21.Side:エルン
「最近の調子はどうだ」
「おかげさまで。とは言っても、牧師を辞めてからはお茶を嗜むばかりですがな」
エリシアの背が階段の影にすっと消えていくのを見届けるや否や、椅子に腰を下ろし、口を開いた。
私が何度かマルフを訪れるのは、その牧師という職業からだった。
疫病に関して何か知っているかもしれない。そういう淡い期待を彼に寄せていた。
「それにしても、良い医師を手に入れましたな。どちらで出会われたのです?」
「ルナード領からだ。最初は断られていたのだが、何度か念を押して、こちらに来てもらった」
彼女が良い医師であるのは間違いない。
私は頷きを返し、薬草の茶を口に含んだ。鼻から抜ける茶葉の香りが心地いい。
「随分と熱心に口説いたというわけですな!」
豪快に飛ばす彼の言葉にため息がこぼれる。たしかに、話だけを聞けば、私が彼女を熱心に口説いたことにはなるのだろうが、彼は私と同じ感覚でそう言ってる訳ではなさそうだった。
「本当ですか!いいお嫁さんだと思ったのですがな。それなら、八百屋のお嬢さんはどうでしょう?彼女も昔よりかは随分と成長して……」
と。
マルフは頼んでもいないのに、女性の話をし出した。やはり、彼は少し勘違いをしているらしい。跡取りの少ない我が家を思えば、彼が色恋沙汰に敏感になるのも分からなくはないが、何でもかんでもそれに繋げるのは気に入らない。
「マルフ、いつも言っているが、女性の話は止めてくれ。それに、エリシアとはそういう関係では無いのだ。そう軽々しく呼ぶのは止めろ」
「では、エルン様はエリシア様が他の誰かに取られても構わないというのですか?」
不意に心臓を掴まれたように鼓動が跳ねる。
それを悟られまいと、あえて茶を一口含み、ゆっくりと息を吐いた。しかし、胸の奥で生まれたざわめきはすぐに消えてはくれなかった。
「……そういうことを言っているのではない。それに、そういうのは良いのか?」
「そういうのとは?」
「貴族が、貴族以外と婚約するのは……」
「やはり、そういう気がおありで?」
マルフが口の端を吊り上げ、ニヤリと笑う。その仕草は、長年の人生で数多の恋をからかってきた者の余裕そのものだった。それに、逃げ場のない場所へじりじりと追い詰められている気がして、喉の奥が熱くなるのを感じる。まるで手のひらの上で転がされているようだった。
「ち、違う!断じてそんなことはない!ただ、彼女がいたルナード邸に聖女が来て、少し気の毒に思えただけだ。それに、もうすぐ王命を果たせそうなんだ。それ以外にうつつを抜かすなど!」
私が慌てて、まくし立てれば、彼は余裕をもった笑みで返すばかりだった。どうやら弄ぶのが好みらしい。元牧師としてはどうなのかとも思う。
「エルン様の気持ちはよく分かりました。——それで、王命とは何でしょうかな」
「疫病を無くすことだ。試作品も随分と手応えを感じられる物になったし、近々、王都に報告書を届けるつもりだ」
マルフはごつごつとした指で顎をさすり、何かを思案するように目を細め、こちらを見やった。その視線は卓上の木椀に落ちたり、またこちらに戻ったりと忙しなく揺れていた。やがて、含み笑いをひとつ零し、彼はようやく口を開く。
「こんなことを言うのはなんですが、それはまだ先なのではないでしょうかな」
一瞬、頬が引きつった。眉間に皺が寄るのを抑えられず、言葉が不格好にこぼれる。
「……それはどういう意味だ?」
「まあ、そう焦らず。焦っていては大事なものを見落としてしまいますからな。まずはお茶でも飲んでゆっくりとしましょう」
そう言ってマルフはお茶を一口啜る。
それは彼の口癖だった。彼の言うことには一理あるが、やはりこの焦れったさにはどうにも慣れない。私も彼を真似てお茶を一口啜るが、焦りからか、喉を通るお茶の味は何も感じられなかった。
「これは、私が元牧師だから知っている事なのですがな……」
そう彼の調子には似合わず、一つ前置きをしてから語り始めた。
「——それはフォルセイン領の北にある、教会の話……」
それは私の求めていた真実だった。




