声にならない叫び!
――誰か助けてください。
それは少女の誰にも届かない叫び。
――誰でも良いから助けてください。
少女の叫びは深い闇の中へと。
――誰か私を……助けてっ!
届かぬ叫びの代わりを残す。
結衣は人気のない廃工場へと連れてこられる。そこには数人の男子と女子がいて、連れてこられた結衣を品定めするように見ている。全員が明らかに不良とわかる顔つきである。中には薬物でもやっているのではないかと思える程に、危ない人間もいる。
異様なその場の雰囲気に、結衣は自分が何をされるのかわからない恐怖に、身を竦ませている。何よりも自分自身の過去の体験が、頭の中でフラッシュバックしている。今、自分をここに連れてきた人間は、人間を半殺しにしても何とも思わない人間なのだ、と。結衣はこの連中に殺される事を覚悟する。いや、そう考えた方が、これから起きるであろう恐怖より楽だったのだ。
「早く来いよ、このクズッ!」
「……ハッ……ハッ……!」
あまりの恐怖に、呼吸をしたくても思うように呼吸ができない。何よりも体が金縛りにあったように動いてくれない。半ば強引に、引っ張られるというよりも、投げ飛ばされるように、不良グループのいる場所へと連れてこられる。
「おい、そのガキがテメェの言ってた奴なのか、コラ?」
「そうだよ、コイツはアタシの言う事を何でも聞いてくれるさ。なぁ、織部?」
「…………!」
「……なんとか応えろよ、このクズ野郎がぁ!」
恐怖に体の自由を奪われている結衣に、容赦の無い張り手を顔面に浴びせる。結衣は抵抗もできずに、その場に吹き飛ばされるように倒れる。
「クズで絵しかお友達のいないアンタを、わざわざアタシ達の仲間にしてやろうって言ってんのさ。返事ぐらいしろってんだよっ!」
「……うぐっ……!」
倒れた結衣に、更に腹部に蹴りを見舞う。鈍い音と結衣のうめき声だけが、廃工場に響く。
「ケケケケ、おい、飼い主が犬の躾もできねぇのかよ。こりゃ傑作だぜ?」
「なんだと、コラァ!」
激しく言い合う、男と女。苦しむ結衣の事などお構い無しに、自分の感情だけをぶつけ合っている。
「ケケケケ、もう良いよ。おい、お嬢ちゃん。こんな女の事は放っておいて、俺の犬になれよ、可愛がってやるぜ? ケケケケケ!」
「うっ……うぅ……」
涙を必至にこらえ、終わらぬ恐怖に耐える。そんな結衣の表情を見て、男は卑しい表情をする。
「良いよ、じっとしてなよ。すぐに終わらせてやるぜ? ケケケケケ!」
「やめろ……」
奥の方から聞こえる威圧感のある声に、卑しい男は脅えた表情で後退していく。
「あまり調子に乗るな。大切なお客さんだ」
恐らくはこのグループのリーダー格であろう。本当に人を殺しかねない顔つきをしている。身長も180cmはあるであろう体格で、結衣を見下すように見ている。
「このガキか? テメェの飼い犬は?」
「そうだよ、コイツなら何でも言う事聞くし、何よりもアイツを騙すには打って付けだからね」
「ふんっ、そういうわけだ女。テメェにはちょっと騙しをやってもらうぜ?」
どうやらここに結衣が連れてこられたのは、とある人間を騙す為らしい。
そして目の前の男は、胸ポケットから一枚の写真を取り出し、結衣に見せつける。
「この写真のクソ野郎は、最近俺らの事を裏切って逃げやがった。コイツには見つけ出して制裁を加えないといけねぇんだよ」
「織部ぇ、少しは覚えてるだろ? 中学の頃、アンタを裏切ってアタシらの仲間になったあの子だよ」
少しどころの話ではない。結衣にとっては恐らく、生涯で忘れられない人間であろう。
「自分を裏切った人間を、今度は捜せって、キャハハ、マジウケるんですけどー」
中学時代に自分を見捨てた人間。その人間が不良グループから逃げ、捜し出して制裁を加える為だけに、今更のタイミングで結衣が呼びだれた。結衣にとっては、こんな馬鹿な話はない。
「あの野郎も織部なら、気を許すはず……そこで捕まえて制裁開始ってわけよ。織部も裏切られたんだから、あの子に一発と言わず気が済むまで殴れば?」
「……わ、私は、そんな事……」
結衣が全てを言い終わる前に、見えない所から拳が飛んでくる。その威力のある拳に、結衣は人形のように吹っ飛ばされる。
「そんな事……何だ? 嫌とは言わせねぇ、テメェみたいなクソガキでも今は立派な計画の一部、逃げ出すならテメェも処刑だぜ。俺も暇じゃねぇんだ、あまり手を煩わせないでくれねぇか?」
一般人の結衣にすら、容赦なく拳を入れる男。殴られた結衣は顔面が歪むような錯覚に囚われる。事実、たった一発の顔面への拳は、それまでにやられた暴力が霞む程の威力である。あまりの激痛に、意識を失うどころか、更に意識が覚醒していく。泣きたくても泣いているのかわからず、声を出したくても出ているのかもわからない。
「……っ……っ……!!」
普通に暮らしていれば、あまり見る事のない大量の出血。口の中が切れ、そこから出血したものが、自分の手を伝って地面に落ちる。
「おっと、悪いな。何分話し合いは得意な方じゃなくてな。ついクソガキ相手でも拳が出ちまう。……ま、ここから抜け出そうって言うなら、更に痛い目を見るって良い教訓になってくれれば良いか、ハッハッハッハ!」
言うだけ言って、男は奥の方に置いてあるソファに腰掛ける。恐らくはどこからか盗んできた物であろう。そして結衣を連れてきた虐めグループの女が、結衣に近づいてくる。
「アンタも本当にクズだよね、織部。素直にハイって言っておけば、痛い目みないで済むってのにさ。ま、運が悪かったと思いなよ、これでクズみたいなアンタにも仲間ができたんだからさ!」
「……うっ……すんっ……うぅ……!」
ようやく涙が出てくる。顔にも痛みと激しい熱を持っている。何よりも殴られた右半分が腫れてしまい、痛々しくなっている。
「チッ、さっさとそのガキ連れていけ! こんな所で泣かれちゃ、イライラしちまって一人ぐらい殺しちまいそうだぜ!」
ソファに座った男の声が、恐ろしいまでに響く。不良グループも男が恐ろしいのか、何も手が出せない。
「早く立てよ、コラ。早くしないとアタシまでとばっちり受けちまうだろ!」
「……うっ……うっ……!」
恐怖と、殴られた事により、完全に足が動かない結衣。
「このっ……早く立てって言ってんだよ、グズ!」
女は焦りと苛立ちから、結衣を蹴り飛ばしてでも移動させようとする。
――その時。廃工場の扉が荒々しく開かれる。全ての視線が、そこに集中した。
「ここにいたのか、織部。探しちまったぜ」
「誰だテメェは!?」
近くにいたグループの男が、入ってきた人間に罵声を浴びせる。
「オレサマか? 大丈夫だ、安心しろよ。オレサマは別に正義の英雄でも、かといって悪の手先でもねぇ!」
「っだと、コノヤローがぁ!」
「オレサマはオレサマ、響ワタルサマだ! よぉく、覚えておきやがれよ!」
そこには赤いハチマキに、木刀一本を握りしめたワタルが立っていた。