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22.

「……雨だ」


雨季の始まりを告げるようにポツリと降った雨を窓から眺めながら、呟く。

それに言葉を返したのはエルンでも、セリンでもなく、カエルの鳴き声だけであった。


患者の家々を訪ね歩く日々が、もう数日続いている。

最近は患者の容態も良く、病も落ち着きを取り戻し、王命は果たせたのではないかと——そう思うときもあったが……。


患者たちの様子を見守る中で、これは本当に疫病なのかという疑念を持つようになった。

私が言うのも何だが、フォルセイン領の疫病は熱も咳も軽く、むしろ流行り風邪に近いのではないのか、と思う。

そんな思いは降り出した雨のように、胸の奥に生まれては、すぐにじわじわと広がっていった。


——それに、何もその疑念はある日突然に生まれたものではなかった。


はじめは小さなきっかけに過ぎなかった。

試作品をダイゼンに渡したときに「ダイゼン様は何をしているのですか」という小さな問いに、微妙な沈黙を挟み、「……薬草取りだ」と、言われたこと。

初めて、患者の下を訪れた翌日からエルンにぱったりと会わなくなったこと。

セリンにダイゼンのことについて聞けば、決まって「知りません」と言われること。

そういう小さな疎外感が私に疑念を生ませていた。


それでも、疎外感ならルナード領で散々味わってきたし、エルンのあのときの熱を思い返せば、なんとか耐えられていた。


しかし、ふと。

カリスの嫌な顔が頭に浮かぶのだ。そして、彼は勝ち誇ったように言う。


『私の方が幸せだな』


と。

そういう傲慢な顔も、表情も、声も、何もかも頭の中でいやに反芻する。ただ、その言葉はあまりにも鋭く、私の胸に刺さっていた。その言葉を否定したくて、居ても立ってもいられなくなるのは当たり前で。


ダイゼンが部屋に居ないことはとうに分かり切っていたし、セリンは何も知らない。

そうなれば、フォルセイン邸で聞き回るよりかは、街の方が俄然良い。

私は焦る気持ちを抑えながら、フォルセイン邸を早歩きで通る。その道中、セリンにばったりと会ってしまった。


「エリシア様、ここで会うとは奇遇ですね。どちらに向かわれるのでしょうか」


「少々、街の方へ。帰りは遅くなりませんから、心配はいりませんよ」


「……左様ですか。くれぐれも気をつけて帰ってきてくださいね」


「ええ」


そんな手短な会話をしながら、足は街の方へと向いていた。セリンの姿が見えなくなると、私は駆け出した。雨音を聴きながら。


雨の中、とある家へと向かう。

その家の扉を軽く叩けば、大柄な男が驚きながらも、迎えいれてくれた。——マルフだ。


「おお、医師さん!こんな雨の中、どうなさいましたのかな」


「……少しお話を伺いたくて」


彼から手渡されたタオルで濡れた髪を整えながら、聞く。エルンと会わなくなったのは彼の家を訪れてすぐのことだったから、彼は何かを知っているのかもしれない、とそう思ったのだ。


「娘の様子でしょうかな。娘なら上で大人しく……」


「いえ、エルン様のことでです。ここ数日、全く姿を見かけていないのです」


彼の言葉を遮って聞くと、彼はただ一つ「ほう……」と。それは含みのある呟きだった。


「何か、知っているのですか」


思わず、彼の肩を掴む。

濡れた手は衣服に染みを広げ、焦りの大きさを物語っているようだった。

マルフは目を瞬かせ、しばし押し黙った後、困ったように口元を歪ませる。


「まあ、そう焦らず。焦っていては大事なものを見落としてしまいますからな。まずはお茶でも飲んでゆっくりとしましょう」


マルフはそう言うと、卓上に擦り切れた木椀を置き、温かいお茶を注いだ。一口それを含めば薬草の匂いがふわりと立ち上り、心地よく口を潤した。酷い焦りも落ち着いたような気がする。


「——それで、マルフ様は知っているのでしょうか。エルン様の居場所を」


幾分か心を落ち着かせた後、マルフにもう一度問いかけた。彼は数秒その答えに悩み、ふいに腹をくくったように口を開く。


「ええ、おおよその検討は……」


「本当ですか!エルン様は今どこで、何をしていらっしゃるのですか!」


「……その前に一つ、話を聞いてくれませんか」


気持ちが前に出すぎたのか、切羽詰まったようにマルフをまくし立ててしまう。

しかし、彼は動じず、やけに冷静に呟いた。そのどこか落ち着きすぎている彼の姿は想像に難く、前に出すぎた気持ちもどこか静けさを保っていた。

そして、マルフは雄弁な語り出しで言う。


「——それはフォルセイン領の北にある、教会の話……」



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