最速の男!
――十五分フルタイムを使っての、大将同士による中堅戦。結果は引き分けとなったが、判定決着ならば、ワタルが確実に負けていただろう。だが状態は良くなかったが、スポーツマンシップに乗っ取り、全力で戦い負けた為、悔しい感情よりも、楽しい感情が上回っていた。
自力での歩行も困難な程、消耗していたワタルは黒子の手も借り、何とかマックスハートのベンチに戻ってくる。戻ってくると、かな達が水を用意してくれていて、それをワタルは適度に飲んでいく。
「さてヒロキ、後は頼んだぜ! もしもお前が負けてサドンデスになって、オレサマに回ってきたら負けちゃうぜ!」
ワタルは冗談交じりで言う。そんな事を冗談とわかっているから、かな達も笑っている。みんなヒロキなら大丈夫だ、と信じていた結果だった。
「……兄貴、僕はそんなに弱く見えるのかい? 僕は……負けるつもりは、ない!」
そんなワタルの言葉を、ヒロキは力強く否定する。
「ヒロキ……一体どうした、緊張でもしてるのか?」
「いや、ごめん。ちょっと緊張してたみたいだ……。行ってくるよ、みんな」
ヒロキは自分の木刀を持ち、軽い準備運動をしながら、リング中央へ向かっていく。そのリングへ向かうヒロキの表情は、誰にもわかる事はなかった。
「……あれ。ヒロキ君、このハチマキ忘れていってるよ」
かなは青いハチマキを見つける。青いハチマキは確かにヒロキのものだ。
(体調不良があったとはいえ、兄貴は負けた。……兄貴ほどの実力がありながら、ここから先の戦いは負ける可能性が否応なしにつきまとうんだ。やはり僕は……このままで良いのかな?)
ヒロキはそう考えている。つい最近になって、ヒロキの頭の中には、不思議な感情が出てくるようになっていた。その正体が依然としてわからないまま、その葛藤と今も戦っている。
(――精神を強く保って)
そうヒロキに言葉を投げかけたのは、同じチームの桐華である。最初はその言葉に救われていたのだ。精神を強く保ち、自分のするべき事を強く全面に押し出す。しかし今はそれをすると、ある一つの感情が湧き出てくる。
「……落ち着けよ、ヒロキ。今は勝つ事を考えるんだ。それ以外は何も考えないで良い……」
ヒロキがバトルリング中央へ着くと、同じくしてフォースアラートからも対戦相手が来る。
「……!?」
ヒロキはその相手を見て驚く。その相手は、左腕が無かったのだ。
「……その表情だ」
「えっ……?」
「俺を見る時の対戦相手の顔だ。皆、すべからくその表情をする。中には、楽勝だ、と俺の目の前で言う輩もいたがな」
相手側のそういう態度に慣れているのか、無表情に、淡々とした口調で話す。
「……驚きはしましたけど、生憎と僕も手加減はしていられないんです」
「そうするべきだ。相手がどのような状態であれ、手を抜く事は対戦者への最大の侮辱行為だ」
「はい、僕は川崎ヒロキです。よろしくお願いします」
「俺は真田浩介だ」
二人は、お互いに手に持つ木刀を、力強く握りしめた。そのタイミングを見計らい、黒子は大将戦の始まりの合図をする。いよいよ予選四回戦、最後の戦いの始まりである。
試合開始と同時に、隻腕の剣士、真田はヒロキに向かっていく。
(隻腕の剣士……左手が無いという性質上、僕から見て右方面の攻撃範囲は、極端に悪くなる。セオリー通りに、まずはこの性質を利用させてもらいますよ、真田さん!)
