天使と蛇と悪童と!
「まぁ、死なねぇ程度に遊んでやるよ」
男の腕が揺れる。その柔らかな筋肉を纏う腕は、腕というよりも二匹の蛇がそのまま体についたようにも見える。この男は筋肉だけではなく、関節そのものも柔らかい。
さらに、男の持つ長刀すらまるで蛇のようにうねっている。勿論だが錯覚だ。しかし男の剣捌きはそれ程に柔らかい。無駄が一つもない動きである。
「シャァァァァ!!」
「……!?」
奇声をあげながら、男は斬撃を繰り出す。その斬撃速度は速く、さらに蛇のようにうねる剣線が先読みすら不可能にさせる。
運動神経と反射神経に優れるワタルが、このスナップのきく剣線を避けられず、いや、反応できずに胸部に直撃をもらう。
「おいおい、この程度も避けてくれねぇとな……。まぁ、もう寝ろ」
「ぐっ……!!」
蛇がワタルに襲いかかる。柔らかな筋肉と関節、そして長刀。一度受けに回ってしまえば、蛇の毒により相手は終わる。
まるでボクシングのフリッカー・ジャブのような変則的な軌道を描き、襲いかかるその剣線にワタルはなす術もない。防御も回避も許されず、ただ直撃のみを受け続ける。
江藤との一戦で消耗しているとはいえ、何もできないワタルに対して、ヒロキは信じられないといった瞳で、その光景を見つめている。何よりワタルの凄さを知っているからこその反応である。
「あ、兄貴……、兄貴っ、何やってるんだ、攻めるんだよ、兄貴!!」
心の底から出た言葉。憧れであり慕っている人間が、なす術もなく目の前でやられたい放題になっているのは、その人間にとっては苦痛そのものでしかない。
誰だって、慕う人間には輝いていてほしい。そんな心から出てきてしまった言葉が、ヒロキの口から発せられている。
「ハッハッハ、無駄だ、小僧ォ!!」
「ぎっ……!」
ヒロキの声に突き動かされてか、ワタルはスナッピングソードを奇跡的にかいくぐり、男に対してこの戦い初の反撃を試みる。
「な……めんな……よっ!!」
体も心もボロボロの状態で放つ渾身の一撃。フォームもクソもない、ただのがむしゃらな力任せの一撃。
しかし、反撃は無いとふんでいた男には、それで十分。ただの力任せの一撃は男を捉える。
「チッ!」
リーチ的にも避けるのは不可能と悟ってか、男はバックステップをしながらワタルの攻撃を、左腕でガードする。その一撃で男の体は、宙へと飛ばされる。
「馬鹿力がっ!」
男はワタルの力加減に悪態をつく。死に体だった男のどこにそんな力があるのだろうか。
ワタルは相手が空中で停滞するわずか一瞬を、逃さないように合わせ、再び渾身の一撃を与えるべく飛び上がる。
どんな人間でも空中にあれば、動く事はできない。ワタルの攻撃はクリーンヒットする。
「あああ……ああああぁぁぁ!!」
残った力の全てをはき出すように、声を出す。いや、そうでもしないと自分がダメージに押し潰されてしまうからだ。最後に残るものは、体力でも、理屈でもなく、ほんの一握りの根性。
残る力を男に浴びせる。それがワタルにできる最後の攻撃。
「クックック……、それが小魚だってんだ。甘ェ!!」
ワタルの攻撃に、合わせ男は飛び上がる。
「なっ……!!?」
ワタルの木刀は空を切る。そこに男の姿はない。
当然である、男はワタルの一つ上にいる。いや、飛んでいる。
上空から男のスナッピングソードが展開される。フリッカー効果の軌道の見えない弾幕が、ワタルを捉える。第三者から見れば、それは蛇の雨。
ワタルの考えは逆手に取られる。空中にあれば動く事は不可能。ただ一人をのぞいて。
「……ぐはっ!」
受け身をとる事もできずに、弾幕の直撃を受け、地面に叩きつけられるように落ちる。
地上戦も空中戦も、全てにおいて男はワタルの一つ上をいく。
「ぬっ……っぎ。まだだァ!」
ワタルは諦めない。男が空中で二段ジャンプするのなら、着地を狙う。着地の硬直ならばどんな相手にでも例外はない。重力がある限り、この法則からは逃れる事はできない。
「一本足……」
ワタルは野球のバッターフォームのような格好をする。狙い打つは、落ちてくる男の着地際である。
「打法!!」
一本足打法。ホームランでも打つかのような豪快なスイングで落ちてきた男を狙う。
