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曇りガラスの窓は締め切られ外の様子はほとんど窺えない 。


机上に乱雑に山積みにされた役目を果たさない教科書やノ ートなどにやや強い午後の陽光が差し込んでいた。


しかしそれに反して室内は暗い。何故なら他の窓は半ば崩 壊した家具類に遮られ、一ヶ所しか機能していないからだ 。


天井から吊られた円盤型の照明は灯っておらず、蜘蛛の巣 と埃にまみれていた。最早障害物でしかない部屋を埋め尽 くす家具が作り出す影がその部屋の陰気な雰囲気を増長させている。


他にもしわしわの衣服類がつまったプラスチックの衣装ケースや、表紙が黄ばんだり折れ曲がった雑誌類が段ボールに無秩序に詰められ、そこがしこに置いてある。ゴミと共に床の高さを底上げしていた。そのなかで窓際の机の前の、車輪にぼろ切れが詰まって動かない回転椅子に座り、何をするわけでもなくじっと前を 見つめる少年がいた。


その容貌は幼い。体格もそれに一致して小さいが部屋の空 気は全てこの少年が原因であると言って良いほどの暗い表 情が彼の年齢を推し測るのを妨げていた。 いや、表情ではない。彼は全くの無表情だった。 しかしそう思わせずにはいられないほどの鬱屈とした圧力で空間を満たしていた。


よく見れば散乱しているものはその少年のものではない。 それは、4、5才くらいの幼児のものであったり、成人男性用であったり女性用のものであったり様々だったが、もう長い時間使われていないとわかるほどボロボロであるという共通項があった。


そこはまさに"物置"という様相を呈していたが、紛れもな く彼の部屋なのだった。詳細をみれば物置よりもひどい有り様だったが。 この空間は彼の割り当てられた、自由にしていいはずのも のだった。


作為的にかつ悪意的に撒き散らされたそれらを無視するこ とができるのならば。


「あは」


表情を全く変えることもなく彼は笑う。


それでも、この部屋は。


この十余年彼を守り続けてきた、誰に憚るでもなく、偽る でもなく、ただ純粋に。 笑うことのできる場所であった。


守るまでもなく世界に身を晒し立ち向かい知らず知らずに彼は破綻したが。


そんな場所に何故か彼は今更ながらに引き篭っていた。最早必要もなくなったというのに。



必要なくなった。


それは、この家の住人が彼を除いてこの世に存在しなくなったということだ。


彼にはもう、"家族"はいない。


何故ならそれらは彼自身の手でばらばらに分解され、血肉はトイレの排水溝や90Lのゴミ袋に、きれいに身を削いだ骨は一ヶ所に纏めて並べられてしまっているからだ。もしくは、


「死体の証拠隠滅にそれを食べてしまうというのは効率が悪いよね。どうせ食べられる量なんてたかが知れているし、保存するにしたって飽きが来る。排泄物とかの成分から足がつくみたいだし意味がなかったなぁ。ま、残すのは"もったいない"から作った分は食べるけどねぇ」


彼の腹の中だった。


「屠殺されて血肉にされて、食べられてまた血肉になる、と。あはっ、これは意味が被ってるのかなぁ」


―――あはっ、あははっ、あははははっ


しゃくりあげるように、狂ったように、しかし無表情で笑う。

脱力し体を背もたれに預けて、首をだらりと後ろに傾けていた。



特に彼にカニバリズムの嗜好があるというわけではない。ただその行為が彼の倫理観や心の琴線に触れるかどうかを、死体の隠蔽のついでに試したというだけだった。


もはや興味はない…彼はもう何故自分は家族を殺したのか、その理由すら覚えてはいなかった。


ふわり、と先程までとはうって変わった軽やかな動作で移動する。大小様々な無造作に散らばったそれらなどまるでそこにないかのようだった。木製のドアノブを捻り、廊下に出る。


玄関と居間に繋がった廊下のフローリングの床はとても管理の行き届いた、ニスの綺麗な光沢を放っている。窓から入った夕日の橙色の光が廊下全体に行き渡っているのは、効果的に配置された調度品がそれを阻害しないからだ。

