36.
ユリウスと呼ばれた男は、ダイゼンとの会話を邪魔されたことに眉をひそめて、怪訝そうにこちらを見てくる。
そして、その瞳が私の顔を見つめた瞬間、時間がふと止まった。
「……もしかして、エリシアか!」
と驚いたように、声を弾ませた。その表情は記憶の面影と変わらず、懐かしさを思い出させるのには十分だった。
ユリウスは王都の数少ない友人の一人で、彼の三男という立場上、自由に薬学を学んでいたという印象がある。
そんな似通った境遇もあってか、王都ではよく一緒に薬学の本を読んでいたような、そんな気がする。
その記憶が曖昧なのは、彼と出会ったすぐ後に、私がルナード領に行ってしまったからだ。もし、もう少し時間があれば、もっと思い出の一つや二つ増やせたのだろうが、今ある思い出は、彼が薬学の本を頭にぶつけて強がりながら、泣いていた思い出くらいだけだった。
「ルナード領に行ってたんじゃないのか?どうしてこんなところに……」
驚きと戸惑いを滲ませながら、彼は問いかけてくる。
そんな彼に一から婚約破棄からフォルセイン領までの道のりを話すのは少し重すぎる気がして、少しだけ言葉を濁した。
「……少し野暮用で来ました」
口にしてから、自分でもあまりに曖昧な言葉だと思った。
けれど、これ以上を話す勇気はなかった。
私の無理がある返答に彼は険しく顔を歪めながらも、「そうか」と一言だけ言葉を返す。
その続けようのない話題に一瞬、三人の間に沈黙が落ちた。一階から届く旋律だけが、遠くの波のように耳を撫でていた。
「二人はお知り合いなのですか?」
そして、一つの微妙な空気を取り除くように、ダイゼンは早々に口を開いた。
「ええ、ユリウスは昔の友人でして。彼も薬学に興味がありましたから、よく一緒に本を読んでいました」
「書庫の中でな。私はすぐ集中力が切れるタチだったから走り回ったりしてて——」
「棚に身体を当てて、分厚い本が落ちてきて泣いていましたよね」
「あれは泣いてない!少し驚いただけで」
「でも、涙を流していたではありませんか」
「それは……そうだ。埃が目に入って痒くなっただけだ」
「また強がりを言って。ユリウスは昔から変わっていませんね」
思わずふっと笑いが込み上げた。
友人と共に王都の懐かしい記憶を辿って、胸の奥が少し温かくなったようだった。
周囲の喧噪から切り離されたように、その一角だけが穏やかな空気に包まれる。
そんな空気の変化を感じ取ったのか、ダイゼンは紅茶をひと口啜り、わずかに目を細めた。
「二人で話す会話もあるだろう。私は少々席を外すとするか」
そう言って、彼は立ち上がり、ナイフを皿の上に置く。
その仕草は穏やかだったが、彼の瞳の奥には、何か小さな影が揺れていた。
その影が何を意味するのか、私にはまだ分からなかった。




