯一少女に対して優しく接してくれたのが、その親友だった。
それなのに、親友は少女を傷付けた。
何故?
どうしてこんな事になったのか?
どこで道を間違えてしまったのか?
いや、間違えてなどいない。
これは少女が自ら選んだ道なのだ、間違えている筈がない。
この道を歩み始めたきっかけとなった日。
あの日から、少女はその親友と真逆の道を歩む事になった。
それは運命の日、そう呼べるのかもしれない。
しかし少女にとってこれは運命などでは無かった。
そもそも、少女は運命なんてものは信じてなどいない。
これは少女の深く重い、紛れも無い自身の『意思』によって、この道を歩む事を決め、結果として少女とその親友はお互い敵同士という立場となってしまったのだ。
だからこれは運命などではない。
ただ、二人の歩む道が別々になってしまっただけの事。
「…まだ…残ってたんだね……」
思わず言葉が漏れる。
少女はあの時から憎悪で満たされていた。
あの日、偶然にも知ってしまった自分の事実。
それによって生まれたどす黒い感情。
その感情は少女の中で果てしない破壊衝動となり、形となった。
壊して、壊して、壊し続けた。
木々を、大地を、幾つもの命を、何もかも容赦無く壊した。
それは決して許される事ではないだろう。
しかしこの時の少女にとって、そんな事はどうでもよかった。
元より許しを乞うつもりなど毛頭無い。
ただ、込み上げて来る『怒り』という名の感情で心の中の全てを埋め尽くし、後も先も考えずに、全てを破壊する。
筈だった。
しかし少女は親友と再び出会ってしまった、戦場で。
怒りによって忘れ去ってしまっていた親友を目の前にする少女。
邂逅の最中、静かに語りかける友、少女の一瞬の躊躇、向かってくる友、少女にとってその動きは止まって見えるようだった。
少女がその気になれば、少し『力』を振るっただけで目の前の人間など一瞬で壊せるだろう。
しかし少女は動けなかった。
そして次の瞬間、少女の腹部を白銀の刃が貫いた。
零れ落ちる鮮血。
少女は友を手に掛ける事が出来なかった。
その事に一番驚いたのは少女自身だった。
全てに絶望し、全てを壊すつもりだった。
しかし少女は友を壊せなかった。
あの時、何故動けなかったのか?
何故友を殺める事が出来なかったのか?
少女には解らなかった。
ただ、理由は解らないが、自分の中に友を手に掛ける事が出来なかった何かしらの感情がまだ残っていた事に少女は驚いた。
少女は傷付いた身体を引きずるようにして、その場から逃げ出した。
友に殺されたくなかったから?
理由は解らない。
ただ、無意識の内に足が動いていた。
友は追って来なかった。
身体中の全ての力が抜けたようにその場に崩れ落ち泣いていた。
そして、その悲劇の場から去った少女、気付いた時には樹木が生い茂る深い森の中に少女はいた。
そして今、少女は逃れられないであろう死を目の前にしている。
「…なんだか…もう…疲れた…な……」
朦朧とする意識。
怒りに身を任せ、破壊を続けた少女の心は疲れ、傷付いていた。
何かを壊す度に、自分の心も傷付けていたのに、それに気付かないまま、ただ何かを壊し続けた少女の心身も最早壊れ、崩れる寸前だった。
自分で選んだ道、後悔は無い。
しかしその道を歩むには少女の心は弱すぎたのだ。
「……………」
暗くなる視界、自らの意思に反して全く動かない身体。
少女は静かに暗闇へと堕ちていった。
その時。
「………」
誰かの
声が聞こえた。