33.
「まさかこの歳で白衣以外に袖を通すことになるとは、複雑ですな」
鏡の前に立ったダイゼンが、皮肉めいた笑みを鏡に見せながら、微かな緊張混じりに独り言のように呟く。
案内してくれたスチアが去った後の部屋には、静かな緊張だけが残っていた。
私たちがいる客間には淑女のための華麗なドレスから紳士が着るようなスーツまで、いくらかの衣装が王都の格式を表すように整然と並んでいた。
見渡すだけで量にも質にも圧倒される。それほど、王都は浮世離れしているらしい。
そして、ダイゼンはその中から考えなしに選んだ貴族紳士の服を丁重に着ている。
普段は薬草の匂いが染みついた白衣を着慣れているせいか、この重厚な生地の重みがまるで別人の衣を借りているように感じているらしく、胸元の布地を指先でなぞる仕草がどこか落ち着かなかった。
「お似合いですよ、ダイゼン様」
「こういうのを着るのは久しぶりなのですが、それなら、良かった。それよりも、エリシア嬢はもっと華やかなドレスを選ばなくても良いのですかな?」
私のドレスを見ながら、ダイゼンは答えた。確かに、私のドレスは言葉を選ばずに言えば、地味だ。それに、少し薬草の匂いがする。
「ええ、今晩の主役は私ではありませんから。あくまでも、ダイゼン様とエルン様が主役ですよ」
今日行われる祝賀会は王命を果たしたフォルセイン領のためのものだ。そして、そこで表彰されるのはエルンとダイゼンである。
最初こそ、私が出る予定だったらしいが、私は何せこういう華やかな舞台には慣れていない。だから、今回の大役を人生経験豊富なダイゼンにお願いして——と言うよりかは押し付けてと言うべきか。
とかく、今回の祝賀会では私はあくまでも医師として、付き添い人として徹することにしていた。
「エリシア嬢には嘘をついて、隠し事をしていたのに、まさかこんな風に仇を恩で返されるとはな」
ダイゼンはため息をつくように言葉をもらす。
「恩師ですから」
そう言葉を返せば、彼は気恥しそうにまたため息をついた。
ダイゼンたちが私に嘘をついたのは変わらない事実だが、それと同時に私のことを案じていたのも事実だ。
本当は恩師という言葉では片付けたくないほど、彼には礼を言いたい。ただ、それを詳しく言うのは野暮なものなのかもしれなかった。
「ダイゼン様、エリシア様。お支度のほう、整いましたでしょうか」
ふいに扉が軽く叩かれ、控えめなノックの音が部屋の静寂を破った。
扉越しに聞こえるスチアの声は、王都仕えの侍女らしい柔らかさと持っていた。
「それでは行きましょうか」
ソファから立ち、気楽にダイゼンに声を掛ける。
けれど、彼はその場から動こうとしなかった。
背もたれに深く座り、膝に置いた肘が小刻みに震えている。
床の模様をじっと見つめながら、何かを飲み込むように喉を鳴らした。
「……どうされましたか?」
その顔を覗き込めば、彼は緊張を顔に貼り付けたような表情で、深呼吸を繰り返していた。
「実は私もこういう場には慣れていないんだ」
顔を覗く私にしか聞こえなくらいに、ダイゼンは小さく呟き、取り繕ったような笑みを見せた。
いつもは落ち着きを払っているというのに、今は酷く動揺しているように震えている。
同時に、それもそうかとも思う。彼は厄介事を嫌うタチだった。
こういうとき、言葉をかけるべきなのか、黙って落ち着くのを待つべきなのか——。
その答えは分からないけど、声をかけてあげるべきだとも思う。責任を押し付けた私が言うことでも無いかもしれないが。
「大丈夫ですよ、ダイゼン様。私が、愛弟子が着いていますから」
少しはにかんで、彼に声をかける。
かつては私がダイゼンに宥められる側だったのに、今はこうして支える側にいる。
それが少しだけ、誇らしかった。
「……愛弟子がそう言うなら仕方ないですな」
彼は笑みを見せて頷き、立ち上がった。
私は彼の背を眺め、追いかける。
その背は思っているよりもずっと近いところにある気がした。




