追い詰めないのが愛
「ホレ、あの、角の田中さんち知っとるじゃろ。息子さんが入退院を繰り返してた。嫁さん、とうとう出て行っちゃったらしいぞ。まだ小さい孫2人抱えて、ばあさん、こぼしとったよ。病気の息子さんも哀れだけど、ありゃ、ばあさんが大変だ」
「私の友達のお父さんなんか、ネットで若い女と知り合って、帰って来ないんだってさ。お母さん、ショックで鬱になっちゃって、もう家の中、メチャクチャだって」
「ぼくのクラスの友達の家も、お父さんの会社が倒産しちゃって、『家のローンどうするのよ!』って、毎日、夫婦ゲンカなんだって。その友達、塾に来なくなったよ」
「よかったね〜うちは。お父さんが健康だけが取柄の公務員で。そりゃ、裕福じゃないけど、とりあえずいまの生活は保障されているんだから。あははは」
それは、ぼくと母さんと姉さんとじいちゃんの4人で、夕げの食卓に座り、いつものように父さんの帰りを待っていたときのことだった。
公務員の父さんの帰宅時間は5分と狂わず、いつも決まって6時半には玄関のチャイムが鳴る。
が、この日はチャイムは鳴らずに電話が鳴った。
そしてその電話に出た母さんが「け、警察!」と叫び、「は、はい。いますぐに参ります」と言って電話を切ると、すっ飛んで警察に向かい、2時間後、テレ笑いを浮かべた父さんと一緒に帰って来た。
一体、なにがあったんだろ? 父さん、スリにでもあったのかな? それともオヤジ狩り?
ぼくと姉さんとじいちゃんの前で、母さんは怒りで身体を震わせていた。
「……父さん、駅の階段で手鏡使って女子高生のパンツ見て捕まったんだって。市役所もクビだよ。まったく……」
とここまで言って、これまで警察でガマンしていた怒りが、一気に爆発した。
「くだらねーもん見やがって。そんなに見たいか。おーし、見ろよ、ほら、三面鏡跨いでやっからよー」
「あ、いや、母さんのはどうも……」
「じゃ、彩子、このエロ親父に見せてやりな。女子大生のじゃダメか? 女子高生じゃなきゃ、どうなんだよ!」
「あ、ちょっと見たい。でも、娘のは父親として、いかがなものかと……」
「まったく、もう母さん情けないよお」
そう言うと、母さんは床にうずくまって泣き伏した。
「パンツ見ると、警察に捕まるのか。わしは腰が曲がっとるから、女子高生のパンツなんかイヤでも見えるぞ。イヤじゃないがの」
最近、軽く痴呆が進んでいるじいちゃんが笑った。
「私が風俗で働けばいいんでしょ。父さんの給料ぐらい軽い、軽い」
短気な姉さんが結論を急いだ。
姉さんが言っていること、ぼくはちょっと違うんじゃないかなーと思ったけど、父さんはすかさず
「そっか、売ってくれるか。いやー助かるな父さん。彩子がそう言ってくれて。じゃ、父さん、甘えちゃおっかなー」だって。
これには泣き崩れていた母さんも黙っていない。
「あんた、親として恥ずかしくないの!」
「いや、売れるモノは売れるウチに売っとかんとな。母さんじゃ、もう売れんし……」
「世の中知らないねえ、父さんは。だから役所でも出世できないんだよ。いま熟女ブームで、私だってまんざらじゃないんだから」
母さん、話の方向性が違うんじゃ……。
「じゃ、まず母さんから売るということで。竜太郎だって、新宿2丁目で立派に商売になると思うぞ。どーだ、女にばっかり世話にはなれんぞ、竜太郎!」
「え!! ぼ、ぼくはまだ女も知らないのに、いきなり男相手はやだよお」
と、母さんがガバッと起きて、「じゃ、知っとくか」。
え、え。
さらに姉さんまで、「大体、竜太郎、そういうのは性差別だぞ」と、わけの分からないことを言い出した。
な、なに? 冗談でしょ? なんでこんなときに、冗談が言えるの?
「もう分かった、分かった。父さんはうれしいよ。みんな家族のために、自分の身体を売る気があるのが分かって。すばらしい絆、すばらしい家族愛だ。でも、みんな大丈夫だぞ。かわいい彩子や竜太郎に大切な身体を売らせたりするもんか。な、母さん。こんなときのために我が家には蓄えがあるもんな。ボーナスの半分、いつも貯めてる例のあれ。500万くらいあるのか?」
母さんの顔が曇った。
「あ、あれね、え〜と、あれは、パチンコでなくなっちゃった。あははは」
「なんだとーてめー。俺が下げたくもない頭をぼんくら市民のために下げ続けて、稼いだ金をパチンコでスッただと〜」
「わ、私だけじゃないよ、じいちゃんだって、彩子だって、もうみんなパチンコがヘタで困っちゃうぅ〜」
「売れ! いまこの場でテレクラに電話して、全員売って来い!」
父さん、自分の立場も忘れて烈火のごとく怒り出した。
「わしも売れるかのお」
「じいちゃんが売れるなら、俺が売るわ」
「ぼくは、パチンコしてないし」
「うっせー、竜太郎は連帯責任だ」
なにが連帯責任だ。父さんが女子高生のパンツなんか覗くから、こうなったんじゃ
ないか。
大体、母さんも姉さんも、なんで身体を売ることばかり考えるんだろ? それより父さんの不祥事をもう少し責めればいいのに。本人、反省してないみたいだし。
みんな突然の我が家の危機に気が動転してるのかなあ。
「ね、別に身体売らなくても、とりあえずみんなでバイトでもすれば、うちの場合は暮らしていけるんじゃないの。だって、ローンとかないんだし」
ぼくは、ごく当たり前のことを言ってみた。
「それもそうだな。父さん、ちょっと頭が混乱してた。なんせ初めてのことだから、役所クビになるの。あはは。そうだ、4人でバイトすれば40万くらいになるもんな。おーよかった、よかった。母さんと彩子とじいさんは、2度とパチンコなんかするんじゃないぞ。父さんももう女子高生のパンツは覗かないから」
「頼みますよ、お父さん」
へ? 母さんニコニコしている。
「雨降って地固まるだね」
姉さんの言葉に、ぼくが固まった。
「よかった、よかった。これで我が家も安泰じゃ」
そう言うと、じいちゃん、姉さんのお尻を撫でた。
「もう、じいちゃんったら……」
「あははははは」
確かに我が家はなにがあっても崩壊しそうにない。なぜなら、すでに壊れているから。
でも、あったかいからいいや。
痴漢行為に“甘い”とか、叱られそうですが、単なるドタバタコメディーです。ただ、最近の親子の暗い事件を聞くにつけ、なんかもっとオープンな家族だったらって思います。もちろん、こんな家族は論外ですが。