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3.

「失礼。驚かせてしまったか」


医師会では見たことの無い若い顔であった。

舞踏会から抜け出して来た貴族なのだろうか。

などと見ていると、男は丁寧な口調で近寄り、古びた本に興味を見せた。


「これはセリオン草か」


「ご存じなのですか」


彼の視線は、私の手にある古びた本へと注がれている。

貴族にしてはやけに、薬学に精通しているように思えた。


「私の方では大事な薬草だから。けれど、君ほど薬草に詳しくはないみたいだ。——私は君のその花飾りの名前を知らない」


彼の指先が、私の髪に添えられた花飾りへと伸びかけ、直前で止まった。

触れられてもいないのに、妙に男の手を意識してしまって、思わず言葉が早くなる。


「ルナリア草です。ここら辺では、一般的な薬草として扱われていますが……。もしかして、舞踏会に参加されていますか」


「ああ。でも、舞踏会なんてどうでもいい。本当に探していたのは、君なんだ!」


勢い込んだ声音とともに、彼は私の手を取った。

久しく男の手など握ったことのない私は、思わず胸が跳ねる。頬が熱くなるのがわかった。

けれど、私以上に動揺を隠せない彼の様子に気づいた瞬間、不思議と胸の高鳴りは鎮まっていった。


「……落ち着いてください。まずは名前を教えて頂けませんか」


「私はエルン。フォルセイン家の跡継ぎだ」


「だが、今の私は家の役に立てていない。婚約者すら決まっておらず、父を安心させることもできていない」


エルンと名乗った貴族ははわずかに目を伏せ、言葉を紡いだ。

その言葉の節々には、辺境の貴族令息らしい不安が滲んでいて、表情にもどこか憂いがこもっていた。


「——そんな折に、疫病が領地を襲ったんだ。父は酷く悩み、民も怯えている。せめて父の悩みの種をひとつくらいは取り除いてあげたいのだ」


「……疫病、ですか」


私は思わず問い返す。

エルンは頷き、声を低めた。


「けれど、フォルセインは神の信仰が強まりすぎて、もう薬学に通じた者がいない。そこで聞いたんだ。ルナード邸には、まだ薬学に精通した医師たちが集っている、と」


「それで、舞踏会を抜け出してまで……」


「そうだ。……医師にこんな愚痴を言うのはみっともないかもしれないが、舞踏会の知らせが来たとき、正直に言って、父の悩みを放り投げてまで行くべきか、どうか悩んだんだ」


彼の瞳は真っ直ぐに私を見てきた。

それは貴族の令嬢を見る、品定めのような目ではない。


「けれど、その噂を聞きつけて私にできることは、それしかないと思ったんだ。報酬も、もてなしも約束する。だが何より……父を、このまま苦しませたくない。——だから、頼む!」


彼の握る手は言葉を重ねるにつれ、強くなっていって、まるで、彼の願いの熱量が伝わってくるようだった。

ただ、こういう熱い情を向けられたのは久しく、どう対処すれば良いのか分からなかった。


できることなら助けに行きたい。けれど、私は医師でもないし、婚約者も居る身だ。


私の願いは到底叶いそうにない戯言のようで、私は困ったような笑みしか出せなかった。


それがエルンには拒絶された笑みのように見えたのか、彼の瞳は酷く虚ろに写った。

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