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Side:エリシア

唇を介して体温が溶け合い、互いの息が静かに混ざる。そのまま自然と唇が深く重なり、わずかに触れた舌先が触れ合った。

そして、長く絡ませた舌を、唇を、名残惜しくも離せば、思わず甘い吐息がこぼれた。

猫なで声みたいな酷く甘えた声だった。

それに自分でも、少し気恥しくなってエルンを見れば、彼もまた荒い息を吐いている。


「……少し熱くなりすぎただろうか」


「そんなことはありませんよ。私はまだ……離れたくはありません」


「そうか……。では」


そう言って、エルンは一瞬だけ私を見つめた。

その瞳に映るのは、迷いでも理性でもなく、ただ私への確かな想いだった。

荒くなった息もお構い無しにまたお互いに求め合う。今までの焦れったさやら抑えた想いやらを解消するように。

そして、また唇を重ねようとして——

刹那、月明かりがゆっくりと私たちを照らした。

それはスポットライトの灯りのように、私たちを見つけ、影で隠された秘密を露わにする。

夜風が触れそうになった私たちの唇の間を通り抜けた。

呆然としながら夜風を感じて、そして、お互いにハッと我に返る。


ここはベランダだ。それも、近くには大広間があって喧噪も人も近い。いくらここが人通りの少ない場所と言っても、こんな秘密を長く味わうのは難しい。


……どうやら、少し熱で浮かされしまっていたらしい。

その熱を取るようにパタパタと顔を手で仰ぎながら、起き上がる。ぐちゃぐちゃになった顔を拭いてエルンを見れば、彼も顔を赤くしていた。

そして、彼はゆっくりと起き上がり、上着を脱ぐ。私の涙やらなんやらで湿った上着を。


「……すみません。色々と……」


上手く言葉にできないまま、ただ身体は甘えるように、エルンの胸の方に寄せていた。速すぎる鼓動は相変わらずで、ずっと聞いていたいほど耳に心地よく響く。

エルンはその私のわがままを受け入れながら、頭を優しく撫でた。


「そろそろ戻るとするか」


その声に導かれるように、私はそっと顔を上げた。

月明かりはまだ私たちを照らし、大広間の喧噪は夜風に乗り、届く。そこにはたしかに現実が近くにあって、名残惜しくも現実へと戻る。

まだ二人だけの空間はお預けのまま——。



「お父様にはなんと言おうか」


シャンデリアの灯りの下、回廊をゆったりと歩いていると、エルンは気難しそうな顔でそう呟いた。


「素直に言えば、良いのではないでしょうか」


「確かに、お父様は優しいから許してくれると思う。ただ……」


言葉を途切れさせ、眉間に深い皺を寄せる。


「領の跡取りが医師と婚約を結んでもいいものなのだろうか」


エルンはそう酷く悩んでいるように頭を掻いた。

それにああ、と妙に納得する。彼の跡継ぎとしての不安も焦りも十分知っているし、彼のその鈍感さも理解している。

けれど、それが彼らしい。どうやら、彼はまだ私をただの医師だと思っているらしい。


本当のことを言うべきなのだろうか。

言えば、彼は戸惑うのだろうか。それとも、私受け入れてくれるのだろうか。……どちらもありそうだ。

頭を悩ませている彼の端正な横顔を見ながら、そう悩み、本当のことを言いかけて——やはり、止めた。

それは、なにか策謀があるとかそういうのではなく、単に彼の悩む横顔が可愛く映ったからだ。


「……まさか浮気をなさるおつもりですか?」


「そ、そんなわけが!」


そればかりか、いたずらに笑みを返した。そうすれば、エルンはたちまち慌てふためいて、私の機嫌を取り繕おうとしてくる。それすらも可愛く映って、思わずまた笑みがこぼれた。


「あら、お取り込み中だったかしら」


二人で違う表情を見せていれば、不意に後ろから女性の声がした。それは深く聞き馴染みのある声で、甘い香水の匂いが鼻をくすぐる。

振り返ると、豪華なドレスに身を包んだセレーネが、意味ありげに唇を歪めていた。

私がそれに他人行儀に一つ礼を返せば、彼女は不機嫌そうに唇を尖らせたが、視線を逸らした。

こういう場で会うのは少し気恥しいし、何より、そのからかってやろうという表情から察するものがある。とかく、彼女には深く踏み込まない方が良さそうだった。

セレーネの隣にはオルディンがいた。彼はいつものように朗らかな笑みを浮かべてはいるが、どこかエルンに立ちはだかる壁のようにも思えた。


「お、お父様」


緩やかな表情を浮かべるオルディンとは対照に、エルンは酷く目を泳がせていた。いきなり悩みの壁に当たって、声も震えていて、怯えた小動物みたいだ。

その首根っこを掴んで離さないようにオルディンは口を開く。


「こんなところにいたのか。令嬢方ともっと話をしてきたらどうだ?そしたら、縁談話も貰えるかもしれないだろう」


オルディンの声音は穏やかだが、その裏には父としての圧が滲んでいた。

シャンデリアの光が金糸の装飾に反射して、エルンの頬を照らす。

彼はわずかに視線を落とし、唇を噛んだ。まるで、自分の中で言葉を探しているかのように。


「ふむ……。王都に来るなんて、滅多にない機会だ。今宵に決めるのが懸命なのは分かっているだろう。……それで、相手は見つけられたのか」


エルンの沈黙を嫌ったように先走ったオルディンの問いに、エルンは一瞬だけ息を詰めた。

ふと、彼の視線がほんの僅かに私へと向けられる。それは一言では言えない想いを宿した、短くも確かな視線だった。

そういう視線に胸が高鳴る。まるで、長い夢がようやく現実の音に変わったようで––—


「……はい。見つけました。私は——」


エルンは一つ喉を鳴らした。息を吸う音がやけに大きく響く。


「私は、エリシアを好きになりました。立場も身分も関係なく、彼女を愛すと心に決めたのです」


意を決したようにエルンは言う。やはり、何度聞いても好きだとか愛してるとか、そういう言葉の数々はくすぐったい。


「そうか。いい人を選んだな」


オルディンはそう余裕そうな笑みを見せた。

思ったより、驚いていなさそうな彼の姿にエルンは豆鉄砲を食らったように呆然とした表情を見せていた。


「そ、それだけですか。お父様」


「それだけ、とはなんだ。……こういうのを面と向かって言うのは恥ずかしいが、お前が選んだのなら、それが正解のはずだ。——私の息子なんだからな」


笑みを少し崩しながら、オルディンはそう恥ずかしそうに言う。そればかりか、その恥ずかしさを隠すように、「それに、セレーネ様が見ている時に叱れるわけがないだろう」と、冗談めかして苦笑いした。


「私は、そういう修羅場も嫌いじゃないのだけれど……。ともあれ、あなたの選択を祝福するわ」


セレーネはそう言うと、握手を求めるように手を差し出した。

その薬指の装飾がシャンデリアの光を受けて、一瞬だけ光を反射させた。

そして、彼女はこの場の誰にでも聞こえる声で言う。


「私の妹を宜しくね」


と。

……その瞬間、時間が静かに止まったようだった。そのときのエルンの表情は一生忘れない思い出になるだろう。

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