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40.

言葉を吐き出した胸の奥は驚くほど静かでいて、少しだけ空っぽだった。

その静けさは二人の間にも広がっていて、ぽっかりと空いた距離の中、お互いに静寂を保とうとしていた。

大広間の音楽は遠い世界の旋律のように霞んでいて、この場の時間だけが止まったようにさえ思えた。


それでも、私の口走った言葉だけはその間に確かに漂っていた。

なんだか、私が隠していた弱みをエルンが握っているような気がして、心はどうにも落ち着かなかった。

別にその対等さを求めているわけでもないけれど、何も言えないでいる彼の沈黙に問いかける。


「どうしたのですか」


怒りとか羞恥心とか、複雑な感情をまぜこぜにした私の問いは酷く曖昧だった。

その問いに、——というか私に、彼も言葉の選び方に迷いながら、酷く悩んでいる。

そして、微かな沈黙のあと、彼は息を呑むように言った。


「……怒っているのだろうか」


その問いもまた曖昧で、核心を避けていた。


「……ええ、怒っています」


短いやり取りと長い静寂を交互に行き来する。

お互いのことを探っているはずなのに、どちらも隠れているみたいで、その焦れったい距離がもどかしくて——

それに付きまとう感情が酷く嫌いだった。


「……エルン様も私が怖いのでしょうか」


どうしても、エルンの沈黙がユリウスの瞳に触れたときの酷な感情と重なってしまって、沈黙に溶け入るような声で呟いた。

エルンが恐怖で言葉が出ないのなら、納得はできるし、それに、この弱みにキッパリと諦めもつけられる。……つけられるはずだ。


彼は私の問いに悩んでいるようで、その沈黙をゆったりと長引かせていく。

ただ視線だけはまっすぐに合ったままで、どちらも離そうとはしなかった。そればかりか、視線を逸らしてしまえば、何かが終わってしまうような、そんな確信めいた思いが胸を嫌に締め付けてくる。

そして、彼は意を決したように口を開いた。


「……怖かったんだ」


と。

そう言う声は静かだったが、どこか怯えにも似た響きを含んでいた。

それと同時に、ああ、終わったんだ、と息吐く。

でも、それが彼にとって一番の選択のような気がして、応える言葉も表情も上手には出せなかった。

そればかりか、自分の胸の痛さばかりが気になって、このときでさえ独り善がりな感情に流されているのが嫌でしょうがない。

……その痛みも、いずれ消えるだろう。そう深く考えないようにして、視線を逸らそうとして——


ふいに、大粒の涙がこぼれた。

それは感情がとめどなく溢れるみたいで、視界が雨を降らしたみたいに霞ませる。

足に力が上手く入らず、その場に崩れ落ちた。頬を伝い、落ち、目に映る雫が近い。

そして、その一粒、また一粒と落ちる音さえ聞こえてきそうで、堪えていた何かが壊れたようだった。


そのとき、足音が一つ二つとして——

その瞬間、エルンの温もりが近くにあった。


気づいたときには、彼の腕が私を包み込んでいた。

強くも弱くもない、けれど、確かに震えている抱擁。

その震えは彼の「怖かった」という感情を確かに語っているはずなのに、目一杯の優しさがあるみたいで、思わず胸が詰まる。

その優しさが酷く痛い。


「私が大事じゃないのでしょう!私が怖いのでしょう!だったら、離して……」


彼の胸の中で子どもみたいにじたばたと暴れる。そうする度に、私を包み込む彼の腕はどんどんと強くなって、抵抗の一つもさせてはくれない。

そればかりか、彼の速すぎる鼓動が耳に響いて、すぐそこに温かな体温があると頬を染めてしまう。

諦めたいのに、諦められない感情が疼く中、エルンはそれを鎮めるように耳元で優しく囁く。


「……怖かったんだ」


深く息を吐いて、私をそっと抱き寄せながら、言葉を紡ぐ。


「エリシアがユリウスと話していた時——怖かったんだ。せっかく、エリシアと一緒にいられると思ったのに、見知らぬ誰かに奪われるんじゃないのか、と」


「そう頭では嫉妬心を燃やしているはずなのに、独り善がりな感情を押し付けるせいで、エリシアを傷つけるんじゃないか、と怖がって、何も言えやしなかった。——そんな臆病な自分が一番怖かった」


彼の声は自分の感情を吐くのが怖いように震えていた。

その彼の震えが私の胸の奥を共鳴させる。息を吸うことさえ苦しく、ただ彼の優しい声に耳を傾けることしかできない。

それでも、その声が胸の痛みを優しく撫でるようで、段々と心が落ち着きを取り戻している気がした。


「でも、怖がってるだけじゃ何もできないし、どんどんと距離を嫌に離してしまう。だから——今度は、私の言葉で言わせてほしい」


エルンは私の肩に手を置き、少し離れる。その瞳は真っ直ぐにこちらを見てきて、月夜に照らされた頬は赤く染まっていた。

私の顔はどうだろうか。泣き顔で人に見せられないくらいぐちゃぐちゃになってはしないだろうか。エルンに、大好きな人に、見せられたものではないかもしれないけれど。


——月夜はゆったりと姿を消して、私たちの表情を影に隠した。それは身元で囁く密かなエルンの呟きも、静寂に釣られた密かな二人の口付けも、静かに隠して包み込む。


勘違いして、怒って、溢れた言葉は今、温かな感情へと変わっていた。それは少しだけ空っぽになった胸の奥を確かに、満たしている。

お互いを理解するには少し、時間がかかりすぎてしまったのだろうか。

——いや、これくらいがちょうどいい。このくらいの熱がきっと、ちょうどよかった。


---完---

以上をもちまして、本編終了です。

ご愛読いただきありがとうございました。

次回は少しばかりの余談です。もう少しだけお付き合いください

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― 新着の感想 ―
なんというか、感情表現が豊かですね! 読んでいて、共感できる部分が多くありました。 共感という点で述べるならば、共感しやすさを作っているんですよね。 そのためのスペースがあって、そこに小説と一緒に…
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