二度のジャンプができても、三度のジャンプはない。ワタルは、いや、誰もが思う事である。
「もう一度言ってやろうか」
「……?」
「だからっ、小魚だってんだろ、クソが!」
男は空中で、ワタルのモーションに合わせながら身をよじる。爆音をたて、爆風を巻き起こさんばかりの、スイングを前に男は空中で一瞬、止まった。
「なっ……!!」
ワタルの攻撃は豪快に空振りする。そして無防備になったワタルに、男の長刀が確実に噛みつく。
攻撃の威力を耐える事もできず、そのまま後方へと転がるように倒れ込む。
空中における二段ジャンプ。そして空中停止。ワタルを越える運動神経と反射神経。人間技を超えたその動きに、ヒロキもかなも、戦っているワタルすらも言葉を失うしかなかった。
「フフフ、クックク……ハハハ、ハーハッハッハ!!」
着地した男は、ただ笑っている。その場に男の高笑いだけが響いた。まるで世界には「それ」しか音が無いのではないかと錯覚する程。
「ま……だ、だァ!!」
その音の世界を、砕く一声。ワタルの声が、男の高笑いをかき消す。
「チッ、まだ、くたばらねぇ気……ん?」
男は、今までと違うワタルの雰囲気に気を払う。
全体重を地面に乗せ、木刀を力一杯担いでいる。そう、ついさっき江藤を倒した大技「ぶったぎり!」である。
「へっ、ちったぁ楽しめそうな技があるじゃねぇか」
男は再び中腰になり、蛇の構え(スネーク・スタイル)になる。
(へへへ……、いよいよもって、これが最後の技だな。……これが通用しねぇと……)
そこまで考えてワタルはやめた。悪い方に考えるのは簡単で、それをやっても勝てない。重要なのはどんな時でも上を見る威風堂々《ポジティブ・シンキング》である。
「すぅぅぅぅ……。行くぞ、コノヤロー!!」
本当に持てる全ての力を出し切る。江藤に放ったものよりも、威力も体捌きも上回っている。
逆境に追いつめられたからこそできる、最大の大技。当たれば勝利、外れれば敗北である。
「うあああああぁぁぁ!!」
正に全力。全てをその木刀に、その攻撃に乗せて男を斬る。
江藤でも捌けなかった武器破壊剣、それに加え全てがその時の「ぶったぎり!」を超えた技は確実に男の長刀を粉砕するはずである。
「シャアアァァァ!!」
剣と剣が触れる。男は江藤と同じく、その長刀を盾にしてワタルの攻撃を防ぐ。ワタルは男の長刀を粉砕するべく、ただ渾身の力を込める。
「ぅぐっ!?」
江藤と同じく、そのあまりの威力と重さに、完全防御態勢へと移行する。こうなれば、江藤と同じく武器破壊が成立する。まして男の剣は長刀であり、たたき割るという点に置いては弱点と言っても過言ではない。
「クッ……クックック。なるほどなぁ、こいつは大した技だぜ……。でもなぁ、シャアアア!」
再び放たれる男の奇声と同時に、二つの剣は交差する。ワタルの剣と、男の剣が離れる。
その威力そのままに、地面に激突するワタル。江藤の技で捌けなかった大技を、この男は持ち前の筋肉のバネと関節の柔らかさを使い――大技ぶったぎりを見事に捌ききった。
「…………!」
ワタルは、誰にも聞こえない小さな声を発した。その声を聞けたのは、会場中探しても誰もいなかっただろう。
「ま、小魚にしてはがんばった方だよ、クソ野郎」
最後の蛇が放たれる。何もできないワタルは、その攻撃をただ受けるしかできなかった。糸が切れた人形のように、ワタルは前のめり倒れる。
「兄貴!!」
「ワタル君!」
どう見ても危ない倒れ方をした。ヒロキもかなも、何も考えないでワタルに向かっていた。
そのワタルの状態は、江藤と戦った時の傷がわからない程にやられている。スナッピングソードによる剣撃により、ミミズ腫れのような痕が体中に見られる。まるで、剣ではなく鞭で叩かれたような痕である。
「よぉ、野郎に伝えておけ、まだ殺る気があるんなら上まで来いってよ、ハッハッハ!」
「待って!」
去っていく男を、ヒロキは無意識に呼び止めていた。
「貴方は、一体……?」
「……ふん。仁だ。俺の名前は速水仁。Fエンゼルの仁だ」
ヒロキは去りゆく仁の背中を見続けていた。ただ固く握られた拳と、噛みしめた唇から流れる血が、今のヒロキを物語っていた。