狂気
無防備な体制でまともに足蹴を食らったウェズリーは、倒れて背を打った。
ウェズリーの肩にブーツを履いた足を乗せ、ぐっと踏みつけた父は、英雄の剣を突き付けた。
「どうした、本性を現せ。魔王レイフ・クィンラン。か弱い少年のふりをしおって、騙されんぞ。早く牙を剥いて戦え。本当に刺すぞ。正々堂々戦え、この腰抜けが」
ウェズリーの肩口に、ピタリと剣先があてがわれた。
正々堂々となんて、どの口で言うのか。私を人質に取り、千人を越える兵士を配備して、精鋭の近衛兵や魔法騎士団を従えているのは、この国の王で英雄だ。手には英雄の剣が、後ろにはこの国一番の大魔法使いが控えている。
ウェズリーは武器を持たず丸腰で、衝撃を吸収するという防御の魔法さえ発動していない。
「だめぇ!」
という幼い声が響いた。警備兵に囲まれた人垣の中から、小さな影がすり抜けて走り込んできた。
「このお兄ちゃん、殺しちゃだめぇ! お兄ちゃん、クレアにくまちゃん、くれたもん」
少女が胸に抱いている大きなくまのぬいぐるみを見て、はっとした。
慌てて少女を追いかけてきた女性は、孤児院の職員だ。兵士に連れ戻されながら、女性も声を張り上げて言った。
「毎月、孤児院にプレゼントを持ってきてくれるお兄ちゃんよね。優しくて、みんな大好きなのよね」
それを皮切りに、あちこちから声が上がった。
「俺んとこも婆さんの荷物持ちしてくれたぞ」
「図書館で落とし物を拾ってくれたわ」
「赤ちゃんあやしてるの見たわ」
「スイーツカフェで会ったわ、可愛かった」
「アカ豹さまぁーー! 好きぃーー!!」
広場中が騒然として、空気がガラリと様変わりしていく。
「よく見たらまだ十代の子どもじゃねえか」
「無抵抗のガキにひでぇな」
「魔王の生まれ変わりって本当なの?」
「勘違いなんじゃ……」
ドーン、と大きな轟音が空に鳴り響いた。ハワース魔法騎士長が振り上げた魔法の杖から発生した黄色い閃光が、空を駆け巡って派手に散った。バチバチっと光の破片が降り注いだ。
「皆の者、静かに。悪魔の人心掌握術に騙されぬように。いいか、本性を引きずり出してやる。貴様が本気を出せば、ここにいる愚民全員、朝飯前で殺せるよなあ? その貴様と互角に戦えるのは私だけだぞ」
もはや狂気の沙汰だ。父は悪魔のような形相で、剣を持つ手に力を込めた。
ウェズリーの、踏まれていないほうの肩に剣先がツプリと刺さった。真っ赤な血がじわりと服に染み出したのを見て、私は全力で暴れ狂った。
両脇を固める兵士を振りほどいて、ウェズリーの元に駆け寄りたい。父を後ろから蹴り飛ばしてやりたい。押さえつけようとする兵士たちと揉み合った。
「……おい、いい加減にしろ。本当に無抵抗で死ぬつもりか? 早く反撃しろ。お得意の魔法はどうした。ジェラルディンを助けたくないのか? お前が戦わないなら、ジェラルディンも殺すぞ」
父は剣を抜き、ポタポタとウェズリーの血を垂らしながらこちらを振り返った。