優麗な空間はその家の品格を確かなものにしていて、いつ来客があっても良いようにされていた。


何の問題もない、模範的で裕福な家庭。


そう判ずるのが早計だとしても、招かれた客人や来訪者がここから問題を見つけるのはほぼ不可能であった。


彼は部屋から――廊下の中心あたりの扉から――出ると、外に向かう。



時季は雨水、2月下旬であるが雪はほとんど溶けてしまっている。太陽は地平線に沈みかかり、日中にも増して寒さが強まっていく。


いつの間にか彼は学ランを着ていて、手には通学用の黒いリュックサックをぶら下げていた。肩紐は短くされていたが、地面に引き摺る格好になっていた。


彼の顔には既に表情が構築されていた。それは元々感情に乏しい、しかしそれを解することのできる異常者たる彼が十余年かけて組み上げ、研ぎ澄ませていった、本物よりも本物らしいものだった。


無邪気な子供のような、柔らかであたたかな笑顔を伴って、とても、とても楽しそうに、笑う。


「あはっ、別に逃げる訳じゃ無いから関係ないけどねぇ」



ゆとり教育の恩恵もしくは弊害で、この日は土曜日だが休日だ。

彼はゆっくりと鞄を背負う。そのなかには厳重に密閉された"家族"が詰められている。


たいした意思もなく、いってみればこれも気まぐれでその廃棄と処理、また必要になった物を購入しに、隣町の大型ショッピングモールに向かうのだった。


______________



かくして、二人は月曜の早朝に死体の第一発見者と相成り、早々に警察に通報した。


密かに晃介は午前の授業を大手を振って休めると喜んでいたがそれは甘い考えだったと後悔した。

東桜高校を中心とした一連の事件に警察はこれまでより一層大々的に捜査を開始し、そのための手掛かりである彼らへの事情聴取に妥協を許さなかった。


予備知識及び一般常識として晃介は普通の殺人事件においてもかなりの時間をとられるというのは覚悟していたが、それは実際に経験するのでは全く物量の違うもので、ようやく解放されたのは正午をまわった午後二時であるのをうんざりと確認するのであった。


それでも一応休校にはなった。

当然、秋村一葉の遺体はすぐに撤去可能な状態ではなく、葬儀を執り行える状態に整えるということも不可能であった。それ故の休校を二人はこれ幸いとばかりに駅前のドーナツ屋で、奪われた時間を取り返さんとしているのだった。


「にしても」


その二人組の女の方が声を上げる。

いつもより少し疲れたように見える切れ長の瞳に一つに纏めたダークブラウンの髪、着ていたコートを椅子の背もたれに掛けていた。

不機嫌そうに半ば八つ当たりの台詞を続ける。


「学校の鈍感さには呆れ通り越して尊敬するわ。センセーに聞いたらさぁ"後片付け"済まなくてもすこーし見れるようになったら明日にでも平常運転だとさ」


それに応えるのは二人用座席の向かいに座る男。

目の前には山盛りのドーナツ、パイなどの焼き菓子を中心としたものがうずたかく積まれており、それを学ランや手を汚さないよう、ナプキンで器用に口に運んでいた。


「それは仕方ないんじゃない?うちも県下十指、有象無象とはいえ進学校なんだし。こう度々事件が起きて一回ごとに何日も休み入れてたんじゃ教育機関として機能しなくなっちゃうよ。先輩方はともかく来年は僕ら受験生なんだしね。あっこれ美味しい」


今朝の自分の思考と反するような、学生として模範的な正論を述べ、遺愛を嗜める。わざわざそんなことを云うのは彼の性分からしていつものことであり、また数時間前の晃介の失態を笑った、爆笑した彼女への当て付けも少し含まれていた。


次々と盆の上に食指を伸ばす。どうやら相当な甘党の様で既に五つ目、細身の体型からは想像もつかない食欲を披露している。実際彼は曲がりなりにも運動部に所属しているのだが、明らかに標準量及び規定値を超過していた。しかし本人はそんなことに頓着する様子はない。


