初めての山へ。強敵の影と、ひとりの女戦士
翌朝、村に柔らかな光が差し込む頃、俺はリリアの家の玄関前に立っていた。
手には剣と最低限の装備。そして腰には昨日ギルドで受けた依頼書を差している。
今日の目標は、村の北にある小さな山のふもとまで行き、出没する魔物を数体討伐して戻ること。
魔王軍の痕跡が噂されている山だが、ギルドいわく「入り口付近は初心者向け」で、俺にもこなせるはずだという。
(……ほんとに大丈夫かな)
緊張のせいか、胃がきゅっと縮む。
「ハルトさん」
玄関が開き、リリアがひょこっと顔を出す。
「これ、お弁当。今日も頑張ってください」
「ありがとう。本当に助かるよ」
「無理だけはしないでくださいね」
リリアは胸の前で手をぎゅっと握っていた。
その表情を見ていると、不思議と勇気が湧いてくる。
「行ってきます」
「はい。いってらっしゃい」
リリアの笑顔を背に、俺は北の山道へと歩き出した。
◆
村から山の入り口まではおよそ二時間。
のどかで平和な森の中をひとり歩いていると、昨日のギルドでの出来事が頭をよぎる。
(エルナ……)
蒼刃の名を持つ女戦士。
圧倒されるほど強く、そして冷たい。
(あの人に完全に見下されたままじゃ終われないよな)
そう思うと、胸の奥がふつふつと熱くなる。
やがて山のふもとに着くと、木々の雰囲気が少し変わった。
空気が冷たく、静寂が濃い。
(魔物がいるって感じだな)
剣を抜き、慎重に歩きながら草むらを見た。
ガサッ。
「出た!」
姿を現したのは灰色のイノシシのような魔物――グレイボア。
昨日の森狼よりひと回り大きい。
しかし、俺は落ち着いていた。
(狼よりは遅い。突進さえ避ければ……)
ボアの突進を横に飛んでかわし、すれ違いざまに剣を振り抜く。
手応えがあり、ボアは倒れた。
「……やれるもんだな」
【経験値+80】
【レベル6 → 6】
確実に強くなっている。
それを実感すると、胸の奥が熱くなる。
さらに数体倒したところで、突然木々の奥から声が聞こえた。
「隙だらけだ」
「……!」
その声に体が反応する。
振り返ると、木陰からひとりの女性が現れた。
「エルナ……?」
昨日ギルドで言葉を交わした女戦士。
長い銀髪が朝の光に揺れ、鋭い青い瞳がこちらを射抜く。
「新人にしては、まあまあだ。狼やボア程度なら十分戦える」
「えっ……褒めてます?」
「事実を言っただけだ」
エルナはそっぽを向く。
しかし昨日のような刺々しさは少し薄い気がした。
「どうしてここに?」
「私も偵察依頼だ。……あのギルド受付が勝手に依頼を変えたせいで、順序が後になったが」
「ミナさんが?」
「まあ、あいつは昔から勝手に人の仕事を変える。悪い奴ではないが」
エルナは軽くため息をついた。
「お前はどうしてここに?」
「俺は……もっと強くなりたくて。段階踏んで鍛えろって言われたんです」
「ほう」
エルナは少しだけ目を細める。
「自分の弱さを理解し、着実に進む者は嫌いではない」
その言葉は短いが、確かな重みがあった。
「それにしても、お前……」
エルナはじっと俺を見つめた。
鋭さの奥に、ほんのかすかな興味と、測るような光がある。
「昨日より動きが良い。何か秘訣でもあるのか?」
「え、いや……まあ……努力と、支えてくれる人がいて」
「ふん。答えになっていないな」
エルナは肩をすくめたが、その横顔はどこか柔らかい。
◆
そうして俺たちは少しだけ一緒に山道を歩くことになった。
俺が落ちていた木の根に足を引っかけそうになると、
「足元を見ろ。油断するな」
と注意しつつ、さりげなく支えてくれたり。
魔物の声が奥から響くと、
「後ろにいろ。私が行く」
と言って先に前へ出たり。
(なんか……思っていたより怖くないな)
もちろん口調は厳しい。
だが、彼女の行動には確かな優しさがある。
「お前」
ふいに名前を呼ばれ、立ち止まる。
「はい?」
「昨日のリリアという娘。……恋仲なのか?」
「えっ?」
一瞬、思考が止まった。
「いや……まだ、そういうのじゃ……」
「では、私の見立てでは……あれは好きだな。お前のことを」
「そ、そう見えるんですか?」
「見える」
エルナは迷いなく言う。
「仲間の目はごまかせない。感情は戦闘よりもはっきりと読み取れる」
「そんな特技まで……」
「女はな、特にわかりやすいものだ」
エルナは微妙に語尾を濁した。
まるで──自分がその“わかりやすい女”のひとつであるような顔を。
(あれ、もしかして……?)
