夢の中の少女・後編!
――夜が明けて、七月二十一日。
月が姿を隠し、日常を辿るように夏の太陽が現れる。毎日のように気温は三十度を超えて、ただその場にいるだけでも、ほんのりと汗をかいてくる。
しかし、そんな暑さに影を潜めてしまうが、爽やかな一陣の風が吹き抜ける。風と共に草や土の、自然の香りを運んできてくれる。
「ヒロキ……オレサマだ。確か今日、試合だったよな? 先に行ってるから……かなっぺと一緒に会場に向かってほしい、じゃあ頼んだから」
「シチガツニジュウイチニチ。ゴゼンヨジサンジュップン……」
ヒロキの携帯にワタルからの留守電が入っていた。
――同日。六時四十三分。
「ハァッ、ハァッ……!」
混濁する意識の中で、ワタルは走っている。寝過ぎた為なのか、まだ頭が覚醒しきっていない奇妙な感覚を持ち続けている。
今まで知らなかった、いや、忘れていた事が何かの「キッカケ」により起こされている。
ただ頭の中の片隅にある、しかし、まるで真ん中にあるような大きな存在。夢の中の少女が頭の中で喋り続けている。なんの確信もないのに、ただその場所へ向けて走っている。
向かった先は両国国技場の中央広場。朝も早い事もあり、人はまばらにいる程度。通勤する会社員や、大会役員の黒子が目につく程度のものだ。
中央広場にある大木。初めて会場を訪れた時から、ずっとこの場所にある大きな木。一体いつからここにあるのかも、人は知らないぐらいの年月を得た老木。その老木の下に、彼女はいた。
「はぁ……はぁ……」
「…………」
「よぉ、早いじゃねぇか」
ワタルの言葉に、目の前の少女は振り向く。
長く綺麗な黒髪はポニーテールに束ねて、吸い込まれるような漆黒の瞳。やや大きめの制服を纏ってはいるが、スタイルの良さが服の上からでも見てとれる。
相変わらず、ワタルよりも少しだけ小柄な少女。いや、彼女は数年前の面影そのままに存在していた。
「……やっと来た?」
「あぁ、やっと来たぜ」
目の前にいる少女は昔の面影そのままだ。だが唯一というべきか、昔と違う点は無愛想になった、というべきか。
「いつからここにいたんだ?」
「……二年ぐらい前から」
問いかけに、少し間を開けてからの返答。二年前、それはワタルが高校へ進学した時期であり、つまりはリトルウォーズ参加の権利を得た年でもある。
「二年って……お前なんでそんなに……」
「約束したから」
ワタルの言葉は、少女の言葉にかき消される。その言葉には、感情がこもっている。
「約束……?」
「……忘れたの?」
「いや、その……」
約束、というワードに何か思い出す。「忘れたのか?」と問われれば「たった今まで忘れてた」といえるぐらいのもの。
ワタルが夢で思い出せたのは、少女との思い出のほんの一片なのかもしれない。
事実、夢の最後の言葉。ワタルはここから先の記憶が曖昧だった。約束の話をはぐらかす為に、違う話題を提供する。
「そういえば『あの時』さ、何を言ってたんだ?」
「……ふぅ。やっぱり忘れてる」
無表情だが、明らかに怒っているのがわかる。ワタルの聞きたい内容と約束が関係しているらしいのは、今の会話でわかる。
悪い事をしたという軽い罪悪感と、思い出せない約束との間でワタルの心は揺れ動いていた。
「わかった。オレサマの負けだ。約束ってなんなのか教えてほしい……頼む」
「……私と見たリトルウォーズの年は覚えてる?」
「あぁ、何年前だったかまでは忘れたけど、それは覚えてる」
正確には夢で思い出したのだ。少女と見たあの景色を。
「……私とワタルは、あの年の夏だけしかリトルウォーズを見ていない」
「……だろうな。それ以降でオレサマはトーコといた記憶がない」
「……それはあの年で私は遠くへ引っ越してしまったから」
引っ越した、その言葉が頭の中をかけめぐっていた。何かを思い出せそうな、しかし、それでいて手を伸ばすと遠のいていきそうな。
パズルのピースを一つずつ解いていくように、慎重に記憶の糸をたぐり寄せていく。
(……ワタル君。あのね……私、引っ越さないといけないんだ……)
ふと一つのピースが音を立ててはまる。そう確かにあの時に桐華はそういう事を言っていたのだ。
(ごめんね。突然……だったよね? でもね、私達が高校生になったぐらいにね、なんとか戻ってくるからね……私は、ワタル君より一つ下だから、次に会う時は私が高校一年生で、ワタル君が高校二年生だね。……えっ、なんで高校生になったらなのかって? それは……)
一つの糸をたぐり寄せていくと、一体なぜ今まで思い出せなかったのかと、自問自答するほどに記憶が蘇ってくる。
先ほどの混濁した意識が、徐々に鮮明になっていく感覚をワタルは覚えていく。
「お前は……」
「……あの人との、速水仁さんとの戦いを見てた」
「っ……!?」
突然、現実に引き戻されたような気分になる。あまり良い気分とはいえない。元を正せば今の自分がこんなにも落ち込んでいるのは、速水仁にボロ負けしたからだという事を思い出す。
「……もうあの人とは戦わないの?」
「いや……戦うさ」
「……嘘つき」
その一言がワタルの心の中をえぐった。当然である。
ワタルは言葉でこそ「戦う」といったが、その言葉の中に「勝つ」という感情がこもっていない事を桐華に見透かされる。それがその一言。
「……ワタル」
「えっ!?」
「……今度は私もいるから。もう一度、戦って……全力で」
(……えっ、なんで高校生になったらなのかって? それは……そうすれば私もワタル君と一緒に夢を追える(戦える)から……)
今、ワタルの中で最後のピースがはまった。パズルは完成した。
幼き日の夏。少女と出会った夏。それは幼いワタルにとってはかけがえのないもの。
しかし、突然訪れた別れは、その時のワタルにショックを与える。人との別れの辛さ、それは万人に与えられる一つの試練であり、いつか訪れる苦痛。
ワタルにとって、こんなにもショックを与えたのは桐華が、かけがえのない人だったからなのかもしれない。
「……トーコ」
「……全力で走るんだ。どんな相手が出てきたって、全力で走る。そいつが凄い奴で強い奴で、全力でやって勝てない奴がいても、もっと全力で練習して、もっともっと全力でやって勝つ。そしたら優勝だ」
「ハハ、よく覚えてたな、それ」
「……うん。次は……もっともっと全力、だよ」
「あぁ!!」
戦いの心の空白感が埋まっていく。圧倒的な才能を見せつけられ、一瞬でも戦意を失われてしまった。それなら全力である。今の自分に足りない部分は全力で補い、そして全力で挑戦し、全力で勝つ。
もしかしたら、自分よりも自分を見ていた桐華にそれを気づかされる。
いつしか、周りに人も集まり始め、夏の太陽が本格的な活動を始める。
「トーコ!」
「……?」
「遅くなったけど、最後の夏になっちまったけど、一緒に戦ってくれないか」
「……うん!」
四人目の全力、桜井桐華がメンバー入りした瞬間である。
――試合開始も残り時間迫る中、ヒロキとかながやってくる。
「おーい、兄貴!」
「ワタルくーん!」
いつものように、ワタルを向かえてくれる二人。それが戻ってきた時にワタルがほしいと、わかっていたからこその反応。
「トーコ、紹介するぜ。マックスハートに所属する頼れる仲間だぜ!」
ワタルの復活と、新しい仲間を連れて、マックスハートは予選トーナメント二回戦へと挑む。