襲いくる真田の攻撃を、ヒロキは逆時計回りに動く事によって、回避していく。
「そうだ、それで良い。左腕が無いからと同情されては、この俺が惨めじゃないか!」
真田も、左腕側に移動していくヒロキを、何とか捉えようと攻撃をしていくが、やはり攻撃範囲の狭さが出て、当てる事ができないでいる。
(――この人はやはり左方面に逃げられる事に慣れている。事実、攻撃は少しずつ僕を捉えにきている)
(――ちぃ、事前に調べた情報よりも、遥かに速い! 一体、この短期間の間に何があったんだ!?)
試合展開は、始まりから数分、逆時計回りに動くヒロキと、それを追う真田の構図になる。あまりに同じ展開の為、客席からは数カ所からブーイングが起こり始めている。そんな客のブーイングも気にする事無く、二人は同じ展開を繰り返す。
「そうだ、それで良い。客程度の野次で俺とお前の戦いは終わらせない!」
「はい、僕も同じ考えですよ、真田さん!」
二人は二人の読み合いと、駆け引きをしていた。それが二人の謎の高揚感を高めている。
(真田さんの回転率は凄まじい……。避けているだけに見られるけど、事実、手を出す暇がないっ)
余裕で避けていたヒロキだったが、その真田の攻撃は、除々にヒロキの体をかすめ始める。
(よぉし、そろそろだ。お前の速度に俺の体が慣れてくる。捉えてみせるぞ、川崎ヒロキ!)
少しずつだが、綺麗な逆時計回りの円は崩れていく。上から見ると歪みはじめているようにも見える。円を描くような回避運動は、その内後方へ下がりながらの回避に変わっていく。気が付くと、正面から真田の攻撃を避けるようになっている。
(――っ!?)
「不思議か? 俺の死角に回り込み、速度においてもお前が速い。なのに何故追いつかれるか!」
ヒロキは再び、逆時計回りに動く。綺麗な円を描くように移動するヒロキに対し、真田は直角に移動し、その軌道はまるで六角形のように移動している。
「そうか、僕の描く円の中で、最短距離を移動していた!?」
ヒロキがその結論に達する瞬間、真田は完全にヒロキを捉える。
「左死角の読み合いもお終いだ。お前は俺が捉えるまでに、時間がかかった……。なかなかのものだったぜ、川崎ヒロキ!」
「くっ……!」
袈裟の軌道をとる真田の剣線。鈍い音が、リング中央にいる者の耳に届く。
「――ぐっ、はっ!?」
しかし真田の剣線は、誰もいない空を切っていた。目でヒロキの後を辿るが、どこにも姿は無い。
(……バ、バカなっ、奴の姿はどこに!?)
腹部に突然の激痛が走る。どうやら攻撃されたのだと、真田は咄嗟に判断する。悶絶し混濁する意識の中で、いまだに見つからないヒロキの姿を追う。すると真田の後方から、砂利を踏んだような音が聞こえ、真田は急いで振り向く。
(……何だとっ!? あいつは一体どんなスピードで俺を斬ったというのだ!?)
真田は完全にヒロキを捉え、そして攻撃を加えた。しかし結果としては、攻撃は空振りさせられ、自分が攻撃を加えられる。
(やられると思った……。でも体が咄嗟に反応した、これがアバターさんの修行の成果なのか、な?)
あまりの速度で反撃を喰らった真田が最も驚いただろうが、その動きを実現させたヒロキ自身も驚いていた。咄嗟の出来事すぎて、自分自身でも何が起こったのかわからなかったのだ。
(……でも、これだけの速さで動けるのなら……!)
ヒロキは真田に振り向き直り、その手に持つ木刀を構える。真田もヒロキの攻撃姿勢を察知し、いまだに悶絶する痛みを堪え、防御の構えをとる。
(ちぃっ、まずい……。奴の異常なパワーアップは認めよう、事実は事実だ。しかし、負けるわけにはいかないんだ!)
「――真田さん、行きます……!」
ヒロキは見違える速度で、一気に真田との距離を詰める。そしてその速度を見た、一人の観客は言う。「今大会中、最速」だと。