昨日の冷たさに反して、今日は距離が近い。
少しだけ柔らかい態度。
(ツンツンして見えるけど、本当は……)
そんな予感が胸をかすめた。
◆
そんな中、山道の奥から異様な叫び声がした。
「ギシャアアッ!」
木々を揺らして出現したのは、大型の猿型魔物・レッドエイプ。
牙が長く、筋肉質で、初心者の俺が相手にできるものではない。
「下がれ!」
エルナが前に出て剣を構えた。
その気迫は圧倒的で、魔物が後ずさるほど。
「ハルト。これは私が倒す。お前は無理をするな」
「くっ……でも……!」
助けたい。
しかし現実的に言って、俺が割って入れば邪魔になるだけだ。
エルナが踏み込むと、銀髪が舞った。
剣が一閃し、レッドエイプが悲鳴を上げる。
その戦いはほんの数秒で終わった。
「す、すごい……」
思わず息を呑む。
「これがBランク……」
「慢心するな」
エルナは短く言った。
しかしその横顔は、昨日よりずっと俺を認めているように見えた。
「見ていろ、ハルト。いつかはお前も、ここまで辿り着ける」
「……本当に?」
「努力さえすればな」
エルナはわずかに口元を緩めた。
その表情は昨日の俺なら想像できなかった姿だった。
◆
レッドエイプを討伐した後、俺たちは山の入り口方面へ戻った。
さすがに奥に行くのは危険だ。
「今日はここまでだ。無理のない判断だったな」
「ありがとうございます。エルナさんのおかげです」
「礼は要らない。私も偵察の途中だっただけだ」
そう言いつつも、エルナはどこか気まずそうに視線を外した。
「……お前の動きは悪くない。昨日より成長している」
「本当に……?」
「嘘は言わない」
エルナの頬が、ほんのわずかに赤く見えた。
山の冷たい空気のせいかもしれない。
(この人……実は、ちょっと不器用なのかもしれない)
そう思うと、少しだけ彼女が近い存在になった気がした。
「また会うかもしれないな、ハルト」
「はい。また」
エルナは鋭くうなずき、森の奥へ去っていった。
◆
夕方。
村に戻り、リリアの家に帰ると、リリアがすぐに駆け寄ってきた。
「おかえりなさい。怪我は……ない?」
「大丈夫だよ。エルナさんとも会った」
「本当に? 怖くなかったですか?」
「いや、思ってたより……優しかったよ」
リリアは少しだけ複雑そうに眉を寄せた。
「女の人……ですよね?」
「うん。すごく強いけど、不器用な感じで」
「……そうなんですね」
リリアは胸の前で指をからめながら、ほっとしたような、どこか不安げなような顔をした。
「リリア?」
「い、いえ。ハルトさんが無事で良かったです」
その表情を見た瞬間、胸が熱くなる。
(守りたいって、こういう気持ちなんだな)
「ありがとう、リリア」
自然と頭を撫でると、リリアは目を丸くした後、小さく笑った。
【経験値+180】
【レベル6 → 7】
今日も、成長した。
◆
夜。
ベッドに横たわり、天井を見つめる。
(強くなりたい。もっともっと)
エルナの圧倒的な強さ。
リリアの優しさ。
どちらも俺を前に進ませる。
(魔王討伐の旅はまだ始まったばかりだ)
拳を握りしめ、俺は静かに目を閉じた。




