出発
「それともう一つ、大事なことが」
「まだ何か」
「服装です。目立たないように変装して行きましょう」
ハッとした。確かにこのままでは悪目立ちする。
「変装用の服を用意してあります」
部屋の小さなチェストから、モーリス卿はきちんと畳まれたモスグリーン色のワンピースを取り出した。ダボッとしたシルエットで着る者を選ばないデザインだ。
「羽織ものとブーツもあります」
「うわわ、何から何までありがとうございます」
「私も上の部屋へ戻って着替えてきますので、ジェラルディンさまもここでお着替えになってください。三十分後に戻ります。時間はそのくらいでよろしいでしょうか?」
「はい! よろしくお願いします!」
モーリス卿の仕切りが良すぎる。まるで有能な執事だ。先生みたいでもある。
モーリス卿が立ち去ったあと、さっそく着替えをした。うん、完璧だ。この部屋に鏡はないが、多分どこからどう見ても平民の芋娘に違いない。
心配なのはモーリス卿のほうだ。以前スイーツカフェにお忍びで来ていたときのことを思い出す。あのときも地味な服で変装していたが、秒で貴族バレしていたし。
着替え終わり、戻ってきたモーリス卿は予想外にダークな着こなしだった。全身黒色でまとめ、ダボッとしたローブはフード付きで、顔を隠せる仕様になっている。犯罪者っぽい服装だ。モーリス卿は特にがたいがいい分、威圧感がある。
目を丸くしていると、
「こういう見た目のほうが、変な輩に絡まれませんので安全です」
と言った。なるほどと返事しつつ、にわかに不安になった。今から向かう先はどれだけ治安が悪いのよと。まあ、このモーリス卿がいれば大抵の輩は道を開けるだろう。
ウェズリーは本当に大丈夫なんだろうか? なよっちろい面構えになっちまったなと、父の仲間たちに苦笑されていた。見るからに優しげな風貌のせいで。
それともウェズリーも歓楽街へ行くとき用の悪ぶった衣装を持っているのだろうか。
ではそろそろ、とモーリス卿が言った。
「まずは魔法陣を通るための承認を」
そうだった!
「両手を握っていただけますか」
向かい合ったモーリス卿が両手のひらを上に向けて差し出した。緊張がこみ上げる。
落ち着け私。堂々として、余裕を持つのよジェラルディン、と自分に言い聞かせる。
男性と手を握るくらい、ダンスで経験している。ダンスの先生と腐るほど踊った。兄とも踊ったことがあるし、ウェズリーとも。
大きな手のひらに両手を置いた。包みこむようにして握られた。ここまでは大丈夫。
「では、おでこをくっつけますので、少し顔を傾けてくださると助かります」
ぐわわ、並々ならぬ緊張。ギクシャクと首を傾けると、モーリス卿は長身を屈め、顔の角度を調節した。ゆっくり近づいてくる。恥ずかしさのあまり目をつぶった。
トンッと触れ合った。ゴンッじゃなくて良かった。と安心していると、まぶたを瞑った視界が、陽の光に照らされたように突然白んだ。
えっと思った瞬間、じんわりと体が暖かくなった。まるで陽だまりの中にいるような。そして薬草のようなお香のような匂いが、ふわっと鼻腔をくすぐった。
驚いて目を開けると、額を離したモーリス卿と目が合った。
「いっ、今すごく不思議な感覚が。暖かくなって、薬っぽい匂いがして」
「上手くいったようです」
モーリス卿がにっこり笑い、握っていた両手を離した。
「承認ができました。これでジェラルディンさまも魔法陣を通り抜けできます」
モーリス卿が壁に描かれた魔法陣に手をかざすと、青白い光が強さを増した。触れた部分の文様が海面のように波打ち、伸ばした腕を飲みこんでいく。
「では行きましょう。ジェラルディンさまも後に続いていらしてください」
魔法陣の中に消えて行ったモーリス卿の後を追った。不思議とまったく怖さはなかった。お裾分けしてもらった魔力が効いているのかもしれない。




