表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/45

20.Side:エルン

朝の霧が静かな街を薄く包み、湿った石畳の上で二つの小さな靴音が響く。

やがて、一つの民家の前まで足を運べば、私は深呼吸をした。吐く息は白く揺れ、まるで緊張の震えを映すようだった。


この家は疫病が流行る前、何度か訪れたことがある。その記憶を辿れば確か、子どもの騒がしい声が絶えない家という印象だったはずだ。ただ、今はそれが嘘のように静まり返っていて、その記憶も夢だったのかと思ってしまうほどだった。


「おお、お二人さん。来てくれたのか!」


しかし、窓の奥から弾むような声が響き、緊張で強ばった身体がふっと緩んだような気がした。なんだ、と安堵する。


「——行きましょうか」


エリシアの声に促され、私は扉に手をかけた。扉に触れると、湿り気を含んだ木の手触りが指先に伝わった。


「おふた方!朝早くから済まないな!」


家に入ると早々、この家の主人マルフが声を張り上げ、言った。口元の皺が深くなり、目尻まで笑みが広がっていて、その表情からは嬉しさが込み上げているように見えた。


「患者様はどちらに?」


「娘ですか?娘なら自分の部屋で寝ておりますよ。薬を飲む前はギャーギャー喚いていたのですが、今は薬が効いて、ぐっすり眠れるようになったんです。医師さんには感謝しかありませんな!」


エリシアが問えば、マルフは待っていたかのように、息継ぎを忘れ、言葉を溢れさせた。それに、彼女は困った表情を見せつつも、嬉しさを噛み締めたような笑みを零す。医師として、誇らしいのだろう。彼女の横顔はやけに眩しく見えた。

思えば、私はただ、エリシアの後ろ背にいるばかりだった。それに対して、彼女は民に慕われ、感謝の言葉を貰っている。

その輪の中に私はおらず、ただ、疎外感とも羨望ともつかぬ感情が胸を締めつけた。

……もし彼女の隣に立つなら、ただ見守るだけで良いのだろうか?


「それでは、私はお子さんの様子を見てきますね。……エルン様はどうなさいましょうか」


「ついて行っては駄目なのか」


「ダメですよ。エルン様は貴族なのですから、病が移ったりしたら、大変です」


きっぱりと告げる彼女の声音は私情を差し挟まぬ、医師としての厳しさをまとっていた。それでも、と食い下がろうとすれば、マルフがとっさに声を上げた。


「それなら私と話でもして、待ってましょうか。大したもんは無いが、付き合ってくれ!」


マルフは豪快に笑うと、卓上に木椀を置いた。擦り切れた器に注がれた温かいお茶から、薬草の匂いがふわりと立ち上る。


「医師さん。娘を任せましたよ!」


そう言う彼の声は、家の中の静けさに不思議な安心を混ぜ込んでいた。その響きに、私自身も救われるような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