25.
冷たい雨粒が頬を打つのも構わず、私は無我夢中で駆けていた。目的地はすでに定まっている。
マルフは言った。エルンは教会に居る、と。そして、もう一つ——教会こそが疫病の核なのだ、と。
エルンと疫病。それらを同時に聞いて、最悪なことが頭に浮かぶのは必然だった。
雨音が街の静寂を支配するように、その不安ごとかっさらってしまえばいいのに、とも思う。ただ、雨脚は強く。どうにも、私の不安だけを強く募らせてしまうようだった。
「エルン様!」
教会に着き、彼の名を叫ぶ。それは希望をそのままに大きく響いた。
しかし、それはただただ響くだけで、教会の静寂を更に強調する要素に成り下がっていた。
そして、こちらを見る人、人、人——。それらは生気を失い、痩せこけた姿で異様な静寂を保ち、人と言うよりかは、むしろ無機質な何かのように感じる。
疫病に犯されたこの人たちも助けられるのだろうか、と弱音を吐きそうになる。
しかし、私はエルンを見つけなくてはならない。セレーネからの王命を果たさなくてはならない。カリスに薬学がお遊びではないと証明しなくてはならない。
そういう弱音を吐くよりも前に、まだまだすることが沢山あった。
私はもう一度駆け、叫ぶ。彼の名を。
「エルン…様……?」
名を何度も叫び、駆け、ようやく見つけたのは立ち尽くすダイゼンの姿であった。どうしてこんなところに、と疑問が零れそうになるが、ふと。
彼は床に険しい視線を送っていた。鼻に嫌な匂いが残る。胸に嫌な予感が蠢く。
やがて、恐る恐る彼の視線を追えば、割れた瓶から消毒液が床に零れていた。そして、それに混じり、固まっている赤い何か。
それらは近くで倒れ込んでいる影の状態を雄弁に語っているようだった。
「エルン様!」
気づけばダイゼンを押しのけ、倒れ込むエルンに触れていた。彼の瞳孔を見る。虚ろではあるが、まだその瞳には生気があった。脈もしっかりと打っているし、まだ、まだ大丈夫なはずだ。
「薬の試作品はありますか」
焦りからか声は震えていた。
「すまないが、今日に限って無いのだ」
ダイゼンは酷く落ち込んだ様子で言う。
それは当たり前の返答だった。あったら、ダイゼンも立ち尽くさずにいたはずだ。
何かないかと考える。しかし、考えれば考えるほど、ここには何も無いことだけが明瞭になって、焦りを募らせるばかりだった。
「……問診所まで運びましょう。そこなら、薬も薬草もありますし、安静に出来るはずです」
「しかし、外は雨です」
「ダイゼンたちはここに残ってください。雨の中、歩くのは危ないでしょうから」
エルンを担ぐ。彼は私より随分と背が高いはずなのに、想像以上に軽かった。もしかして、ここ数日まともにご飯を食べていないのではないだろうか。そしたら、免疫力も落ち、病にもかかりやすい。
彼を責めたくなるが、それでも、それに気づけなかった私にも落ち度があるのは確かだ。もう少し、彼と話していれば。もう少し、彼の近くにいれば。そんなことばかり考えてしまう。
「エリシア嬢!」
「分かっています。……分かっていますから」
ダイゼンの幾度の静止の声を止める。
焦ったままの思考で冷静さを欠いているのは分かっている。しかし、何も行動しないでただ、彼の衰弱を眺めるよりかは、それは幾分かマシなはずだ。
「……分かりました。くれぐれも気をつけてください」
ダイゼンは諦めたように言葉を走らせた。
彼も分かっているのだろう。助ける術も持っていないというのに、抗おうとする私の諦めの悪いところを。
この諦めの悪さは誰に似たんだろう、と思う。過去の私はもっと、自分の感情を押し殺していたというのに、今では彼を助けたい、とわがまま放題だ。
エルンを担ぎ、雨の中。雨脚は私のわがままを許してくれているかのように少しだけ和らいでいた。




