7.
馬車に乗っていたのは半日ばかりだろうか。
外の景色はほとんど変わらず、時折現れる商人の馬車とすれ違うくらいであった。
それでも、段々と晴れ渡った青い空にオレンジ色の光が落ちてくれば、それにつられたように、馬車の揺れは次第とゆっくりになっていた。
そして、重々しい鐘の音が目的地へと着いたことを告げるように響く。外を眺めれば、王都の華やかさとは違う、重厚で豪華なフォルセイン邸が姿を見せていた。
しかし、疫病の影を落とすような沈んだ静かな空気で、遠くで鐘を突く人々は暗い顔を落としていた。
どうやら疫病は思ったより、深刻らしい。
「エルン様。お着きになりましたよ」
エルンの体を揺らす。彼は半日も私の膝の上で寝ていた上、起こされたら起こされたで、唸り声をあげ、目を擦りながら欠伸を一つこぼした。……まったく、とんだ自由人だ。膝の温もりを意識させられるこちらの身にもなってほしい。
「もうそんな時間か。……これから父に会うのだが、私の身だしなみは大丈夫だろうか」
「整えてから行った方がいいかもしれません。もし、宜しければ、私の手鏡を貸しましょうか」
「感謝する。……しかし、医師でも鏡を持つものなのだな」
「父から頂いたものです」
使い古された手鏡を渡す。
ルナード邸に嫁いだとき、父に大切な言葉と一緒に貰った大切な鏡。――そういえば、と思う。フォルセイン領に来ていることを父に伝えていなかった。
「大事にされているのだな」
「ええ。でも、親孝行は出来ていません」
薬学に耽け、婚約者には捨てられ……気づけば、縁もゆかりもない地に医師として足を踏み入れている。それに、そのことを伝えていない。
これではとんだ親不孝者だ。
「……私と同じだな」
そうボソリと言う彼の表情はどこか浮かない表情だった。私は彼のことはほとんど知らない。しかい、その表情を見て彼らしくないな、と思った。
「でも、エルン様はお父様のためを思って行動してるではないですか。それで十分では……」
「十分じゃない!」
エルンは語気を強め、私の言葉を遮った。そればかりか、酷く怯えたように肩を震わせている。
「婚約者すらいない私は、父の期待にまだ応えられていない。だから、十分じゃないんだ……」
跡継ぎとしての不安も、焦りも——すべてがその肩に重くのしかかっているように見えた。
それに私は言葉を出せずにいた。
「すまない、取り乱してしまって。……私は先に中にいるから、お前たちは使用人に着いて来ると良い」
彼はそうぶっきらぼうに告げると、馬車を手早く降りてしまった。
馬車には私一人だけ。
「『十分じゃない』……」
馬車で独り、エルンの言葉を反芻する。
医師としても半端で、もちろん貴族としても半端で。
そういう十分じゃない私にとって、彼の言葉は胸に酷く突き刺さった。
馬車を降りる。
その足はやけに震えていた。馬車にずっと乗っていたせいだろうかと、知らんぷりに思ってみる。
しかし、彼の言葉はいやに鮮明に私の胸の中に残った。