「その通り、か。まあいくら事件が連続してても犯人が死んだんじゃあしばらく手詰まりだろうな。」



少女は二つ目のドーナツに手を伸ばした。晃介の大食漢振りは彼女にとって見慣れたもので、少なからず羨みがあった。体質の問題なので諦めている。

こういう場合での料金は、自分が食べた分は自分で負担するようにしている。その方が遠慮なく振る舞えるというお互いの意見の合致だった。

遺愛に関して言えばどちらにせよ遠慮容赦なく食べてしまうのだが。


「――で、どう思う」


正午はとっくに過ぎてしまっていたが未だ混雑した店内では、たかだか一組のアベックが何を話していようと問題ない。

それでも晃介には店内の雰囲気が、温度が幾らか下がったように感じられた。

白峰遺愛の身長は高校生女子としては平均よりも少し高い程度であったが、鋭い眼光に滲み出る僅かな殺気が少女に異様な威圧感を纏わせていた。

全く脈絡のない問い。しかし彼は、それを容易く理解できるほどには彼女のことを知っていた。


何故、あの時死体を食い入るように見つめていたのか。

何故、ずっと口許には笑みが貼り付いているのか。


彼女は何を云わんとしているのか。


「……普通じゃない、と思う。鮮やかだとか、なめらかだとか、そういう次元じゃなくて、まるで元からそうだったみたいな…ごめん、うまく言えないや」


慎重に言葉を選んでそれに応じる。


「そうだ。普通物を切るとき、その方向から潰れるように歪むもんなんだ、ワイヤーだろうがウォーターカッターだろうがな。柔らかい物なら特に顕著だ。だがこの被害者にはそれがない、少なくともそこら辺の通り魔やらチンピラに出来ることじゃあねえ」


「……。遺愛さんや道場の人達なら出来る?」


「無理だな。親父なんかじゃ言わずもがな、爺ちゃんでも無理だったと思うぜ。はッ、物理的に不可能なんだよなぁ。もうあれは人間業じゃない」


秋村一葉の、CTスキャンさながらの首の断面。頑丈な脊椎も関係なく一様に切り裂かれたそれを前にした、そして今それを想起する彼女は。


「そうだ、あたしが目指すのはああいう境地だ。何を呆けていたんだろうなぁあたしは。ま、あんなクソ親父の所ににいたんじゃ仕方ないか。いいやそんなことはどうでもいい。はッ、愉快だ。楽しくてたまらない。あんな現象が、行為が、人間…そうじゃないとしてもそんな『モノ』が存在するなんて!!」


頬を紅潮させ、語気を強め、含み笑いを堪えきれないといった様子で、その瞳には少なからぬ狂気が伺えた。さながら一途に恋する乙女の様に。

事件を装飾する…否、事件すらも装飾と断じて"その行為"そのものに焦がれていた。



それを見て晃介は、ほんの一瞬安心したように微笑んだ。

それに遺愛が気付くことはなかった。


すぐに呆れたような苦笑いを浮かべて、話題の軌道を修正する。

目下には、解決すべき問題が積まれているのだ。


「それよりも今は、『何故』犯人は秋村一葉の首を切断したのか、ってことを考えなきゃ。刑事さん達が話してるのを聞いんだけど」


「はッ、どうせ盗み聞いたんだろ」


「そうともいう。お腹の…やっぱり侍よろしく自分で切腹らしい、その傷は致命傷には至っていないんだけど、斬られた時間は大体一致しているんだって。詰まる所あんな早朝、あるいはそれ以前に秋村さんと一緒にいて、なおかつそれを止めるどころか止めまで刺しちゃうっていう奇妙すぎる人物像ってことになるんだけど…」


「はッ、脅してやらせて首を斬る、快楽殺人のサイコ野郎だったんじゃねーの?」


「さっきと言ってることが逆じゃん…」


露骨に話題を逸らされて機嫌を損ねたようだ。

しかしさっきまでの圧力は嘘のように消え失せていて、年相応の、擦れたような少女の顔に戻っていた。


「んなことどーでもいいじゃねーか。サイコキラーだろうが孤高の求道者だろうが、な。……こんなことができるやつには会ってみたいとは思うが…、てかなんだよ、名探偵よろしく犯人を取っ捕まえようってのか?無理に決まってんだろ、うちらよりも何回りも優秀な人間がわんさか集まってよってたかって首斬り犯をいじめんるんだ。そこに割り入る余地なんざありゃしねーって。それともなんだ?いつものごとくクラスの奴等をそそのかして調べさせんのか?」


眉根を寄せながらも口元はにやついている。晃介をいじめることで機嫌を取り戻したようだ。


「それはそうなんだけど…このままだと遺愛さんが「店出んぞ」…って何で…あ」


遺愛が睨んだ方向を見やると、クラスメイトの女子がドーナツ屋に入って来るのが見えた。

晃介が視線を外した瞬間にであろうか、椅子にかけてあったパーカーを着て肩掛け鞄を回収し、フードを目深に被って店外に出るところだった。視線をそらしたとはいえ、目の前にいたはずなのだが、晃介には殆ど認識出来なかったようだ。


「相変わらず素早いなぁ…どんな動きしてるんだよ」


ぼやきつつも12個目のドーナツの最後の一口を口に放り込み、咀嚼しながら立ち上がる。

きっちりと机上に置かれた小銭を適当にポケットに突っ込み、かしましく談笑するクラスメイトの視線を避けながら…それ以外の店内の人間には奇異の視線で見られたが…遺愛の後を追った。


先払いの店であったためすぐに追い付いた。



晃介を一瞥することも、歩調を緩めることもなく店から足早に離れている。

自分が近づいているのに気付いていないなどということはないだろうし、背後に立たれるのを極端に嫌うので悪戯心を働かせることもなく隣に並ぶ。


するとやはりというか、並んだ直後に店での話の続きを求めてきた。


「心当たりはあるのか?」


「あー……全然といっていいほど、というか全然無いんだけどね。遺愛さんのいう通り、僕達に出来ることは何もないと思う。けど」


晃介が犯人を探す理由。それは東桜高校においての遺愛の人間関係、立ち位置の問題のためだった。


天才少女、白峰遺愛。

伝統ある居合道場の長女として、また圧倒的な天賦の才能を賜って生をうけた彼女は、幼少のみぎりより武芸に一意専心に打ち込み、とうの昔に父親である現当主を上回り、公の大会などでは優秀な成績をこれでもかと残している。


その道に生涯を懸けた人間を絶望すら生温いどん底に叩き落とす程に。


それだけ、と軽んぜられる訳でもないが、それだけならば父親を含む道場の人間に疎んじられる程度で済むかもしれない。


しかし彼女は、そんな人間の弱さを許さない。

嫉妬や憎悪、羨望などという感情が、敬うべき父親先達から向けられるのが許せなかった。

そんな世界が、許せなかった。


幼い頃より染み付いた、世界への隔絶。


それは彼女が道場以外の世界を知る前に完成してしまっていて、故に彼女の周囲に人が寄り付くことはなかった。

その人間の本質的な弱さを見抜き、切り裂いてしまう彼女は学校に入ってずっと疎まれ、嫌悪され、遠ざけられてきた。

進んでそうされようとしてきたのでもあったが。


その為、東桜高校での彼女に対する風当たりは、表立って嫌がらせをする者はいないにせよ非常に強い。

簡単に言ってしまえば、嫌われ者だ。


心をずたずたに引き裂かれても構わない者などまあ滅多にいないだろう。


「このままだと確実に君が糾弾される。僕はそんなの嫌だし、許せないから。だから何の根拠もなくて良い、大義名分のある論理を作ってあらかじめ流しておかないと…っと」


突然繰り出されるゆるいラリアットに対して軽く片足を後方にずらして耐える。そのまま晃介の肩に顎を乗せ、首に手を回し抱きかかえるようにして笑った。


しかし彼女は、着実に変わり始めていた。


「頼れるなぁ晃介君は。別にあんな奴等に何て言われようと思われようとどーでもいいが、こういう風に支えがあるってのは良いもんだな。何でもできるししてやれるって感じられる。ありがとう、晃介」


――明日からもよろしく頼むぜ


そう言って離れ、逆方向にある白峰家に向かって、横断歩道を悠々と渡って帰っていった。

人通りは多くはないといえ、一人取り残された晃介は心拍数と体温の上昇を感じざるを得なかった。

その後少しにやけて自宅に向かいながらどうにか心を落ち着けた。

玄関の扉を開けながら、これだから敵わないなぁ、などと嬉しそうに思いながら、明日への期待に胸を踊らせる。



その夜、彼女の家は何者かの襲撃を受け、


――白峰遺愛は失踪した。

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